大会中ですが森保評を③

ドイツに勝って、コスタリカに負けるチームがスペインに勝てるとは予想できません。まずは選手の皆さんおめでとうございます。勇気、感動をありがとうございました。


サッカーはW杯や各大陸の大会のように短期決戦、トーナメント式の試合もあれば、予選やクラブチームのリーグ戦のような長期決戦がありますん。ですからドイツやスペインに勝てる可能性はゼロではありません。挑戦者側の勝率なんてプロ同士ですからゼロという事はあり得ません。カタール大会でその日本の勝ちがきたとみることはできます。そうみるのが今の日本代表の実力からすると自然です。ですから勝ちを喜んでないわけではありません。


前回大会だったでしょうか元代表監督の岡田氏が、正確には覚えていませんが、 「日本には『コイツが監督だったら代表チームは応援しない』という人がいる」 「日本人は Emotion(感情的) と Function(機能的) がごっちゃになっている」 「外国では監督のことが嫌いでも、それと代表チームを応援することは別で、熱狂的に応援する」 というような内容を話していたと思います。凄く共感した記憶はあります。
 実際私の代表もクラブもサッカーの応援スタンスもそうです。自国を代表してジャンルを問わず、世界の舞台で活躍している人を喜ばない、誉に思わないという事はないです。勝って素直に喜べといわれますが強要はしないでほしいのです。喜び方は人それぞれですし、サッカー、スポーツに興味がない方もいますから。私自身はカタール大会のGLの組み合わせが決まった時点で突破は厳しいと冷静に思っていました。でも今回大会で強豪に2勝したので感動しました。
 でもはそれそれなんです。勝って兜の緒を締めよということわざもありますが、勝っている時こそ油断はしてはいけないと思いますし、日本の今大会の目標は今までたどり着いたことのないベスト8以上です。本来の目的は次のクロアチア戦に勝ってようやく達成されるのです。それにいくら最終的な結果のでる今大会がいいものだったとしてもファンクションの部分は見直す必要性はあると思います。
 何度でも意見を述べます。JFAがW杯優勝を目指していると公にしています。つまり勝率をあげなくてはいけません。リアクションで強豪に勝てるようになってきたのならアクションをこっちで起こせるようにしたい。そうして勝率を上げたいのです。今日の勝ちを喜ぶだけではダメだと思います。
 代表チームの批判をするのは結構。大いにやるべきです。 勝っても負けても何の批判もされない代表チームでは不健全ですのし、勝因と敗因分析が常にできている。しかもそれが日本サッカーという軸の中で成長と改善をし続ける。批判と非難は違います。よく負けた時のSNSで誹謗中傷をしているのを見たりします。でも、それは非難です。良し悪しを感情に頼らず否定してしまえばただの非難です。批判はするけど応援はする。
 これが強国で育まれたメンタリティーな気がします。その意味では日本人はまだまだサッカーにおいては発展途上国です。このような日本人のメンタリティーを変えていかないと、日本は永遠にサッカーの強豪国になれない気がして仕方がありません。
 戦術や戦略は森保監督にあったのか?監督は4年間ずっとやってきたと言っていますから恐らく本人の中ではあるのでしょう。でも選手側はない・少ないといっています。彼らがやっている欧州クラブでやっているほどのモノはないのでしょう。戦術の好みや日本人への適性は正直言って人によって違うと思います。でも近頃、サッカーの戦術などについての記事や動画などで「再現性」というワードがでてきます。これはひとつ考えないといけない要素です。

「再現性」の意味
そもそも、「再現性」とは一体何なのでしょう。

『科学実験などにおいて、所定の条件や手順の下で、同じ事象が繰り返し起こったり、観察されたりすること。』

と辞書では書かれています。
サッカーでは選手の配置や動き、崩し方が攻守において何度も見られるのが再現性だといえます。再現性に関するよくある反対の意見として、「再現性があると同じ光景が繰り返されて面白くない」というものがあります。

確かに、人間というものは同じことが繰り返されると飽きてくるものです。
お笑いや音楽などで流行り、旬が過ぎるというのはそういうパターンが慣れてしまうせいからかと思います。

しかし、「再現性がある」ことと「ワンパターンであること」は、イコールではありません。むしろその逆です。

そもそも「再現性」は「同じことが繰り返される」ことだと述べましたが、それはどういう意味なのでしょうか?

ここで繰り返される「同じこと」というのは、「全く同じ光景」という意味ではありません。「本質が同じ」という意味です。サッカーにおける「再現性がある」というのはそうではありません。シリーズものドラマや長く続くマンガで話自体の起承転結やプロットが同じでもつまらないとはなりませんよね?面白いから連載されたり、シリーズの続編が発表されたりします。
 「再現性」と「つまらなさ」はイコール関係ではないのです。
日本サッカーに拠り所となる戦術・戦略があれば上手く行かない時に立ち戻れます。でもそういったベースの戦術・戦略がないとなぜ上手く作戦がいったか、いってないかの是非がわかりません。 
 今まで多くの外国人監督を招聘していきました。でもそれぞれが日本にもたらすサッカーは方向性が一貫していませんでした。それが再現性が必要な理由なのです。



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