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理想の大人像、思っていたのと違った

6月のある夜、新幹線でスタバのコーヒーを飲んだ。アイスのキャラメルマキアート、トールサイズだ。

私には、小学校高学年の時から思い描く理想の姿がある。スーツ姿で新幹線に乗り、コーヒー片手に窓に映る景色を眺める。実に大人っぽい。

スーツ姿というのも、就活の時のような真面目さはいらない。かといって、吉本新喜劇に出てくるチンピラみたいに、黄色や赤色のスーツは個性がありすぎる。俳優の三田村邦彦さんのような、大人の色気を醸し出すスーツ姿がベストだ。

淡いピンクのポロシャツに、紺色のストライプのズボン。普段、スーツを着ない私にとって、最大級のおしゃれを演出した。生まれたての子鹿のようだと評されるガリガリの体が、いっそう引き締まる。

コーヒーも、本来はホットのブラックが理想だ。けど、24歳の私の口には合わない。クリームたっぷりのフラペチーノが大好きだが、理想の大人から学生になってしまう。中身が見える透明のカップが、大人の色気を消し去るのだ。

中身が見えないカップかつ、お子様口の私に合う飲み物。それがキャラメルマキアート。東京駅の改札内にあるスタバで、私は理想の大人像に近づく準備を整えた。

「ホットにしますか、アイスにしますか」

二十代半ばくらいの女性店員の質問は、理想の大人になろうとする私にとって愚問中の愚問。ホット一択に決まっているだろうと思ったと同時に、「アイスでお願いします」と口にしてしまった。

20時近いとはいえ、6月の東京は暑かった。太陽も月も見えない駅構内を、ムシムシと体にまとわりつく暑さが支配する。

10分前までお土産探しに奮闘していたこともあり、喉も口もカラカラ。背中には汗をびっしょりとかいている。理想と現実を天秤にかけることもなく、アイス一択だった。

氷がカラカラと動き、カップが冷たい汗をかいている。もう我慢の限界だった。車内に身を投じてから口にしようと思っていたのに。1口だけ。1口だけ飲んで、体に潤いを与えたい。

ゴクっゴクっ。冷たい液体が口に広がり、喉を伝う。

う、美味すぎる。目を瞑って天を見上げ、言葉になっていない声を出す。

スーツを着ているおかげで大人っぽく感じる。ウキウキ、ドキドキするような大人の感覚。

この感覚を求めていた。大人っぽい、カッコいいと評される姿。一仕事終えたことを伝え、スイッチをオフにした姿。学生時代には味わえなかった、優越感に出会うことができた。

ただ、長年の妄想が徒となったのか、思いのほか満足感に包まれることはなかった。新作のゲーム、ドラマを何日も心待ちにした結果、いつも以上の落胆に襲われた時と似ている。理想と現実の狭間。期待値の上昇を把握できなかった。

理想の大人像は、嬉しさと同時に苦しみに似た虚無感を伴うことが分かった。お金さえ出せば手に入れられる状況。子どもの時は、これほど簡単に手に入るとは思っていなかった。だからこそ、理想の姿を描いていた。

新型コロナが猛威を振るう直前の成人式、誕生日で大人の仲間入りを果たした。ボーッとしているだけで、大人の仲間入りを果たせた。準備は整ったはずだった。

あれ? 思っていたのと違う・・・。

これまで、年に2度ほどは新幹線に乗ってきた。甲子園に行ったり、ドラフト会議を観に行ったり、なんばグランド花月にも行ったりした。

その時、必ずと言っていいほどスーツ姿の男性がいた。コーヒー片手にどこかへ電話する姿。車窓を眺め、私には見えない世界を感じている姿。パソコンをカチャカチャやっている姿。

私服の私には辿り着けない、理想の世界。見れば見るほど期待値が上昇していく。誕生日や成人式が大人への仲間入りじゃない。スーツ姿で新幹線に乗り、コーヒーを飲む行為こそが大人の仲間入りだと信じていた。

こんなものか。いや、車内でコーヒーを飲めば雰囲気が違うはず。

私は俯きながら、ホームへと伸びる階段を上った。1日の疲れを考えれば、確実にエスカレーターを使いたいところ。けど、この時だけはエスカレーターに乗るという選択はできなかった。

苦労もなく、スムーズに目的を達成してしまう恐怖と虚無感。まるで、簡単に大人になってしまった私の人生を表しているような状況。1歩1歩、階段を自分の足で踏みしめないといけない気がした。

私もマキアート入りのカップも汗だく。こんな姿、恥ずかしくて誰にも見られたくない。

***

ホームに着くと、新幹線がすでにスタンバイしていた。20時ちょうど発の「のぞみ89号」。私は息を整え、理想の大人になれることへの嬉しさを再確認した。

迷うことなく予約した座席に到着し、お土産袋を荷物棚に置く。窓側のE席。テーブルを出し、汗だくのカップを置いた。続けて、リクライニングをわずかに倒した。準備完了だ。

「~発車まで2分ほどお待ちください」若い男性車掌と思われるアナウンスが響いた。疲れをほぐすような優しい声。車内の柔らかな明かりとともに、1日頑張ったことを実感させてくれる。ちょっぴり汚れたスーツも、疲れを実感しているようだった。

