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『そのとき、日本は何人養える?』を読んだ

以前、このnoteで、日本が鎖国したらどうなるか書いたときに、篠原信さんの記事(note)を参照させていただいた。

その篠原さんの著書『そのとき、日本は何人養える?: 食料安全保障から考える社会のしくみ』が先日発売されたので、早速読んだ。

率直な感想としては、さきほどのnote記事の内容から重要な点は出尽くされている感があるので、あまり新鮮味はなかった。また、そのnote記事のポイントの基となる分析が詳細にあるのかと思いや、深い考察やデータはそこまでなかった。(もちろん、それ以外のトピックもあり購入の価値はあるが)逆に先のnoteが超有料級の内容になっているといえる。

私達は石油(で作られた米)を食べている?

とキャッチがあるが、これが本書の趣旨といえる。

一見、日本は米を沢山作っているのだから食料自給率が高く、有事のときに鎖国状態になっても生き延びられるような幻想を持ちがちだ。

しかし、実際、農作物を作るには、化学肥料や輸送のために石油などのエネルギーが大量に必要であり、今の生産性で農作物を作るには莫大な資源が要る。

石油を安く買えるのは、日本が工業製品など世界が求めるものを輸出しているからであり、そういう経済的強さがなくなれば、石油を大量に輸入したり、それを利用した生産性の高い農業もできなくなる。

本当に鎖国しようとしたら、江戸時代の生活に戻らなくてはいけなくなり、その場合3000万人くらいしか養えなくなるらしい。でも、今の生産性の技術があるからもっといけるかと思いきや、それらの技術は全て石油が前提になっているので、使えない。

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2点、興味深い箇所があったので、コメントしておきたい。

1つ目は、雇用について。

昭和の時代でも、人は余っていた。しかし当時の経済人は、経営が苦しくても働く人の生活を守ることが消費者を守り、ひいては社会を守ることになるという意識を持っていた。

現代において、雇用というと、なんとなく、企業が商品やサービスを作るための材料であり、コストのような考え方をもってしまっている人が多いのではないか。

しかし、「消費」があるから、企業の商品が売れるという広い視点でものをみれば、雇用を守りそのような状態を作ることも企業の責任であると考えることもできる。松下幸之助さんなどはそのように考えており、昭和ではそういう人も多かったようだ。

自由主義的な資本主義からは出てこない発想だ。

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次に、本書の締めくくりで書かれている提案。

農業や生活インフラを担う「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる人たちが、世界中の人々を養うのに十分な食料や生活インフラを提供してくれるならば、あとはインターネットなどのバーチャルな中で経済を回すことで、すべての人が雇用され、バーチャルなゆえに省エネ、省資源な形で経済を回せ、みながそこそこ幸せにいきていける社会が実現できるかもしれない。…もしエネルギー収支、物質収支、そして地球環境の保全のうえでも無理がないのなら、こうした社会を実現するために、みなの知恵を集め始めてもよいのではなかろうか。

これ、私自身も同じことを考えている。

エッセンシャルな仕事は、世界で協業して、最も効率のよい形で最低限の配分を行い、そのライン以上については激化した競争を行えばいい。

ある種の世界的なベーシックインカムのようなものだ。

ここは、物理的な農作物や資源を扱うので、そこまでコミュニケーションの齟齬は起きないだろうから、しっかりと目的を合わせれば可能性はなくはないのではないか。

ただ、世界を1つのシステムで統合すると多様性が失われ、外的なショックに弱くなるので、様々な工夫が必要であることは間違いない。

今後、そのような可能性を探ってみたい。


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