人並みの交差点、渡り損ねて シュウジ編4
職場の後輩、青山からお願いされて彼主催の勉強会に参加することになったシュウジ。新しい発見はあるか?
目の前に建っているビルに掲げられた表札とスマートフォンの画面を見比べる。
うん、今日の会場はここで良さそうだ。時間は三十分前。よし。会場の確認をすると、俺はビルを通り過ぎて横断歩道を渡った。
見つけたリーズナブルな価格帯のカフェに入り、ホットコーヒーを頼む。店内は休日のオフィス街ということもあって客の姿もまばらだ。
俺はコーヒーを受け取って、適当に空いている席に腰掛けた。時間としてはもう会場には入れるだろう。
だが、俺は雑談が苦手だ。きっと近くの席になった人に話し掛けられないだろう。あまり早く入ってしまうと、その分気まずい沈黙に耐えなくてはいけなくなってしまう。青山はもういるだろうが、事務局だから俺の相手をする手間はかけられない。
こんな時は、カフェで時間を潰すにかぎる。オレはスマートフォンを取り出し、ニュースサイトで気になる記事をチェックした。それでも、まだ時間があるので続いてブックマークに登録されているサイトを確認する。
読み終わったら、開始時間の五分前だ。じゃあ、行くか。残っていたコーヒーを飲みきり、トレイを所定の場所へ戻して店を出た。
俺がビルに戻ると、勉強会の参加者らしい人が入口の辺りにいるのが見える。あれについて行けば良さそうだ。近付けば、その人は警備員と話をしていた。聞き耳を立てると行き先は同じところのようだ。
「俺も同じです」
そう言って一緒に入館の手続きをしてもらう。警備員から入館証を受け取り、下りるべき階を教わって、エレベーターに乗った。
ドアが開くとひらけたスペースが目に入る。洒落た図書館のようだ。バーカウンターがあり、エスプレッソマシーンも置いてある。俺は部屋の中を一望した。奥の方に人が集まっている。
多分、あそこだろう。そちらに向かうと、受付らしい机のところに青山がいた。ヤツは話し掛ける前にこちらの存在に気が付き、手を振る。
「シュウジさん、おはようございます。今日はありがとうございます」
朝から元気なヤツだ。
「おはよう」
「今日は五つのテーブルに分かれてもらってます。シュウジさんは三番ですね。席は空いてるところでお願いします」
青山が手元の参加者リストと今日の教材らしい紙の束を手渡してくれた。名前を見たが今回は知らないメンバーばかりのようだ。前のホワイトボードで自分のテーブルを確認する。
他の三人は既に座っていた。アラサーの私服の若者が二人とアラフォーくらいのフォーマルな服装の男性が一人だ。「おはようございます」
声をかけてから、俺も席に座った。先にいたメンバーは顔を上げると、軽く会釈をしてさっきまでやっていた作業に戻る。筆記用具を出すなど準備が済んだ頃に青山がプロジェクターを写せそうな広い壁の前に立った。
「今日は勉強会にご参加くださりありがとうございます。今回のテーマは心理学です。技術の話と違って普段の業務には直接関係はありません。けれども、知っていることで、より仕事をしやすくなる内容です。今日は楽しんでください」
青山はお辞儀をする。人前だからだろう。普段のような軽い感じがない。仕事もこのくらいの雰囲気でやれば、もっと信頼されるだろうに。
「では、今日の講師をお呼びします。笹部泰博さんです。よろしくお願いします」
青山はお辞儀をすると脇に下がる。代わりに三十代くらいの男性が中央に出てきた。
「笹部泰博です。本日はよろしくお願いします」
深く頭を下げる。茶色のジャケットで知的な雰囲気だ。ニコニコした笑顔で、会場全体を見回す。そして、一人の男性に近付いていき、たずねる。
「今日はどういう目的でいらっしゃいましたか」
「そうですねぇ。もう少し人と仲良くなれるといいなと思って」
「なるほど。他人とのコミュニケーションに課題を感じられているんですね」
「はい、そうですね。どうしても人見知りしちゃうんで。初対面の人と何を話したらいいのかわからないんですよ。ある程度、仲が良ければ大丈夫なんですけど」
「うんうん。よく知らない相手だと身構えちゃいますよね。ところで、今日の参加者で自分は人見知りだと思う人、手を上げて頂いていいですか」
俺は手を上げる。周りを見たら、八割くらい上げているようだ。
「ご覧の通り、自分は人見知りだと思っている人って結構多いんですよ。だから、目の前にいる人も普通に話しているようで不安を感じているんです。同志なんですよ。そう思うと安心しませんか」
