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大人がクレヨンしんちゃんばりに「お〜」といいながら世界を楽しむことは可能か

宮崎駿のアニメ制作の根底にある考え方は、「五歳児は天才」ということだ。五歳児からみたら世界はまだ固まっておらず流動的、未知のもので溢れていていろいろな解釈が可能な輝きに満ちたものである。

僕は最近もうすぐ2歳になる姪っ子とたまに触れ合う。

めちゃくちゃかわいいのだが、観察していると本当に面白い。ただのキーホルダーやボールやぬいぐるみをもたせるとずっといじっている。いろいろな角度からみたり、つんつんしたり。

そして、クレヨンしんちゃんみたいに「お〜」とか言ったりしているところは本当に萌える。

そういうかわいさはおいておいて、なんでも新鮮で、新しい体験として世界を体験しているということに僕は感銘を受けた。

子供は、まっさらな白紙状態で生まれてきて、世界からの五感を通じて沢山の情報を受け取り世界を形成していく。言語を覚えることで世界を一貫性あるものとして形作っていくのだ。これの初期段階では、まだまだ未知なものが多く、人生は「冒険」のようだ。

大人になると大体のことは経験済、或いは経験済という先入観があり毎日クレヨンしんちゃんのように「お〜」といって過ごすことはなくなる。

これは構造的なことだ。

さて、子供の世界が楽しい冒険というのを前提に考えると、大人はそれに戻れるか?という疑問が湧いてくる。

今、われわれは地球という世界には慣れ親しんだ。

しかし、もし火星やどこか違う環境に行きより知的レベルの高い生物と交流することになれば、クレヨンしんちゃんばりに「お〜」を連発する存在に戻るのではないか?

あの、何の感動もしないおっさんが、またあらゆる体験に感動する生に戻ることができるのではないか?

しょうじきそれはわからない。子供はゼロからのスタートだったのに対して、大人は既に沢山の経験をしてしまっている。そこから新しい対象に触れても前の世界観でそれを体験するのかもしれない。

いずれにしても新しい体験に感動しながら生きていきたい。

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