下流志向(2024年10冊目)
こんな人におすすめ
今なぜこうなっているんだ世の中は!を知りたい
自分が頭を使ってないとか、頭が良い人がいるなぁ、と感じたい
自分と他人の固定観念に気づきたい
よりよい人生を生きたい
なんだろ何が目的で本を読むのか
読書マラソンとか、note週一アップするとか、何か決めたらやりきりたくなる。一方で、雑にとりあえずやるよ、はできるだけ避けたい派。
軽い本をサクッと読むのは、一冊読んだ気になる。一方で、大学院の頃読んだような太くて難解な本は、一度では意味がわからず、何度も読むから効率悪い。ような気がするけど、中身は濃くて、結果的に長く役に立つ気もする。
この本は、平易に書いてあるけど、結構じっくり味あわないと、なかなか理解できない。だから、歯ごたえがあるよな。これ書かれたの2007年だって。すごいなほんと。もっと早く見てればよかった今更ながら。
読もうと思った理由
副題は、「学ばない子どもたち 働かない若者たち」。おぉ、結構その感覚はわかるなー。人が勉強しなくなった気がしていて。それがなぜなのかと思ったから。もちろん、トップ層は優秀だしガンガン勉強したりチャレンジしたりしているのは知っている。ただ、逆サイドを見た時に、すごいことになってるなぁと感じる場面も多い。
例えば、職場のスタッフと話していて、一切本を読まない層がまぁまぁいる。携帯ニュースやマンガとかは見るけど、本は読まないそうな。。。
ちなみに、今の大学生は、いわゆる一般的な受験で入る人は半分くらいで、残りは指定校推薦とか、AO入試だったりするらしい。指定校推薦の場合は、優秀層の集まる進学校にいくと当然成績を良くするのが大変なわけで、下位校で良い成績とった方が効率よかったりする。
よくも悪くも受験を通して一定程度の勉強量は担保されてきたわけで、今の少子化もあいまって、学校側も生徒の確保に必死であり、とりあえず指定校推薦で枠を埋めておかないと、安心できない。なんだかな。。
俺的にヒットした所
わからないことがあっても気にならない
どうやら、意味がわからない言葉があっても、気にならないから、スキップしてるようだ。それは、自分の知らないことは存在しないこととして取り扱っていることで、何となくそれは感覚的にわかる。
例えば、道を歩く人は存在してるけど、景色のように扱われてる印象。人の目を気にしない。電車で化粧したりとか大声で騒いだりとか。
で、自分が知らない、わからないと自覚がなかったり、あっても気にならない感じ。これは子どもに限らず大人にもあるなぁと。別に困っていない。ううむ。。
子どもに年長者に対する敬意を教えようと思ったら
ああ、なんで子どもたちは言うこと聞かないんだろう。彼らのためを思って言っているのに。ただ、彼らは俺を見ているんだなと。俺が他者をバカにしてたら、子どももそう見るよな。ただしく物事を伝えたいけど、言葉にした瞬間に、それは彼らのフィルターを通して彼らのものになるから、思ったとおりに理解されてない可能性が結構ある。なかなか難しい。
なんか昔デパートで働いてた頃、よく言えばピュアで自分が組織を引っ張らなきゃとリーダーシップを取ってて、ヌルいメンバーを詰めまくってた頃がありました。。
なんなら先輩や管理職にまでぶっ込んでた。幼かったです。。。でも本気だったから、同期でも先輩でもガンガンいってた。仕事中泣かせてた。こっちは正義感で、やることやってるから、誰も文句言えない。相当傲慢だった。必死でもあった。こんなレベルじゃいけないと。
退職して、転職して、逆に自分も頭を打たれて干されたり詰められ、彼らの気持ちがわかった気がする。当時は独身で仕事に全振りできたけど、結婚して子どもが産まれたら、そんなにできないとか、そもそも仕事オンリーじゃないし、他にやりたいことあるしとか。でもそれもわからなかった。そもそも能力や意欲も違うわけだし、そんな多様性すらわからなかった。
何年かして、元職場のメンバーと話した時に、謝罪した。伝わったかな。わかんないけど、風の便りに俺が詰めてた後輩は、偉くなって部下を詰めているときいた。とても複雑な想いだ。彼は彼なりに本気でそれが良いと思ってやっているのだろうと思う。
はぁ、人は人を見て学ぶ。
自分もその意識を持って、改めて背筋のばそう。修行なり。
自己責任を引き受けられない「弱い主体」も自分である
自分が弱くなることを想定しているだろうか。強い時は自己責任でよいけど、年取ったり怪我したりしたらどうするのか。誰かに面倒見てもらうのか。
アラフィフになると、できないことも結構増える。目が見えにくいとか、疲れが取れないとか。20代とハンドボールやると、俺も昔はあんな感じでいつまでも飛んだり跳ねたりできたなぁと。自分を労らないと、持たないのです。何人か試合中にアキレス腱を切る人も見てきた。弱ってくるわけです。
そしたら、若くて元気でいけてる自分がいつまでも続くわけないのだから、できると自覚があるうちは、人にgiveする自分でいたいと思うのです。
コミュニケーションとは
わかることが増えているにも関わらず、わからないことも増えているなぁと実感する日々。わからないことがわからない状態で、47歳まで生きてきてる。うわすごいな我ながらヤバいww
コミュニケーションは、本来「わかること」だけをやりとりするのではなく、「わからないこと」を「わかること」に組み入れてゆくこと。自分自身の「わかること」の領域を押し広げてゆくこと。ジョハリの窓みたいだな。
振り返ると、コミュニケーションが得意と思って生きているけど、もっと精進できることがたくさんあるな。。。恥ずかしい。チューニング能力を磨く。
ところが、これが結構難しいな。理屈と感情。バランスとること。
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