青山泰の裁判リポート 第5回 独身と偽って婚活パーティーで知り合ったシングルマザーを、自殺に見せかけて殺害したのか?


2024年3月4日、東京地裁715号法廷。
渡辺被告は、両脇を警察官に挟まれて、まっすぐ前を向いて無表情で入廷してきた。

被告人の渡辺毅(仮名・45歳)は、婚活パーティーに参加して、シングルマザーの石本真由美さん(仮名・37歳)と知り合い、2018年から交際を始めた。
2年後、真由美さんは妊娠したが、渡辺の希望で中絶。何度か別離と復縁を繰り返して、真由美さんは再び妊娠。
被告人はプロポーズして、新居を探すために一緒に内覧会へ行ったりしたが……。
渡辺は、8年前に結婚していたことをずっと隠してつきあっていたのだ。

真由美さんの遺体を発見したのは、
起床した小学生の娘だった。

2022年3月12日早朝、東京都練馬区のマンション。
浴室でぐったりしていた真由美さんを、起床した小学生の娘が発見して、渡辺の携帯に電話。インターネットカフェに宿泊していた渡辺が駆けつけ、119番通報した。

真由美さんはすでに死亡していて、死因は首を強く圧迫されたことによる窒息死。幾重にも巻かれたビニール紐が、首とドアノブにかけられていた。
渡辺は駆け付けた警察官に、自分にアリバイがあることを告げ、真由美さんから送られた自殺をほのめかすLINEのスクリーンショットを見せた。
「真由美さんは自殺した」とアピールした。

「被害者から頼まれて
殺してしまいました」

その後、警視庁は捜査を続行。
真由美さんに自殺する動機がないことなどから、事件から4か月後に渡辺を逮捕した。
渡辺は、真由美さんの殺害を認めたが、「真由美さんから頼まれて、殺してしまいました」と同意殺人を主張したのだ。

刑事事件で起訴された被告人は、犯行を認めて情状酌量を求めるケースが多い。犯行を認めないと、「反省していない」と判断されて、罪が重くなる可能性があるからだ。
しかし、この裁判は違った。

殺人罪(刑法199条)の刑罰は、死刑もしくは無期もしくは5年以上の懲役。
一方、渡辺被告が主張した同意殺人罪(刑法202条、別名嘱託殺人罪・承諾殺人罪)は6か月以上7年以下の懲役または禁錮と、殺人罪に比べると圧倒的に軽い刑罰が適用される。

同意殺人は、その人から頼まれて殺す「嘱託殺人」と、殺そうとした相手が死を受け入れている「承諾殺人」に分かれる。
渡辺被告は嘱託殺人を主張した。

法廷での渡辺被告は、長身で短い髪、黒スーツに白シャツ、シックな紺色のネクタイに黒縁メガネをかけていた。白いマスク姿で、ビジネス街で見かけるごく普通の実直そうな会社員に見えた。
終始落ち着いた様子で、検察官や裁判官の質問に、言い淀むことなく答えていく。

「妻とは、簡単に別れられると
思っていた」と証言した。

独身を装って婚活パーティーに参加した理由は「一人でいたくなかった」
「すでに結婚しているのに」という追及には「もっと夫婦らしい関係が欲しかった。
浪費癖のある妻との関係は、うまくいってなかった」と。

もちろん妻と離婚しなければ、真由美さんと結婚することはできない。このことについては、「以前、浮気がバレた時、妻から『次はないからね』と言われていたので、簡単に別れられると思っていた」と、あっけらかんと主張。

妊娠した真由美さんは、渡辺被告の希望で中絶した。
その一方で、真由美さんと交際後にも、妻とバンコクに旅行に行っていて、離婚の話し合いなどもなかった、という。

ステージ2の胃がんと診断されたと、噓をついたこともあった。
「(病気を装ったのは)真由美さんと別れるため。治療が始まるまでつきあおう、と。1か月くらい思い出を作って別れるつもりだったが、離れるのが嫌になった」と弁明した。

「自殺するために、
ビニール紐を用意した」

渡辺被告は、自分が既婚者であることをずっと隠してつきあっていたが、2022年2月下旬、真由美さんから2度目の妊娠を告げられた。

その2週間後の犯行前日、「小細工せずに全部(既婚者であること)白状して、真由美さんが許してくれたら結婚、ケンカ別れしたら首を吊ろう」と決意。
13本のビニールひもを束ねて用意。首吊り用に自作した、という。