周囲には、スーツ姿のサラリーマンや家族連れ、学生と思われる集団でいっぱいだった。ガタガタと音を立ててキャリーケースを荷物棚に置く人がいれば、シャポッとビールを開けた音もする。私の隣の席には誰もいない。

ゆっくりと新幹線が動き出し、明るい光に照らされたホームに別れを告げた。窓には私の地元にはない高層ビルが映り、20時ということを感じさせないほど明かりがついている。

よしっ、今だ! 大人への仲間入りを果たします。

汗だくのカップを右手に持ち、ゆっくりと液体を流し込んだ。あくまでオシャレに、そして優雅に。口の渇きに負けて勢いよく飲んでしまえば、お子様のままだ。

冷えたキャラメルマキアートが口の中に広がり、喉を潤した。3口ほど飲んだ後、ゆっくりとカップをテーブルに戻す。よしっ、一連の流れは完璧だ。

目を瞑り、周囲から注がれていてほしい視線を浴びているフリをする。理想の大人になった自分を、多くの人に見てほしい。

ほらっ、カッコいいでしょ。就活生と新喜劇のチンピラの間。三田村さんには追いつけないけど、それっぽい姿にはなっているはずだ。

私はすぐに目を開け、車内の柔らかい明かりに迎えられた。

あれ? やっぱり思っていたのと違う・・・。

薄々勘づいてはいたが、地元のイオンでスタバを飲む時と大きな変化はなかった。キャラメルマキアートの味は変わらないし、遠くの景色は暗くて見えない。

私はなんてバカだろう。少し考えれば分かることなのに、大人ぶってしまった。見せかけの大人にコスプレしただけだ。

できる限り、新幹線に乗車する時はE席を選択している、それは、私服であっても窓に映る景色を眺め、理想の大人に近づきたかったから。

新大阪から名古屋に帰る時は、清洲城が見えると旅が終わることを実感する。名古屋から東京に向かう時には、富士山が見える。移動のルーティンになっていた。

けど、実際には違う。私は富士山より、ボートレース浜名湖が見えた時の方がテンションが上がる。普段、ギャンブルはやらないが、心をくすぐられる。

富士山はというと、70%の確率で寝ていて見逃す。富士山の大きさ、誇らしさからパワーをもらって東京に。そんなカッコよくて、余裕を感じる過ごし方はできない。

コーヒーもブラックは口に合わないと言ったけど、カフェインが含まれる飲み物が全体的に苦手。すぐにお腹を下してしまう。牛乳でも同じ事が起きる。

中学卒業まで、給食で牛乳と対峙してきた日々は、本当に地獄だった。そもそも、白飯に牛乳は合わない。お茶でいい。

新幹線にトイレはついているけれど、お腹を下したとなると時間を要する。いつまでもトイレランプを点灯させているのは申し訳ない。

新横浜を出発した辺りでお腹に嫌な予感を覚え、自販機で購入したお茶に切り替えた。テーブルに2つのドリンク。オシャレ、優雅さから遠のいた。

カップから大粒の汗がこぼれ落ちるのを確認しながら、理想の大人になれた自分を振り返った。

ふと、窓に反射した顔が気になる。そこには、いつも通りの私がいた。

***

「~定刻通り、三河安城駅を通過しました」

ハッと目が覚めた。予想はしていたが、いつの間にか寝てしまっていたようだ。窓の外には、見慣れた景色が流れている。もうすぐ、名古屋に到着する。

お茶を片付け、除菌シートで汗だくのカップと濡れたテーブルを拭いた。カップの中の氷はなくなり、カラカラと音を立てることはなかった。リクライニングもゆっくり戻す。

理想の大人像を実現することはできたが、思っていたのと違った。風船がプシューっと縮むように、心にある何かが縮んでいく。

それと同時に、達成感と次なる野望が芽生えた。目的は完璧に果たしたのだ。心の中では、ヤッホー! ハッピーー!って踊っている。スキップしながら自宅に帰ってもいい。

次なる野望は、斜め左前に座っていた男性客からヒントを得た。スーツ姿で、恐らく五十代前半。他にはない、渋さを兼ね備えていた。

新聞を読もう。 それも、スポーツ紙ではなく経済紙を。

男性客は難しい顔をしながら、新聞を広げていた。隣の座席が空いているということもあって、大空へ羽ばたく鳥のように腕を広げている。

小さな文字が並び、見出しも黒色。派手さはないが、カッコいい。

私は中日ドラゴンズが大好きということもあり、スポーツ紙は何度も読んできた。定期購読だってしていた。

スポーツ紙は、ド派手な見出しが売り。正直、近くの座席でスポーツ紙を広げている人がいれば、容易に見出しを読むことができる。

経済紙が生み出すカッコよさ、渋さってなんだろう。スポーツ紙とは違う味、実に大人っぽい。睡眠学習になってしまうだろうが、コーヒー片手に新聞も憧れる。次回乗る時に挑戦しよう。

私にとって新幹線は高級品。年に何度も挑戦できるわけではないが、次の楽しみができたことでワクワクする。

さて、次はどこに行こうか。理想と現実が混ざり合う心地よい居場所を求めて、平凡な毎日からヒントを探す。

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