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"共同体"や"会社"という虚構を僕らはどのようにアップデートしていくのだろうか?

安富先生、さすがの面白さ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54651

コミュニティというのは幻想であって、重要なのは1対1の関係構築だけだ。

安富先生は言う。

"コミュニティなんてものは、実体化された幻想に過ぎないのよ。そんなものは本当は存在してない。あるのは、あなたを中心にした個々の人間の関係性だけなんだから。それを「コミュニティ」とかに実体化した途端に、急に人を縛りつける暴力性を帯びる。それだと角界やブラック企業と何も変わらないから。"

そして、「コミュニティ」や「システム」から脱却することが容易ではない時代に、システムに所属するか、100%脱却した荒野のような場所で再生産しない状態を保ち続けるかどちらかしかないのか?という問いかけに対して、

“私はその中間を生きているつもり。システムから金や権威をもらいながら、それを使って自らの社会を構築している。「Make a little Space」だよね。その時に大事な心得は、「システムから遠慮せずに資源を奪い取る」こと。システムに貢献したら死ぬだけだから。システムから奪い取らなきゃけいない"

“「自己嫌悪」こそがシステムにとっての最大の資源なんですよ。自己嫌悪がある人間は自分の判断を絶対信じない。自分の好きな友だちのために命を投げ出したりは絶対しない。そういう馬鹿なことはしない。システムの必要に応じるわけだから。自己嫌悪さえ埋め込んでおけば、簡単に言いなりになる。”

さらに、そうした虚構・幻想に囚われないためにも、自分の周りにリアルな社会を作り出すことが重要だという。

"自分の周りに社会がないからこそ、「大きな社会」と称する巨大な力=権力というシステムに対して、絶対服従してしまうんだね。自己価値の決定権を譲り渡してしまうというか。本当はそんなもの存在しなくて、全部ただの共同幻想なんだけど。共同幻想が生み出すシステムに人間がひとりで対峙したら、どうしようもないじゃない。

そこに巻き込まれることを拒絶した時に、ひとりぼっちだったら、何も入ってこなくなる。お金や地位や身の安全を、全部システムが握ってるから。だから「自分はダメだ」と落ち込むんだね。

『メゾン刻の湯』はさ、「自分の周りに社会を作り出す」話なんだよ。そのためには支えてくれる人が必要だし、それ以上に自分が支える相手がいないといけない。この人には自分がいなければいけないという理由ね。"

◯"会社さん"という幻想、そして、サピエンス全史

相変わらず安富先生は面白いなぁと思っていたら、今度はサイボウズ青野社長のこんな記事に出会った。

https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001421.html

“何か意思決定をしようとするとき、つい「会社のためになる」とか「会社にとって」という表現をしてしまうけど、「会社さんはおらへんねん」と彼は言うんです”

“「カイシャの性格」って言ってしまうけれど、「カイシャさん」はいないので、結局その風土を作っているのは、実在する誰かの性格なんですよね”たとえば、それは上司の性格かもしれない。だから、その上司が変われば風土も変わるかも。僕たちが戦う相手はもやもやしたバーチャルモンスターではなく、しょせん同じ人間です。そういう見方をすれば、新しい戦い方を考えられるかもしれません”

ここでも、僕らは会社という虚構に囚われていやしないかという継承が鳴らされている。

この二つの記事を読んで、頭に浮かんできたのは、そう、ユヴァル・ノア・ハラリの大著サピエンス全史。

© YasuhiroK

7万年の歴史を紐解きながら、人類を人類たらしめたのは認知革命に端する虚構構築能力、つまり、現実には存在しない虚構を創り出し、それを信じ込むことで大勢が協働する能力だという痺れる名著。

貨幣、国、宗教、法律 etc…およそ現代社会を成り立たせている(そして、我々の多くが普遍的だと思い込んでいる)制度や仕組みでさえ実は虚構に過ぎないのだという。

ハラリ氏自身もインタビューなどで述べているように、虚構というとネガティブなイメージを持ちやすいが、別に虚構そのものが悪いわけではなく、むしろ虚構があるからこそ人は秩序をもって生きていけたり、新たな虚構を生み出すことによって文明社会を発展させてきたのだと思う。

問題は、それが作り上げられた虚構でありフィクションであるということを我々が忘れてしまうことだ。

まさに、

“会社は人の幸せのためであったが、そのために不幸になる人がいる”

という青野社長の言葉がそれを端的に指摘していると思うが、

時代の変化とともに、フィクションとしての制度や仕組みが一人一人の生きる感覚とズレてきたり歪みが生じてきた時に、次の新たな虚構を妄想できなければ、負の遺産としての虚構に囚われてしまう。

◯次の新たな虚構は、自分の周りから?

そうなると、いかに新たな虚構を生み出す妄想力・想像力を解き放つかというのが次の命題になるわけだが、

資本主義のほころびが露わになり、経済成長が幸せをもたらすという大きな成功ストーリがもはや幻想だ多くの人が気付き始めてしまった現代は、画一的な大きな物語(フィクション)の時代からの転換期と言えるだろう。

ここで改めて、冒頭の安富先生の「自分の周りに社会を作り出す」という言葉が身にしみる。

つまり、時代遅れになった虚構をこれからアップデートしていくのは、おそらく、多様な小さな物語だと思うからだ。

インターネットやブロックチェーン、AR・VR技術などによって、確かに地球規模で物理的なキョリが意味を持たなくなってくるかもしれないが、それは世界を一つにすると言うよりは、むしろ、安富先生の言う助け合える”友だち”の物理的限界を広げていくとみることもできるし、

無理に背伸びをして”つながる”ことよりも、等身大の自分の周りの暮らしを大切にする方向へ人々の価値観はシフトしているように思う。

もしかすると安富先生の言う、「システムから遠慮せずに資源を奪い取る」生き方は“自分勝手”に映る人もいるかもしれない。

でも、実は”社会のため、会社のため”と言い聞かせている自分自身が、いつの間にか負の遺産にがんじがらめになっているのかもしれないし、その中から勇気を持って外に出てみない限り、既存のフィクションを相対化し、新たな物語を発想することはできない。

逆説的かもしれないが、きっと、次の物語をつくっていくのは、既存の社会システムに安易に適合せずに”自分勝手”に生きる人たちなのだと思う。

自分の選挙投票の見解ですら、精緻なビックデータ解析を通じて容易に操作されているかもしれない時代。正直なところ、社会から断絶した生き方をしない限り、そうした影響を受けずに生きることは不可能だ。

でも、だからこそ、

今、自分たちはどんな虚構・幻想を前提に生きているのか。

そして、その中で今、自分は一体どんなことを心や身体で感じているのか。

ということに耳を傾け続けることが強く求められているのではないだろうか。

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