――どうしてケンカ別れしたら、自殺しようと?
「真由美さんの父親が関わってくるので。
(最初に中絶した時)お父さんに自分を否定されて、死にたい気持ちになったので。真由美さんが許してくれなければ、自殺しようと考えていた」
――自殺する場所は決めてましたか?
「具体的な駅名を出してもいいですか?」
――いえ、抽象的な説明で。
「最寄り駅から1本で行けるところと、一度乗り換えていくところの2か所を考えていました」
――自殺しようと考えていたのに、事件の翌週に仕事の打ち合わせを入れていたのは?
「真由美さんに許してもらったら、自殺する必要がないので」
――自殺を考えていたのに、どうして殺害することに?
「一緒に死のうという話になったが、真由美さんから『子どもを育てる自信がない。殺してほしい』と頼まれたから」
――殺害した後、インターネットカフェに泊まったのは、偽装では?
「『(真由美さん宅を)訪問した時、インターホンを鳴らしていないので、モニターが作動していない。自宅にこなかったことにすればいい』と真由美さんから言われたので。
(自分が捕まると)真由美さんから託された娘さんの面倒を見ることができなくなるので」

渡辺被告はさまざまな質問に、落ち着いた様子で平然と答えていく。傍聴席で聞いていると、起こった出来事をそのまま話しているのではないか、と錯覚させられるほど冷静な応対だった。
しかし、内容はデタラメで、ひどい嘘ばかりだった……。

ママ友は「一緒にディズニー
ランドに行く予定だった」

被害者のママ友だった友人が証言した。
「(真由美さんは)娘さんを、大事に、大事に、育ててました。『再婚相手は、娘との相性をみて決めたい』と」
「2人は付き合ったり別れたり、を繰り返していました。『ケンカして、その後SEXした』と話していたので、『相手は体目当てじゃないの』と言ったことも」

「(事件1か月後の)4月初めに子どもたちと一緒にディズニーに行く予定を立ててました。4人分のチケットを予約しました」
真由美さんに自殺する意思がなかったことを裏付ける証言だ。

真由美さんは自分の娘に「何かあったら、渡辺さんの携帯に電話しなさい」と言っていたほど、被告人を信頼していた。
しかし、被告人はその気持ちに、最後まで応えることはなかった。

コロナ禍で、渡辺は、池袋のビジネスホテルでテレワークすることが多かった。
真由美さんは一度も被告人の家に行ったことがなく、両親にも会ったことがない、という。
当然のことだが、結婚している渡辺は、真由美さんを自宅に連れてきたり、両親に合わせることはできなかった。

「真由美さんの父親が怖くて、
自殺しよう」と、何度も強調。

渡辺は、真由美さんの父親が怖くて自殺を考えていた、と何度も強調した。
自殺を考えていたことにしないと、事件前日にビニール紐を束ねて用意した理由が説明できないからだ。
裁判長から「既婚者であることを隠して、堕胎も。胃がんだと嘘もついた。ある意味、(お父さんに)怒られても、当たり前なのではありませんか?」と戒められたほど。

検察官は、渡辺の言動の矛盾点を丁寧に指摘していく。
「被告人は身辺整理をしていない。なのに自殺のための紐だけを用意するのは不自然。
首吊り、家宅捜索、状況証拠などのワードを検索していた。家宅捜索や状況証拠などは、自殺とは関係ない。

携帯から偽装メールも送り、自殺に見せかけて、殺すことを企図した。
真由美さんは犯行当日も仕事をして、訪ねてくる被告人の食事も用意していた。
真由美さんは思い悩むことはあっても、絶望して死を選ぶことはない。
お腹の子まで道連れにすることはない。

婚姻していない被告人に娘を託すことはない。
真由美さんの首に防御痕がない、抵抗の痕跡がないことを主張するかもしれないが、殺人罪が成立することはなんの不合理もない。
犯行は、自己中心的で計画的。9分間にわたり、首を絞め続けている」

求刑は懲役20年。
渡辺被告はまったく動かず、目を伏せたまま、検察官の求刑を聞いていた。

弁護側の弁論は、
苦しい釈明に感じられた

法廷は、被告人が嘘をついているという雰囲気に包まれていた。
独身と偽って婚活パーティーに参加して、既婚者であることを隠したまま3年以上交際し、時には「胃がんで、つきあいは治療が始まるまで」と嘘をついた。
2度目の妊娠を告げられてから、わずか2週間後の犯行だった。

弁護人の弁論は、苦しい釈明に感じられた。
「殺人を犯したに違いないという空気ですが、計画的な犯行なら、真由美さん宅で行うのは、不適切」
「真由美さんは精神的に不安定で、被告人に依存しているような状態でした。LINEを拒絶されてから、会社の携帯、公衆電話、友人の携帯を使ってまで連絡を取っていた。
被告人は揺れ動く気持ちの中で、後先を考えることができず、真由美さんの願いを聞いてしまったということは充分に可能性がある」と。

