アコンカグア1日目:登山開始
2019年1月21日(月)
(出典:https://inkaexpediciones.com/)
出発の朝
早朝5時ごろに目を覚ます。
メンドーサで過ごす最後の朝だ。
今日は、ペ二テンテスに行って、Pochoという人物に会ってムーラの手配をする。
そのあと登山口のオルコネス(2,900m)まで車で送ってもらって、3時間かけてコンフルエンシア(3,400m)まで歩くという、一気に富士山に登るような初日からハードな日程だ。
メンドーサからペ二テンテスまで行くバスは2便あるらしい。早朝と、午前の便だ。早朝の便に乗らないとその日のうちにコンフルエンシアにたどり着くことができないので、乗り遅れたら、メンドーサでもう一泊することになってしまう。
なんとしてでも早朝の便に乗る。
ホテルをチェックアウトして、バックパックとボストンバッグ、ブーツなどの荷物を抱えてタクシーでバスターミナルまで向かう。
バスターミナルのチケットカウンターには長蛇の列ができているけど、登山用品を持っている人は一人もいない。
チケットを買ってバスに乗り込む。およそ3時間のバス移動だ。
なにもない荒野を進んでいく。これから雪しかない世界に行くとはとても思えないほど、空は晴れ、アルゼンチンは真夏を迎えている。
スキーリゾート地ペ二テンテス
ペ二テンテスに到着した。
ここはスキーリゾート地で、いくつかホテルがある。そのホテルのどこかにPochoという人物がいるはずなのだが、案の定、ここでバスを降りたのは僕ただ一人。
今日、アコンカグアに入山するのは僕だけということだ。コンフルエンシアまで一人で登らないといけない。ちょっと不安に感じてきた。
ホテルのレセプションでPochoはいるか?と聞くと、裏口から地下へ行くように言われた。
地下へ行くとそこは大きな倉庫のようになっていて、たくさんの荷物が米俵のような頑丈なビニールで荷造りされていた。
これをムーラという馬とロバのハーフの動物に背負わせて、ベースキャンプまで運ぶ。
Pochoはここのボスで、他にも2, 3人INKAのスタッフが働いていたが、Pochoはイギリス人のような人となにか話していた。
僕はここで、初日に必要になる最低限の荷物とムーラで運ぶ荷物を分ける。
日本から持ってきていたフリーズドライのリゾットやカレー、アルファ米の袋がすでにパンパンに膨れていた。そのまま詰めると標高が上がったときに爆発するかもしれないので、袋に穴を開けて空気を抜いておく。
荷物の総重量は40kgほどだっただろうか。そのうちグレゴリーの70リットルのバックパックは12kgほどになった。
もう少し減らしたかったが、カメラ類が重い。
これを4,300mのベースキャンプまで背負っていく。残りはムーラでベースキャンプへ運んでもらう。
僕の予定では、今日は登山口のオルコネスからコンフルエンシアという3,400mのところにあるINKAのテントで1泊して、翌日にベースキャンプとなるプラザ・デ・ムーラス(4,300m)まで行く。
このコンフルエンシアでは、水や夕食、朝食をもらえるので、食料を持っていく必要はない。
テントとマットレスも必要ないので、必要なものは寝袋とダウンジャケットくらい。夏といっても3,400mで1泊する。気温は0度くらいまで下がるだろう。
どうやら話を聞いているとイギリス人(英語がイギリスっぽい)は、数日前にキャンプ2のニド(5,500m)からヘリで下りてきたらしい。
そのイギリス人が僕にアドバイスをくれた。
「ゆっくり登るんだ。フランシアで順応して、コンフルエンシアで2泊するといい。一気に登ると高山病にかかる。アドバイスだよ。」
今日、泊まるコンフルエンシアからは実は、ルートが2つある。
ベースキャンプのプラザ・デ・ムーラスへ行く道と、フランシアというアコンカグア南壁へ向かうルートだ。フランシアは標高4,100m。
正面の南壁からは登ることはできないため、左を大きく曲がっていくように登るのがノーマルルートだ。
およそ50年前にアコンカグアに登った植村直己もこのルートを登った。しかもベースキャンプからわずか15時間で登頂したという。
アコンカグアといったらこの南壁の写真が写っていることがほとんど。キレイな氷河をみることができる。
