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サウザンクロスの真下で ③ 〜 ニューカッスル 〜 シドニー 〜

ゴールドコーストを自転車で出発して1週間になろうとしていた。明日はシドニーまで辿り着けるだろうか、何しろ雄一くんを空港へ迎えに行く約束をしているのだ。

その日はニューカッスルのバックパッカーズに宿を決め、久々に都市と呼ばれる街を歩いた。

バーには人が溢れ、皆んな楽しそうにビールを飲んでいる。しかし僕は、

「日の出と共に出発しよう」

と自分に言い聞かせた。明日はシドニーまでの最終日、朝から170キロの自転車旅が始まるはずであった。

しかし、バックパッカーズには誘惑がつきものである。2段ベットの並んだ8人部屋は僕を含めて旅人で埋まっていた。

夕食を食べ終わり、上段のベットでくつろいでいると、下のベットにいたオランダ人が

「一緒に飲みに行かないか」

と誘ってきた。僕は翌朝早起きしてシドニーに行くのでやめておくと断る。トニーというオランダ人は

「俺も明日シドニーまで行く、だから飲みに行こう」

と、しつこく誘ってくる。

「僕は自転車だ。君はバスで寝てればいいが、僕はそうはいかない」

と断った。しかし、トニーは1人でバーに行くのが嫌なのか、ワインを買ってきて部屋で飲みだした。そして上段のベットで寝ようとしている僕に

「一杯どうだ」

と赤ワインを、グラスなみなみに注いできた。僕は仕方なくその一杯を、頂くことにした。

スーパーで売っている紙パックのその赤ワインは、お世辞にも美味いとは言えない。確か3リットルで200円ぐらいであった。

酸味が強くて、顔をしかめる程渋い、赤ワインを2人で飲んでいると、カナダ人の2人組みが、部屋に帰ってきた。するとトニーは、

「君たちも一緒にどうだ?」

と安いワインを彼らにも勧めて、ようやく紙パックを飲み干した。そして4人でバーに繰り出すのだが、部屋に戻ったのは日の出の時間であった。

灼熱の太陽が既に真上にある。チェックアウトで、放りだされるように宿を出て、自転車を漕ぎはじめた。

二日酔いの頭痛がひどい、だが何とかスタートをきる事ができた。ニューカッスルの街を抜けると草原が一面に広がり、地平線の先まで永遠と伸びている。
その見渡す限りの草原に、牛や羊が放し飼いされていた。

しかし、シドニーに近づくにつれ、ポツポツと家が増えはじめ、ついには郊外の住宅が続くことになる。人や車の数も増えてきた。

日本の道と違ってオーストラリアでは、緩やかな上り下りが、真っ直ぐに直線で延びている。
あのシドニーオリンピックで、高橋尚子が走ったマラソンコースそのものであった。

あれから2年、まだ僕の記憶に焼きついているマラソンコースを自転車で走っていた。そして、緩やかな上り坂が続き、迎えたクライマックス。

彼女がサングラスを投げ捨て、スパートをかけた、あのハーバーブリッジを渡る。

湾に沈みかけた夕日が、オペラハウスを照らしていた。

「なんて美しい街なんだ」

今朝は二日酔いで弱っていた体が、夕方になって元気を取り戻している。ハイドパークを通り抜け、キングスクロスのバックパッカーズにたどり着いた。

何とか明日レンタカーを借りて空港まで迎えに行けそうである。


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