「被告人は嘘とデタラメばかり。
反省も、謝罪も、弁償もない」

被害者側の代理人弁護士は、遺族の心情を訴えた。
「被害者遺族の願いは、真由美さんを返してもらうこと。それができないならば、真実が明らかになること。
被告人が真に反省していれば、その願いはかなえられたはず。真実を知りたいというささやかな願いも叶えられず、真由美さんに対する最大級の侮辱も。

(被告人を非難したのは)娘を思う父として当然のことをしただけ。真由美さんだけでなく、家族をも傷つけ続けた。
被告人の言動は自己保身ばかりで、真の動機は分からない。

離婚しなければ結婚はできない。一貫して嘘とデタラメ。
反省も、謝罪も、弁償もない。
真由美さんの絶望や恐怖、家族の絶望は計り知れない。無期懲役を望みます」と。

真由美さんの両親の悲痛な
心情が伝わってきた…

裁判を通じて、真由美さんの両親の、辛く悔しい、悲痛な心情が伝わってきた。

傍聴席から衝立で隠れる席で、被害者の父親が証言に立った。
父親は、一つひとつの質問に、淡々と、丁寧に答えようとしていた。
「(被告人の)嘘で娘がけがされることがあってはならない、という思いで今日はやってきました」
「娘は幼い頃からちょっとおてんばで、甘えん坊で、学校近くで子犬を拾ってきて飼うような、動物好きな子どもでした。娘は、どの写真でも笑顔で映っています」
「娘は一生懸命、孫のために生きてきました。
あれだけ大切な自分の子を残していかなければならないなんて。どんなに無念に思っているか」

ほとばしる感情を必死に抑えている肉声が、静まりかえった法廷内に響いた――。
質問する女性検事は涙声で、目が少しうるんでいるようにみえた。口をきつく結んで、感情を抑えているようにも。
涙ぐむ裁判員の姿も見られた……。

「(娘を失って)いつになれば、こんな気持ちでなくなるのか、たぶん無理なのかもしれませんが、そういう日がくれば、と。
もう一つだけ、いいですか?」
――もちろんです。
「私たちより、(母を失った)孫娘が一番つらいはずなのに、悲しみに耐えて頑張っています。そんな孫娘を育てたのは娘です」
「(被告人には)一般社会に出ることなく、罪を償ってほしい」と。

証言席を離れるとき、証言が乱れたことを「申し訳ないです」と謝罪した。
裁判長は「とんでもないです。よくこらえていらっしゃったと思います」と。
「ありがとうございました」と父親の震える嗚咽が聞こえた。
傍聴席からは衝立で見えなかったが、裁判員席に向かって深く一礼した様子が伝わってくるようだった。

「どんなに苦しかったことか。
これから結婚しようと思っていた男に
首を絞められたのです」

真由美さんの母親からの手紙を、代理人の弁護士が読み上げた。
「既婚者であることを隠して、嘘をつき続けた。娘が他の男性にメールするだけで浮気と言って責めた。
被告人が離婚する気もなく、嘘をつき続けたことがすべての原因です。
娘はどんな気持ちだったでしょう。どんなに苦しかったことでしょう。これから結婚しようと思っていた男に首を絞められたのです。

孫はママのそばにいたいと、遺影をリビングの出窓に置いています。『ママこれ食べて』とお菓子を写真のそばに置きます。ストレスに耐えられず、カウンセリングを受けています。
『お母さん、生き返らないかな、生き返らないよね』と。
事件の前に戻りたい。『お母さん、ただいま』と、娘が玄関から帰ってきそうな気がします。
娘が一番つらい苦しい思いをしたのです」

判決は、求刑と同じ懲役20年。
「重要な部分が、不合理で不自然」と断罪

裁判長が言い渡した判決は、懲役20年。 
検察側の主張を全面的に認め、求刑と同じ刑罰が下された。

争点だった嘱託あるいは承諾があったかどうかについては、明確に「ない」と認めた。
「プロポーズされて幸せの絶頂にあった被害者は、愛する娘を残して、お腹に子どもがいるのに、自殺することはない。

ケンカした時に、真由美さんが「殺して」「死にたい」と、気を引くためのメールを送ることはこれまでもあったし、それが本意ではないことは、被告人も理解していた。
重要な部分が、不自然で不合理。

被告人は、事件前日までに、殺意を固めた。自殺に見せかけて殺害しようとした。
被告人が否認しているため、動機の詳細は不明。
殺害以外の方法も充分選択可能であったのに。強く非難される。

愛する娘を残したまま、お腹の子どもとともに未来を奪われた。
被告人は、不合理で身勝手な供述に終始した」

判決理由を聞きながら、被告人は表情を変えることなく、まっすぐ前を向いていた。
そして、最後に何度か、ほんの小さくうなずいた。
高橋が何を感じていたのか、推し量ることはできなかった――。

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