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自己紹介

今更ながら、自己紹介記事をまた書きます。

對馬康洋(つしま やすひろ)と申します。

難読でして、初対面の人には大抵読まれません。
ただ珍しい苗字ですので、1回で覚えられることはめちゃくちゃ良いなと思っています。

1992年生まれの青森県出身、現在東京在住です。
青森県弘前市生まれで生粋の津軽生まれ津軽育ち。

小中高時代

小中高は野球部、高校でも硬式野球ではなく軟式野球を選択しました。

小学校は弱小でした。

中学校は自分たちの入学と同時に監督が代わり、練習が厳しくなりましたが、自分たちの代はそれに耐え、中2の秋と中3の夏に弘前地区優勝、中3の夏には青森県大会準優勝まで上り詰めることができました。

高校ではごく普通の県立進学校に入学し、硬式野球ではなく軟式野球を選択しました。

なぜ軟式野球を選択したかというと、兄が軟式野球で全国大会に行ったのを見たことで、
「軟式野球だったら、名門校じゃない普通の進学校でも勝てる!」
と思ったからです。
その直感は当たり、高校でも周りに恵まれて青森県大会準優勝をすることができました。

野球を通じて、
団体競技において皆で一つの目標に向かい、そこに行くために
「どうすれば良いのか・何をすれば良いのか」を考えて実行することの楽しさを身につけたと思っています。
あとは単純に皆の力を合わせて試合に勝っていくことはとても楽しかったです。

今思うと、体育会系特有の理不尽な経験から、その環境に自分を合わせて変化させていくという経験をしたことが今に生かされていると思っています。

大学時代

大学は1人暮らしがしたいという想いから隣県の秋田県へ。
大学の入試の日に東日本大震災を経験しました。

部活レベルでの野球はやめて、大学に行けばやりたいことが見つかるのかなと思いましたが、
あまり友達はおらず、数少ない友達とたまに遊び、たまに飲み、たまにバイトをし・・・というごく普通とはちょっと離れた学生時代を過ごしました。

そんな中、母親から
「特にやりたいこともないなら公務員の勉強ぐらいしてみたら」と連絡を受け、公務員試験の勉強を始めました。
勉強の末に、一番最後に受けた総務省にご縁があり、入省しました。

「転勤族」を経験した公務員時代①

公務員になり、社会人1年目を仙台で過ごし、2年目に東京へ転勤し1回目の東京在住、2年間の東京勤務を経て秋田県に転勤し、学生以来再び秋田県で社会人を過ごしました。

秋田県で3年勤務したあとは、2回目の東京転勤。
2回目の東京勤務をした際に、慣れない仕事や今までに経験したことのない残業時間を経験するとともに、転勤を繰り返し、部署異動も繰り返し、転勤先によって一喜一憂する社会人生活をこのままあと40年続けるのか・・・と思い始めました。

転機を迎えた公務員時代②

その中で、1回目の東京勤務から仲良くしていた友人を通じて
たくさんの人とお会いし、自分の仕事やプライベート、ひいては自分の人生のことを考え始めました。

仕事での目標や、人生を通しての目標・夢・なりたいもの・欲しいもの、様々を考えるきっかけをくれたのは人との出会いでした。

人との出会いの中で一番考えたのは、
「自分は本当はどうなりたいのか。」でした。

今の自分

公務員の仕事しか知らなかった私でしたが、
人との出会いを通じて価値観や今まで知らなかった選択肢が広がり、
様々な生き方・働き方があることを知り、「本当はどうなりたいのか」を徐々に決めていきました。

そういった出会いを通じて、
・一緒に働く人・一緒にいる人・働く場所を自分で決められる人生にしたい
・将来、時間的にも経済的にも自由が得られるような生き方・働き方をしたい
と思い、転職を決意。

今は初めてのIT系のPMOに職場を移し、
慣れない仕事に四苦八苦しながらも、
自分の理想とする生き方に向けて自分と価値観の合う仲間と組織を組み、
仕事をしたいと思い、様々な人と出会う日々を過ごしています。

自分の理想とする生き方は、
将来、自分が法人設立と起業をし、
自分の事業を通して得られる金銭的にも時間的にも自由な状態を手に入れること。
今はシンプルに脱サラがしたいです。

そのためにまずはその土台として自分の組織とコミュニティをつくるために取り組んでいます。

そんな私が仕事観・価値観・人生観の部分で変化してきた部分や、逆に変化していない部分を書くことで面白いと思ってくれる人がいると思ってnoteを綴っています。(普通の趣味のことも書きます)

自分の転職・仕事・野球を頑張ってきた経験を綴ることで
誰かの勇気や動機づけになると信じて、自分の趣味や大好きなことも綴っていきます。

どうぞよろしくお願いします。

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