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捨てたほうがラクになる不必要な意識。

いい人であろう、と思っていた。こうでなければ!と頑張っていた。
でも、実はそんなものはまったく必要なかったんだ、と気がついた。
人は条件や制限をつけると、その途端、心は緊張し苦しみを覚える。

集団主義社会。集団の調和や目標を個人の自由よりも優先する社会。
他人の目というものを常に意識している。他者を通して見た自分が羞恥心を感じないように、と常に心のどこかで意識して生きている。
ありのままの自分でいてはいけない、と自分を殺して条件や制限に自分を合わせようとして生きているのだ。

いったいいつから私は心に監視カメラを付けてしまったのだ?

誰かに見られているという感覚が自由な自己表現を阻害する。
常に緊張し、常に不安を心に抱き、失敗は許されない、と思い込んで自分を追い詰めてしまっているのは、きっとそのせいではないだろうか。

ありのままの自分。それを尊重できる社会になることを望んでいる。
他者の目を必要以上に気にしないことと同時に、私たちひとりひとりが他者の人生に必要以上に関心を持ったり干渉したりしないことも必要だ。

ひとりひとりが自分にとっての真実を生きる時代。
「私は」どう生きたいのか。どうありたいのか。
私という一人称を堂々と生きる意識、生きられる社会環境が求められる。
必要なのは、温かさ、緩さ、寛大さ。要するに「人間らしさだ」と感じる。
心に付けてしまった監視カメラなど本当はいらなかったのだ。


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