『文章力』を上げる方法でし
『文章力を上げたい』と奮闘する人を時折見かけるが、なんてフワフワした話なんだろうと思う。
私自身、『文章力が上がった状態』に説明ができない。一体どんな❓
勿論、ライティングに関する本も色々読んだ。
悪い例▶︎いい例 みたいにノウハウが書かれているが、毎回私は
いうほど変わってるか……?
という感想を抱く。
なので、私の頭の中では『ナイモノを語ってる系』に分類され忘れ去られる。
仮に『このように書けば必ずこのように思わせる事が可能だし、オマケに日本語的にもなんか美しいし、しかも野暮ったくなくて無駄がないぜ』のようなノウハウがあったとして、大半の人がソレを用い氾濫したとする。
クソみてぇに退屈だよなぁ……?
文章力以前に、『着眼点』だなって私は思う。
『そんなん言われんでもわかっとるわ』って事を長々と書く人は、何を書いても(程度の差は当然あるが)大体つまらない。
言い換えりゃ、『ああ、お前は世界をそんな程度にしか見てないんだな』と落胆する。
つまり、わけわからん文章力を鍛えるよりも、『生きて、感じる力』に意識を置くべきだ。統合失調症の作者にカルト的な人気が生ずるのもこの点にあるのでは。
あまり病気の話はしたくない。全人類は『正常』であると仮定している。異常かどうかは都合から発生した後付けの理屈。個人でもあるし、システムや社会の存続という観点からの判断でしかないと思う。ま、デリケートな話題だからやめとこう。
『正常』という前提にし、次に取り出す物差しは『真剣か否か』だ。
『真剣』と『深刻』をはき違える人がいるかもしれない。
たとえば『日本のペット産業に残酷な面がある。仕組みを変えねばならない』という話題を振られたとして、ただ俯いて深刻ぶった顔をしても、それはただ『俯いて深刻な顔をしただけ』である。
対して『真剣』な場合、必ず具体的な話に移るだろう。それが実現が容易でない妄想だとしても、ただ俯いている人間とは歴然とした差がある。
私の意見をまとめると
『真剣さとは、いかに世界に対し具体的な意見を持ち合わせているか。また、それに対する是正や新たな具体案を創出する気概があるか』となる。
この真剣さを基盤とし、毎日を生きる。その結果として文章が『変わる』
『上がる』んじゃなくて、『変わる』ね。
つまり私の興味は『す、すごい文章だ〜』とかじゃなくて『おお、いい着眼点だ』に向いている。
ビジネスマンとかこういうの得意そうだよな。
これからもチョーオモシロイビジネス新書の量産を頼むぜ。日本の未来は君たちの手にかかっている❗️
【追記】
着眼点がしょうもないのに、誤魔化しでレトリックに凝り始めたら余計に陳腐になる。
私が最も嫌う態度のひとつ、『気どり』の誕生だ。
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