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和歌の57韻律は漢詩の影響? 「漢詩影響仮説」の反証材料をあげる

 こんばんは。Sagishiです。

日本の和歌の韻律が5音と7音を基調にしているのは、漢詩が5文字と7文字だったからだ」という俗説をたまに見かけます。

 一見それっぽい主張で、昔の文学者の小論にも上記のようなことが書かれていることがあります。

 果たして、この俗説は正しいのでしょうか。この記事では、この俗説を「漢詩影響仮説」とし、反証となる材料をいくつかあげていきます。


1 57韻律に固定されていない歌謡がある

<原文>
三吉野之 耳我嶺尓
時無曽 雪者落家留
間無曽 雨者零計類
其雪乃 時無如
其雨乃 間無如
隈毛不落 念乍叙来 其山道乎

<読み>
み吉野の 耳我の峰に
時なくそ 雪は降りける
間なくそ 雨は零りける
その雪の 時なきが如
その雨の 間なきが如
隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を

『万葉集』巻一(二十五) 天武天皇

 『万葉集』の巻一は「初期万葉」とも呼ばれますが、天武天皇の長歌を見れば分かるとおり、「間なくそ」4音、「隈もおちず」6音、「思ひつつぞ来し」8音など、必ずしも57韻律に固定されていません。

※ただし、「隈もおちず」のような字余りの句は、実際の音声は5音節のように発声されていた可能性が、高山倫明『音節構造と字余り論』(2006)や、井手・毛利『新校注 萬葉集』(2008)などに書かれていると教授がありました。

<原文>
味酒 三輪乃山 青丹吉
奈良能山乃 山際
伊隠萬代 道隈
伊積流萬代尓 委曲毛
見管行武雄 數々毛
見放武八萬雄 情無
雲乃 隠障倍之也

<読み>
うまさけ 三輪の山 あをによし
奈良の山の 山のまに
いかくるまで 道の隈
いつもるまでに つばらにも
見つつゆかむを しばしばも
みさけむ山を 心なく
雲の かくさふべしや

『万葉集』巻一(十七) 額田王

 また、額田王の長歌でも、「うまさけ」「奈良の山の」「いかくるまで」「雲の」などの57韻律ではない句が見つかります。

<原文>
夜知富許能 迦尾能美許等
奴延久佐能 賣邇志阿礼婆
和何許許呂 宇良須能登理叙
伊麻許曾婆 和杼理邇阿良米
能知波 那杼理爾阿良牟遠
伊能知波 那志勢多麻比曾
伊斯多布夜 阿麻波世豆迦比
許登能 加多理碁登母 許遠婆

<読み>
やちほこの かみのみこと
ぬえくさの めにしあれば
わがこころ うらすのとりそ
いまこそは わどりにあらめ
のちは などりにあらむを
いのちは なしせたまひそ
いしたふや あまはせつかひ
ことのかたりことも こをば

『古事記』歌謡三

 また、一字一音で書かれている『古事記』の歌謡を見ても、三番歌のように「かみのみこと」「めにしあれば」「こをば」のような57韻律ではない句が見つかります。

 「漢詩影響仮説」の通り、漢詩の5文字と7文字を参照して和歌が作られたとすると、上記のような句の韻律を説明することができません。

 万葉や記紀の頃の、日本語の音韻をより詳細に検める必要はありますが、このような例外があることを鑑みれば、和歌の韻律が、漢詩の直接的な影響により成り立ったと考えるよりは、日本語の韻律体系にもとづいて成っていったと考えるほうが、より妥当であるといえます。


2 漢詩のスタイルと矛盾している

 漢詩(近体詩)の有名な詩型には「五言絶句」や「七言律詩」などがありますが、基本的に1つの詩歌のなかで音節数は統一されています。

白髮三千丈
縁愁似箇長
不知明鏡裏
何處得秋霜

『秋浦歌』李白

 「漢詩影響仮説」の通りに、もし和歌が漢詩のスタイルを参照したとするのなら、和歌は「57577」ではなく「5555」や「7777」のように、音節数が統一されているべきです。

 「いや57の長短律になっても不思議ではない」と言うひともいるかもしれません。しかし、比較言語的に世界の定型詩を見てみると、漢詩、古英詩、ソネット、テルツァ・リーマ、アレクサンドラン、ルバーイーなど、基本的には長短なく音節数、句の時間長が揃えられる傾向にあります。

 「漢詩を参照しているのに、長短律になった」というのは、そう簡単に起きることと考えるのではなく、より重要な事実と捉えるべきです。

 旋頭歌や仏足石歌、後世においては都々逸など、派生する歌形式においても5555や7777のように統一された形式はなく、日本語の歌形式は例外なく57韻律を取り入れています。

