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わたしの「闇」≒黒歴史 の続き。

この話の続き。というか、今だから思うこと。

仕事の挫折でオーバードーズして死にかけ鬱状態にもなり、とどめの離婚で仕事も辞め、移住をしてきました。

どれも、思うようにうまくいかなかった自分に対する「現実逃避」ではあったのですが…。

移住をした時は、一度(精神的に)死んだけど、生き返ろうと思っていた。

移住するって案は多分、空っぽになったわたしから出てきた、生き残る唯一の手段だったのかな、と思います。

さらに今だから思うのは、(というか当時も直感でそうしていたのだと思うけれど)、あのまま親や私に味方してくれる優しい人達の中にいたら、きっと自分の正当性を主張しつづけ、相手や出来事を恨み続けるだけだったし、周りに優しく大事に扱われることにどんどん慣れていって自分がダメになってしまっていたと思います。

自分で被害者意識を持ち続けて、「私ってかわいそう・不幸」っていう注目を集めるのって、実はすごーく癖になる。

「私は被害者だーっ」て騒いで、「死ぬほどつらかったの」ってアピールして(無言でわかってってオーラ出すのもアピール)、そのうえで巧妙に、自分には何の落ち度もなかったのにって立ち場で居続ける。

そりゃあ、一度くらいは偶発的にそういう目に遭うこともあるかもしれないけれど、人生で度々そうやって騒いできた自覚がある私は、あのままだったら、多分ずーっと、そこから抜け出せなかったと思います。

根底にあるのはやっぱり、「承認欲求」だな。

誰かが間違っていて私が正しい。

誰かが酷くて、私が可哀そうで被害者。

そうやって人と比べて自分の承認欲求を満たすことに自分の「不幸」を使っていたと思います。そして、そんな自分が嫌だから(←ここは当時無自覚無意識)、環境を変えなきゃって動いたんだと思う。


と、ここまで書いてきてまた一つ浮かび上がってきた。

「こんなずるがしこくてこざかしいわたし大っ嫌いだ」

「しかもそれって結構最近までやってた気がする…」


玄花さんの遠隔エナジーワーク受け取り後の特典動画を観て、自分の中で「自己否定」していることを思いつく限り書き出してみたんです。

その後にした「JUYO」は、今までJUYOした時よりずっと深くに入って、すっごく重たく感じたけど、つーっと涙が出たのとともにものすごく軽くなった。

でもそれで、おわりと思っちゃいけないんだなぁ(苦笑)

ただ、それがあったから今、ちょっと前だったら絶対認めたくないし書きたくもなかった自分の「闇」の一部を、こうして書けてるんだな、とも思います。

まずは、自分で自分を否定していることに気づくしかないんだよな。

でもいつも、その前にそんな自分をかき消そうとしたり、直そうとしたり、ごまかしたり、拗らせて蓋をしてきたからこんなにため込んだw

もう何が出てきても怖くない(いやこわいけどw)

観念するしかないw

けどこれ、一人じゃ到底できない作業?だなぁ、と思う。

遠隔やトークライブなど、玄花さんの場にいるから、自分から逃げずに向き合ってみようと思える。

今の私に超必要なこと。

いやぁ、途中、本気で脱落しそうなほど自分に刺さって辛いときもあるけど(苦笑)

自己否定する自分をJUYOすると、それが綺麗さっぱりなくなるとか、いい人になれるとかじゃ全然ないんだけど、今の私には、エゴの私が傷ついたり被害者意識になりかけると、副音声で自分のツッコミが入る感じ(笑)

そして、今までは嫌なこととかあるとその感情一色に支配されてたのが、今は一時怒ったり悲しんだりしたら、切り替わって楽しいことや前向きなこともできたりする。

これも、以前は周りの「どうしたの?大丈夫?」を無意識無自覚に一身に浴びようとずっと感情を引きずっていたけれど、今は腹が立ったり傷ついたらその対象にちゃんと言う、それがかなわないなら気分転換の方法を考える、ということを意識するようになったからかも。

目的は、人から承認されることじゃなくて、私が常に幸せな気分でいること。

それでもまだハマりそうになることもあるけれど、そんなこんなを試しながらの日々です。

今日は自分へのメモのかねて( ..)φメモメモ


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