高度順応するために4,100mまで登って、コンフルエンシアに戻って1泊する。そのままベースキャンプに行くよりも1日多く時間をかけるため、安全策ではある。
「覚えておくよ。」
アコンカグアはどんな山なんだろう。登頂どころか、無事に帰ってこれるのだろうか。
僕は登山口のオルコネスに向かった。
3時間の道のり
ペニテンテスのホテルからINKAの車で移動して、オルコネスに着いた。すでに標高2,900m、風がめちゃめちゃ強い。この風がアコンカグアが風の山と呼ばれる所以だ。
山頂では、ビエントブランコ(白い悪魔)と呼ばれる風が発生しやすい。
決して技術が必要な山ではないけど、天候は荒れやすい山だ。
あのイモトも、日本最強のガイド陣を付けていっても、天候不良で登ることができなかった。
山頂まであと300mというところでの撤退判断だった。
登山口で、入山許可証と引き換えにゴミ袋を2つもらう。
ベースキャンプのプラザ・デ・ムーラス(4,300m)より上にはトイレはないため、排泄物を持ち帰ってこなければいけない。
幸いにも氷点下の世界なので、凍ってしまって臭いはしない。
ここで、車で送ってくれたドライバーともお別れだ。
いよいよアコンカグアへの登山が始まった。
最初はなんてことはない、ただのトレッキングコースだ。道もしっかりとあるし、トレッキングを楽しみにきているライトは人たちもいる。
標高はすでに2,900mだけど、天気も良くて気持ちいい。
時刻は15時を過ぎている、きちんと3時間で今日の寝床になるコンフルエンシアに着きたい。
特にトラブルもなく、ふつうに歩くだけの初日。
少し息苦しいが、それくらいだ。
無事に今日の宿にチェックインして、一安心。大きなテントの中に2段ベッドが4つほど置いてあって、8人寝れるようになっているが、今日は一人部屋のようだ。
ピカピカにワックスを塗っていたシューズもすでに砂で汚れてしまった。
自分のテントを張っている人たちもいた。
今日の夕食と、明日の朝食は料金に入っているので食堂テントでごはんを食べることができる。
この日の夕食は、アルゼンチン牛のステーキだ。ワインもジュースも飲み放題。INKAの食事はめちゃめちゃ美味しかったので、かなりオススメできる。
この先、登山に貴重なタンパク質を摂ることはできないので、このステーキは貴重だ。
安全に行くべきか
ここでロシア人の女性と出会った。
彼女は、世界七大陸の最高峰に登るプロジェクトで登山者をサポートしているらしい。
この前の週にアコンカグアに挑戦していた三浦雄一郎さんの登山隊に参加していた、日本人最強ガイドの倉岡さんとは知り合いらしい。
そして彼女の父親はなんとエベレストにも登頂したことがあると。たぶん一家そろって登山好きなのだろう。
僕もいつかエベレストに挑戦したい、そう彼女に伝えた。
「無酸素でガイドなしで7,000m級のアコンカグアに登れたら、エベレストにも登れるよ。」
彼女はそう言った。喜んでいいのか、アコンカグアの難易度がまたわからなくなった。
そこに到達した人にしかわからない世界、
こういう挑戦を望んでいたんだ。望むところだ。
そしてこれからの日程について話した。
「明日、プラザ・デ・ムーラスに行こうと思う。」
プラザ・デ・ムーラスはベースキャンプとなる4,300mのキャンプ地だ。もう一つの選択肢で安全なのは、フランシアでアコンカグア南壁を見て、また戻ってくるルートだ。
が、僕は早く登りたかったし、今日1日で2,900mまで上がってきたけど、体調もそんなに悪くなかったので、大丈夫だろうと思っていた。
(今朝会ったイギリス人の忠告も聞かずに...)
彼女も当然のように、順応のためフランシアに行って戻ってきたほうがいいと言った。
「明日の体調で決めるよ。」
僕はそう言って、食堂テントを出た。
海外登山は初めて、登山経験すらない僕はおとなしくアドバイスに従っておくべきだったのか。このときの僕はまだアコンカグアの猛威を知らなかった。
21時になってようやく日が沈んだ。外は真っ暗で、明かり一つない世界。iPhoneのライトを点けて自分のテントへ戻る。
宇宙にいるように感じるほどのキレイな星空が見れた。
朝5時から始まった長い一日が終わった。
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