 なぜ日本語の歌謡が長短律(57韻律)を必要とするのか、その理由は明白ではないですが、和歌が漢詩の形式を真似したというよりは、日本語の歌謡特有の理由があって長短律が必要とされている、と考えるほうが妥当ではないでしょうか。

 また、和歌には漢詩のような平仄のルールや押韻が取り入れられていません。漢詩の影響を受けたとするなら、なぜ韻律だけを取って、平仄や押韻を取り入れなかったのでしょうか。

 押韻に話を絞ると、歴史的に振り返れば、日本語の歌謡において脚韻はほとんど発達してこなかった表現方法になります。が、それは日本語において脚韻すること自体が困難であったから、というわけではありません。

ふしのやうかるは木の節
萱のふし
わさびの竪のふし
峰には山伏
谷には鹿の子臥し
翁の美女婚り得ぬ獨ふし

『梁塵秘抄』382番

わがやな 綠の絲 なるまで
見なく慨 懸けて組みた

見まくり欲り我が思ふ君も過ぎにけ
なにしか来けむ馬疲るる

『歌経標式』

 『梁塵秘抄』や『歌経標式』には、脚韻されている和歌が見つかります。もし漢詩に倣ったというならば、もっと脚韻されている和歌があっても良いはずですが、そのような和歌は非常に少ないです。その少なさを鑑みるに、むしろ脚韻が避けられていたのではと勘繰るほどです。

 漢詩の影響を受けたという仮説は、たまたま都合良く一致する部分だけを切り取ってフォーカスしており、一致していない部分を見ていません。

 和歌は「初期万葉や記紀の時代から徐々に時間を経て、明確な57韻律に収斂していった」のは確かでしょう。しかし、それが「漢詩の音節数に従ったからだ」という「漢詩影響仮説」の主張は、符合する一部分だけを都合良く主張しているに過ぎず、漢詩と和歌の全体の構造としての音節数が一致していないことや、和歌に平仄や押韻のルールが存在しない理由を説明していません。

 和歌の57韻律、57577という構造は、漢詩を真似したのではなく、日本語の韻律体系にもとづいて独自に成っていったと考えるほうが、より妥当であるといえます。


3 漢詩の音声を参照していない

 和歌は「詠まれるもの」であり、「発声される文学」の形態です。

 にも関わらず、「漢詩影響仮説」では漢詩の「文字数」(音節数)は参照するのに、肝心の「音声」を無視しています。「漢詩影響仮説」はそこの理由を説明をしていません。「発声される文学」なのに、漢詩の「音声」を等閑視する理由があるのでしょうか。

 また、仮に漢詩の「音声」を参照していたとしても、日本語と中国語では母音体系、子音体系、音節構造、韻律単位がいずれも異なります。日本語の5音節と中国語の5音節では、発声したときの平均時間長も異なります。

 先ほどの李白の詩の一節と、日本語の「音声」を比較してみましょう。

白髮三千丈
[bak.fiat.sām.tsīan.díang]
※唐代の発音を再現、大島正二『唐代の人は漢詩をどう詠んだか』(2009)より引用

み吉野の
[mi.yo.ɕi.no.no]
※暫定的に、現代日本東京方言の発音で表記

 両者は同じ5音節ですが、見て分かるとおり、音声の成分(ここでは長さ)に違いがあります。中国語の音節構造は日本語よりもやや複雑であり、日本語は基本的に母音に後続する子音は撥音(N)しか来ませんが、中国語はより多くの子音が後続します。

 そのため、中国語の1音節の平均時間長は、日本語よりも長くなる傾向にあります。
※日常会話と歌謡で発声が異なる可能性も十分にありますが、いずれにしても構造的に差異が生まれやすい傾向にあるはずです。

 もし和歌が漢詩の「音声」を参考に詠んでいたとすると、漢詩の韻律に、より近いように聞こえないとおかしいはずです。そうなると、韻律は「57577」ではなく「10-14-10-14-14」のように、より長い形態になっていないと漢詩に近い音を再現できないでしょう。

 和歌が、漢詩の音声や韻律をそのまま真似て生まれた形態ではない、と考えるのは妥当だといえます。


まとめ

 以上の3点から、わたしは「漢詩影響仮説」を俗説の域を出ないものだと考えます。一見はそれっぽい主張ですが、「漢詩影響仮説」は単に5と7という数字がたまたま符号している以上のことは何もいえていない、とわたしは考えます。

 今後も同様の主張を見かけることがあるでしょうが、最低限上記の3点への反論がない限りは、「漢詩影響仮説」は採用するべきではないでしょう。

詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/