なるほど。相手も自分と同じように緊張しているって思ったら、妙に構えなくても良い気がしてくる。
さっきとは別の男性が手を上げて発言した。
「でも、どちらかが話をしなくちゃ先に進まないじゃないですか。どうやってきっかけを作ったらいいですかね」
「ふんふん。話のきっかけをつかむのって難しい問題です。相手が話をしてくれる人ならそれほど困らないですが、そうじゃないと焦っちゃいますよね」
「そうなんですよ」
「わかります。そういう時はまず相手に対して感じたことを率直に伝えてみたらいかがでしょうか」
「というと?」
「話をしなくても、その人が持っている雰囲気があるじゃないですか。それを伝えてみるんです。ちなみに、貴方は結構勉強熱心な方ですよね」
「確かに勉強は好きですよ。でも、勝手に決めつけたら失礼じゃないですか」
「そういうの心配になりますよね。とはいえ、あくまでも個人の感想です。まあ、言葉の選び方は慎重にした方が良いですが。'違う'と言われたら、自分がそう思った理由を伝えてみてはいかがでしょうか。それを話のきっかけにするんです」
「なるほど。それで上手くいきますかね」
「人って基本的に自分のことに興味を示されると話をしたくなるものですよ。まあ、その辺りは実際に経験してもらった方が良いと思います。近くの方と二人一組になってもらっていいですか」
同じテーブル内を見回すと、既にアラサーの二人はペアになっていた。アラフォーの男性は目が合うと「よろしくお願いします」と頭を下げたので、俺もそれに返す。講師の笹部さんは続ける。
「それでは進め方をお伝えします。まず自己紹介をしないでください。椅子を向かい合わせにしましょう。話をせず先入観なしで一分間相手を観察してください。で、感じた印象をシェアします。じゃあ、始めてください」
お互いに向き合える位置に椅子を動かして、相手をじっと見つめる。男性はエンジニアにしてはガッチリとした体型だ。髪も短いので、男らしい。目はくりっとしていて人懐っこい感じがする。周りに人が集まってくるタイプだろう。休みの日はホームパーティとかやっていそうだ。休みの日なのにフォーマルな服装なので、しっかりした人なんだろう。
「一分経ちました。じゃあ、順番にお互いの印象をシェアしてください。ちなみに、名前は下の名前で呼んでみてください」
笹部さんが説明する。
「じゃあ、僕からいいですか」
目の前の男が手を上げる。積極的だなぁ。こういうところを俺も見習わなくちゃいけないんだろう。
「シュウジさんは知的で物事の本質をつかもうと、物事をしっかり見ている人だと感じました。どんなことを言っても、こちらのことを受け入れる印象です」
「ありがとうございます」
彼が言ったことは周囲からよく言われる。一分間、見るだけでも伝わるものらしい。さて、こちらもフィードバックしなくては。名札で名前を確認する。ハジメさんか。
「ハジメさんは理性的で人に対しての気遣いがしっかりしている感じですね。みんなで集まって楽しむのが好きそうな気がします」
「ありがとうございます。確かに人と集まるのは好きですね。どうしてわかるんですか」
「えーっと、目の印象が人懐っこい感じがしたので、お友だちが多いタイプかなって思ったんですよ」
「なるほど。観察力ありますね。ってことは僕の印象もそれほど違っていなかったってことですね。いやぁ、面白いもんだ」
「そうですね」
前から手を叩く音がしたのでそちらに顔を向ける。笹部さんだ。
「はーい。みなさんお楽しみのところ申し訳ありません。ですが、さっきお伝えしたことを感じて頂けたでしょうか」
彼の言う通り、シェアをきっかけにハジメさんとの話は盛り上がった。周りの参加者も笹部さんの言葉にうなずいている。こうやって実際に体験させられるとやっぱり説得力があるな。笹部さんは続ける。
「会話はキャッチボールって言いますよね。それは相手の言葉や印象を拾うからです。キャッチボールだから参加者みんなで楽しむって意識を持ってみてはいかがでしょうか」
なるほど。これまでは自分が何とかしなくちゃいけないと思っていたが、会話って相手の助けを借りても良いものなんだな。変なことを言ってはいけないという意識が強かったかもしれない。
それからは、人の話の聞き方や、自分の主張を上手く伝える方法など明日から職場で実践出来そうな内容の講座だった。一時間半を過ぎた時には「えっ、もう終わっちゃうの?」という気分になった。今日、誘ってくれた青山には感謝だな。
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