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有休消化の終わりに

7月末日に働いていた会社の最終出社を終えて、8月から1ヶ月間、有給を消化することにしていた。職場の雰囲気が嫌になって、働くというモチベーションが0の状態だったので、まるで夏休みを待つ小学生のようなソワソワした気持ち、というより、仕事なんて嫌だーーーーいと駄々を捏ねたダメな大人と表した方が正しいのかもしれないが、そんな投げやりな気持ちで、7月を過ごした。とにかく僕は、8月の有給休暇、1ヶ月もの長期休みを、どのように過ごすかということだけを、仕事中にずっと考えていたのである。

・途中で放り投げてしまったドラクエXIをクリアすること
・ソフトウェア開発の積読を消化すること
・旅に出ること
・無料公開されているゴールデンカムイを全て読むこと

1ヶ月でクリアできるか絶妙な目標のラインを設定した。これで8月は忙しくなるはずであった・・・。まあ、当たり前だけど、夏休み前に立てた計画をそのまま実行できる人なんていない。学生の時だって、そうだっただろう、自分。youtube、tick tock、ウイニングイレブン、それらを中心に僕の生活は進んだ。まるで現代の男子高校生の時間の使い方である。その若さに自分で、自分を褒めたくなってしまう。コロナ禍ということもあって、ほぼ全ての時間を家の中で過ごしている。

だけど、そんな望ましくない生活習慣の中でも、本を読むという習慣は、ちゃんと身についていたのか、この1ヶ月で多くの本を読むことができた。三島由紀夫の「命を売る男」、「金閣寺」、半藤一利の「ノモンハンの夏」など。このチョイスは、我ながらに、渋い。さっきまでは、男子高校生だったのに、いつの間にか、定年退職したおじいちゃんみたいな嗜好になっている。8月頭に、Amazon Primeで、「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」という、映画を見てしまったのだが、これで僕の好奇心が爆発してしまった。

三島由紀という人物に惹かれたのと、早熟の天才と世間から言わしめた彼の思想が驚くほど右に寄っていった、その理由を知りたくなり、三島作品を今更ながら読んだのであった。彼の思想、正義は、昭和の時代が生んだものであり、昭和という時代、特に世界大戦前の世の中の動きにも興味が湧いて、半藤一利の「ノモンハンの夏」を手に取ったのである。そして、今は「三島由紀vs東大全共闘」で解説をしていた平野啓一郎の本を読んでいるところだ。「マチネの終わりに」を読み終えて、「本心」を手に取っているところである。こう振り返ると、この1ヶ月は三島由紀夫という昭和の大文豪を中心に僕の興味が回っているのだなと思う。

三島由紀夫、半藤一利もよかったのだけど、今は平野啓一郎の「マチネの終わりに」が良すぎて、その余韻に浸っているところである。この物語は、アラフォーの男女2人が、恋をするという、大人の恋愛物語として紹介されているものであるが、僕としては「過去」とそれに翻弄される大人たちの物語と、捉えている。この物語の主人公となる蒔野と、洋子が出会った時の会話の中で、蒔野がこんなことを言うシーンがある。

人を変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。

これを聞いて、なるほど面白いこと言うわねと、洋子が蒔野に惹かれる事になる。そして、この出会いの意味が2人の思い出の中で、二転三転していく。登場人物がそれぞれ、過去に後悔を抱いている。その後悔を、どのように受け入れて、どのように変えていくのかという物語だ。

「未来は常に過去を変える」

僕は仕事が嫌になって投げ出してしまった。今、すごく後悔している部分もあるし、もっとうまくできたはずではなかったのかと思う。そして、それと同時に、次の職場では、もっとうまくやりたいとも思う。人は常に、過去に悔恨を抱きつつ、その悔恨が残らないようにと、現在をもがき生きるのである。過去に起きた事象を、良い思い出とするのか、苦い思い出として胸の中で、抱き続けるのかは、これからの未来、なんなら今にかかっているのかもしれない。

来週には、新しい職場で働くことになる。次の職場では、もっとうまく立ち振る舞えたらいいなと、有休消化の終わりに考えている。

ムムム。