なんで 心はこんなにも複雑になってしまうのか 優しさについて考える
誰も傷つかない世界であってほしい
みんながしあわせでいられるそんな世界は夢物語なのか
最近そんなことばかり考えていた
ラジオから流れてきたMr.Childrenの『進化論』のフレーズに耳が止まる
”誰も傷つかない”というフレーズが引っかかっただけなのだけど
曲中での”夢”は”世界”のことだと勝手に解釈してる
なぜ人は傷つくのだろう
いちいち傷ついていたら生きていけないから
強くなるというより、ある程度 鈍感なになった方が生きやすい
でもあまり鈍感だと、逆に知らないうちに誰かを傷つけていたりする気がする
もともと強い人もいるし
もともと鈍感な人もいる
でもそうもいかない人たちもいる
鈍感になれない人
そんな人たちはきっと自分に正直なんだろう
それゆえに傷ついて、その傷を自分で癒すことができない人もいる
そんな人がいると心が痛くなる
Mr.Childrenの『名もなき詩』が私の心を射抜いたのはいうまでもなく
誰もがあるがままに生きていて、
みんながしあわせでいられるといいのにと願う
自分はここまで生きてきて
優しい人たちにたくさん出会ってきて
とても恵まれていると思う
自分はいつも周りの人に甘やかれるなぁとよく思う
優しい人たちがいっぱいだ
「なんて、優しいの〜!✨」といつも感謝に絶えない
私の思う”やさしさ”とは”甘やかす”が もちろん含まれる
実際、そんな甘え上手でない私だけど
なぜか周りは甘やかしてくれる。
これは”人徳”か?なんて
自惚れてしまう時もあるけど、きっと、あまりに頼りなくて不器用だから
なんでも「まぁいいよ」と言ってくれてるのだろうと思う
自分でも、「まぁ、いいか」と思ってしまう
そんな人たちが私だけでなく周りの人に優しくしていても
すごく嬉しくなる
”やさしさ”とは”許し”の要素が多いと思ってる
”許し(赦し)”とは ”愛”ことだろうか?なんて考えてもいる
私はたくさんの人からやさしくされて、甘やかされて、許されて、愛されて
今まで生きてきた
だから私も出会った人たちにはやさしくしたいと思っている
でも、人の優しさをあまり感じられずに生きてきた人や
優しくされたことを忘れてしまうほどの悲しいことがあったと思える人と出会うと、やっぱり心が痛む
そんな生きにくさを感じている人を「繊細すぎるのでは」なんて言葉で片付けてしまうのは
あまりに鈍感だ
鈍感に生きてきたつもりでも
人のことで心が痛くなるのだなと実感している最近
歳を重ねるだけでも鈍感になっていくのに
これ以上鈍感になるなということなのか
JUJUの『やさしさで溢れるように』
この曲の歌詞のように
誰もが自分の好きな人や家族に思うように
出会った人に同じように思えるといいのにと願う
世界中がやさしさであるれますように✨
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