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「わたし」を生きるということ。

自分のことが好きですか? 自己肯定感ありますか?

こんな質問を誰もが一度くらいはされたと思う。
私も実はかつては自分が嫌いだったし、自己肯定感が低かった。
自分には価値がない、自分は人に好かれない、何も取柄がない。
そんなことをずっと思って生きていた。
でも望んでることは、人に好かれたい、ほめられたい、スゴイ人って思われたい……そんな相反することを想っていたのだ。

そもそも自分のこと好きじゃない、自分のこと認められない。
そんな人間のことを自分以外の他者が好きになるだろうか?
私は私のこと好きじゃないけど、あなたは私のこと好きになって、私のことほめて、素晴らしいって思って。
「は?」って感じ。依存。身勝手。傲慢。
だから考え方を変えた。徹底的に自分の内側を見つめて、自分を知ろうとしたし、好きになろうとした。自分という存在の尊さやできることや好きなことを見つめ直した。

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そもそも自分のことが好きじゃないという意識は後天的にできてしまった意識でしかない。子どもの時は自分のこと好きだし、自己肯定感満載だ。
自分がやったことを「見て見て~(すごいでしょっ!)」って主張するし、本当に自分中心で生きているし、まさに自分軸がブレていない。

でも親に叱られ、ほめられもせず、構ってももらえなかったら、そんな自己肯定感や自分大好きの気持ちも少しずつしぼんでいってしまう。そのうちに心に傷ばかりができてしまって人への信頼感もなくし、自分さえも信じられなくなってしまう。
学校に行ったら個性を伸ばすよりも個性を消すようなものを押し付けられて自分が何者なのかさえも次第にわからなくなっていく。

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内閣府の調査によると、自己肯定感(自分自身に満足している)がある人は諸外国の中でも日本人は格段に低い。自分を見失い、周りと比べられるようなシステムの中で生きてきた結果ではないだろうか。
海外(私の場合はよく知っているハワイが主だが)では叱られもするけど、いいところはほめられもする。親も子供をほめるし、親も子どももちゃんと「愛してるよ(I love you.)」という言葉を伝えている。
できない部分よりもできているその子の個性を大事に育てようとしている気がするのだ。だから自然と自己肯定感も身につくし、私が私であることに誇りもあるし、満足もするのだと感じる。

時代は変わった。土の時代から風の時代に地球はシフトした。
私たちの意識はそんな簡単には変わらない。簡単に変わらないからこそ、意識して変えていかないと、変えられないままに地球全体の波動と自分自身の波動がズレていく。

個性を大事に、と言ったところで、自分が好きじゃなかったり、自分に対して関心がなかったりしたら、個性どころかそれ以前の問題なのだ。
まずはありのままの自分を受け容れる。人と比較するという他人軸の意識をまずは改めないといけないし、自分がいいと感じたものは人の反応なんか気にせずに伝えてみるというところからやってみないといけない。

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人は違って当たり前。同じものを見ていても感じる感覚は違うし、記憶されるものも違う。人の指紋が違うように、顔が違うように、本当にすべて違うのだ。自分と同じ人間がいるほうが気持ち悪い。それなのに、同じを求める意識って矛盾でしかない。

まずは自分に軸を戻す。私にって、私は、というところをちゃんとブレることなく確立した後に、人のことを考えて思いやる。共感する。
共感にも「光の共感」と「闇の共感」がある。光の共感はポジティブな感覚をともに感じて味わうこと。闇の共感はネガティブな要素に対して、あなたも同じなら私も安心という、いわゆる「みんな苦労してるから、みんな辛いんだから(自分だけ楽になってはいけない、幸せになってはいけない)」という土の時代の根性論的な意味不明の依存的共感だ。

ひとりひとりが、私はこう、という個性を堂々と胸を張って生きる。
そんな人たちがチームを組んで、ひとつのことをやっていく。誰もが得意なことを組み合わせながらひとつのものを創り上げていく。
そんな世の中になったらいいと感じている。完璧な人間なんていらない。
ただあなたがあなたであるだけでいい。その魂の光を輝かせて生きているだけで、世界は見事に調和していくし、誰もが豊かで幸せになっていくのだ。

I am me, I love me. それが一番幸せで豊かな人生の近道なのだ。

手前味噌ではあるが、本当の自分と出会い自己肯定感を上げるリトリート。
ピンときたら飛び込んでみて。まず一歩踏み出さないと変わらないからね。

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