けん玉の達人で人生を謳歌できるのか
ホリエモンが、ある対談で、けん玉とかニッチな分野であっても、そこで世界一になれれば一生食っていける、みたいな発言をしていた。
これは、教育のあり方を論じている文脈で出てきたもので、下手に義務教育で学ぶべきものを一方的に押し付けても身につかず、自分の好きなことを主体的に学ばせたほうが良い、というような意味で言われている。
本当にそうだろうか?
ホリエモンのロジックを推測すると、けん玉チャンピョンになり、instagramやYou Tubeやその他SNSなどでけん玉に関するスゴ技やトレーニング方法などで、けん玉ファンを囲い込み、コンテンツ販売や、スパチャや、イベント、スクール運営などで稼げる、というようなことなんだろう。
ネットであれば、世界にファンを持てるからけん玉よりマイナーなものでも食えるくらいの収入が得られる、と。
たしかに、それは可能だ。
ホリエモン曰く、収入だけでなく、より重要な承認欲求も満たせるのが素晴らしい!という。
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しかし、仮に日本だけを考えてみるとして、1億2000万人分にそのような領域があるだろうか?
けん玉じゃなくて、一輪車とか、お手玉とか、カレー早食いとか、いろいろな領域があるのかもしれないが、
1億2000種目あるか??
それは、ない。
だったらどうするか?
おそらく、人々の性向が多様であることが解決の糸口だろう。
つまり、ファンの頂点で脚光を浴びるキャラは一部で、その周辺で、もっとお硬い固定収入の仕事を疲弊しない程度で行いながら、そうしたニッチなゲームに参加するような人々が多数いる、ということ。
人のリスクとリターンを好むバランスはまちまちだ。
つまり、承認欲求、金銭的収入、仕事の定型度などの領域でどれを好むかで分散していく。
けん玉の例でいえば、世界中に1万人はその頂点の人を中心にしたゲームに参加する人はいるが、トッププロは数十人くらいで、残りはサラリーパーソンをしながら、安定を確保し参加する。
それでいえば、日本で12000種類の種目があればいいことになる。
平均3万人のゲームなら、4000種類でよい。
これは現実的。
であれば、たしかによい流れにあるかもしれない。
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