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宮崎駿「君たちはどう生きるか」を観た感想五点

みなさん、もう観ましたか?

ずっと期待していた私は、早速鑑賞してきました。

以下、他の人の感想を見る前にファーストインプレッションを書きたい。皆さんも是非、他人の解釈に引っ張られず、自分が直観的に思ったことをまず言語化してみてください。

(※以下、ネタバレあり)

全体のストーリー

舞台は戦時中。10歳くらいの主人公が、幼い頃に亡くなってしまった母親を取り戻すための冒険ストーリーのような出だしで始まる。

死んだ母親に似た父親の再婚相手を探して塔を象徴としてた謎の異空間に迷いこむ。そこに迷い込んだのは謎のアオサギに母親が実は生きていると唆されたから。そこで主人公は、継母と実母を探し求めるが、その空間は多世界にまたがって存在している。母親やその妹(継母)、現実世界のお手伝いさんの過去みたいな人たちと出会い、大祖父から世界を託される。ようわからないが、なんだかんだで継母と一緒に現実世界に戻ってくる。

前提知識なしの面白さ

まず、第一に、
何の前提知識も入れずに(というか、宣伝なしだったので)映画を鑑賞することはもしかしたら初めてだったので、

それ自体が新鮮な体験であった。

どんな舞台設定なのか?どんなキャラが出てくるのか、どんな絵のタッチなのか、全くわからない。
わかるのは、あの謎の鳥のポスターだけ。

そういう状況の中で、映画が始まり徐々に世界観がわかっていくという流れ自体が一つ楽しい経験であった。

無意識の形象化

宮崎作品らしく5歳の子どもが体験するような想像と現実が混じり合った夢の中の世界が存分に作られていた。

宮崎作品に共通するような、よくわからないが何かわくわくどきどきさせる背景やキャラの絵も満載。

これは、村上春樹のような作り方をしているのではないか。つまり、何か言いたいこととか主張があるというような確固たる言語的な制作方法ではなく、自分の無意識に下っていくような形で瞑想し、心の奥にある謎のイメージを絵にし、最終的に言語化していくような感じ。

だから、作者は何か狙ったメッセージがあるというより、脳内イメージをできるだけ形にすることに注力しているので、その解釈は十人十色になるのではないだろうか。

もしかしたら、かなり綿密にいろいろなメタファーとして構成されていたのかもしれないが、ぶっちゃけあまり深い言語化されたメッセージはつかめなかった。

母親という生の柱


生きている上で、母親の存在のというのは誰にとってもとても大きいのではないか。それは、子供の頃の愛情とかだけではなく、大人になっても心のなかで何か自分を規制するようなものまでも含めて。

一見、最初は母親に対する愛情や欲望のようなものが中心になるかと思っていたが、そうではなかった。
ただ、最終的に子どもの頃の母親と交流し、現実世界に戻るが、それをどういうふうに解釈すればいいのかよくわからなかった。
舞台設定的に1941年生まれの宮崎駿が主人公に自身をあてはめていることは想像できる。

話は逸れるが、自分と同年代だったころの母親と交流してみたい、という欲望は多くの人が持っているものなのではないか。

悪意に満ちた世界

1つ言語的なキーワードで印象に残っているのは大祖父のいう「悪意に満ちた世界」というもの。

でもこれが何を意味するのか、

掴みきれず。

**

正直、途中で違うこと考えたりして、聞き逃したセリフとかもけっこうあったので、また機会があったら観てみたい。






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