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Hi-コンテクストな私たち

日本ってハイコンテクストの典型じゃないですか。

で、この国の人は『主張が苦手』とよく言われますよね。
反対に海外の大陸のわちゃわちゃから必然、言語による説明が過剰になって論理的な説明が上手になるのは当然かなって(最近日本語ヘタなんよ……)
じゃあ日本人は非・言語的な主張が上手なんかな❓

いくら文化の西洋化が進もうと、島国である以上暗黙の了解を前提としたコミュニケーションが自然と板についてしまう。

でも自覚をして潰していかないと、相手への尊重を欠いた押し付けなお喋りに変貌してしまう。

❇︎ このような話題の時に、平気で『老害』という言葉を使う人が居る。私は可能な限り蔑称を避けているが、知識不足で使ってしまってたらスマン。

↑こういう心の中の前提もバンバン説明していかないと、人はどんどん誤解を進める。かといって、全日本人がローコンテクストなやり口を身につけるべきか。

しょうがないと諦めて、進歩すらも諦めるのは不健全だと考える人も居るだろう。

ところで最近『ブラジルへ移民したかつての日本人』に関する本を読んでいたのだが、渡航者の中には『明治維新反対派』も居たとか。要するにこれから変わりゆく日本を憂いていたのだ。

私はわかんないね。一体『日本の夜明け』とはどのような状態を指すのか。

『言葉足らずは良くない』と思う人が居たとして、その意識はどこから来たのか。大昔の日本人も同じ事を思ってたのだろうか。



ネットに散らばる他人の呟きや文章を読んでいると時々『コイツ読ませる気ねぇだろ‼️』って文章に出会う。ああいう独りよがりなものと、ハイコンテクストは同質なのか。

暗黙の了解の材料が、文化風習なら理解の可能性はある。問題は『極めて個人的な材料』だった場合だ。

その場合は『わかりようがない』……なのだが、厄介な事に『わからないけど面白い』という現象も起こりうる。

面白いからこそ『もっと知りたくなる』ものだ。

でも大抵は面白くないです

出汁を入れ忘れた味噌汁か❓
今度から出汁入りの味噌をチョイスするんだな。常套句や既に共有された意味を内包した言葉を使えば多少は見栄えがマシになって前提を知らない第三者も多少は出汁の味を検知できるだろう。しかし共有を知らない第四者の存在も意識するんだ。

フリーズドライ・味噌汁という選択もある。
他人が編み出した『こういう時はこういう文章にする』をマネすれば、多少はそれっぽくなるし共感した人が琴線の揺れ具合を報告しながら近寄ってくるだろう。中指をおっ立てる準備はいいか? 素早さと指の屹立加減が重要なんだ。



【ローコンテクスト‼️】

↑ソクラテスっぽいなと思いました。

……

🔔『……で?』

……まぁ日本人には抵抗あるやり方だろうな。
『これくらい分かるだろう』→『どうして分かんねぇんだ❗️』って民族だからな。

(↑勝手に一括りにすんなだよな)

日本へ来た海外旅行者に対し妙な親切心が湧くのも、『前提を知らないという前提を知ってるから』って状態だからじゃないかな。

そういや全部かは知らないが、海外には日本で言う『海外旅行』に該当する言葉がないらしいな(多分)

なんつーか、暗黙の了解を普段から行使してる事にすら気がついてないんかな。実際会話の際に意識してないし。

私は『話が通じない人に出会う事』をオススメする。あまりに通じないから、逆に自分の伝えたい事を強く自覚でき、伝える為の情熱も湧く。
ハイとローが出会えば何かが生まれるって寸法だ。

つまり❗️
ハイコンテクストに浸りすぎると言葉による主張を忘れるかもねって……はい。



さて、私の人生で何回あったかな。

「なんで分からないの❗️」

『いや……言えばいいのでは……』

ってやり取りが。
人の親切心や都合の良い言葉に、なぜ勝手に期待するのだろう。

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