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Oちゃんとの思い出

その一、 24歳の頃の思い出

彼女は、大学を卒業して最初に入った会社の1年下の後輩だった。

たった1年の間に先輩たちは次々に辞め、私たちの部署は同期数人と頼りない課長でなんとか売上を上げていて、あとは一日中文句ばかり言っている営業事務のKさんとで成り立っていた。

後輩が入ってくる朝は、期待と不安が入り混じっていた。
はっきり言って、今誰にも後輩の面倒を見る余裕なんてない。でも、単純に人が増えるのは喜ばしい。辞めていく先輩たちから引き継いだクライアントで手一杯なんだ。誰かに引き継ぎたい。
自分か、自分以上にちゃんとやってくれる後輩なら安心して引き継ぐことができる。

私たちの部には眉毛がキリっとした女の子と男の子が入ることになった。
「よっしゃ」と声には出てなかったけれど、部の同期全員が思ったことが分かった。期待できそうなふたりだったから。

Oちゃんは隣の部署に、その期の新入社員ではただ一人配属になった女性だった。
ニコニコしていてふくよかで、なんだか福の神みたい。
こんなふうに言ってはいけないと思うけど、仕事ができそうな感じはなかった。どちらかというと、うっかり忘れ物をしそう。浮世離れしたというのか…とにかく他の後輩たちにはない、ユニークさ、変わってる人独特の空気をまとっていた。会社全体の中でも売上はとても良いとは言えない営業部門に配属になったのに、元気いっぱいに「よろしくおねがいしまぁす!」と挨拶していた。

そんな彼女と、なぜ仲良くなったんだろう。いや、仲良かったわけじゃないのかも。ただお互い一人暮らしをしていて、お互いに「あの人変わってる」と思い合っていた。
今も覚えているのは、彼女に連れられて寿司屋で飲んだことだ。彼女の家は自転車で20分の距離で、到底近所とは言えないがなぜか彼女の家の近くで飲むことが多かった。その日もそうで、彼女が「他の誰も連れて行ったことのない、私の一番くつろげる大好きな寿司屋」に連れていってくれるというので仕事が終わってから待ち合わせた。

行ってみると寿司屋は場所が分かりにくい上に、店なのかただの民家なのか分からないようなたたずまいで、店の中もほとんど家だった。
彼女はその家の住人で、私は遊びに来た友だちで、お父さんが寿司をふるまおうとしてくれている…そんな光景だった。
椅子にはところどころ醤油の茶色がしみた手縫いの布が置いてあって、「遠慮なく使ってね」と言われた。椅子のカバーだと思われる。私の頭には「場末のスナック」という言葉が浮かんだ。
「やそさんとずっと一緒に来たかったんです」
この店に、彼女はどんな気持ちで私を連れてきたんだろう。きっと誇らしそうに言ったそのままの気持ちだったのだろうけれど。

結局その店で寿司は食べなかった。知らない銘柄の焼酎を薄い水割りにして、何杯か飲んだ。彼女の朗らかな声が店中に響いて、店の人たちは奥に引っ込んだまま出てこなかった。
「Oちゃんは、思っていた以上に変わってる」と私の中で結論付けた夜だった。


その二、 27歳の頃の思い出

そこは古いおでん屋だった。
ちくわぶとしらたきが湯気を上げている。店のママが編んだに違いない、赤とオレンジの太いアクリル毛糸の椅子カバーがお尻の下でむずむずした。

初めてこの店に来たのは、去年の冬だった。
初めて経験する山梨の寒さに参っていた。家の中が寒くて寝られない。そんな経験はこれまでなかったし、寒さ暑さに強いと自負してきた自信が粉々になるような経験だった。底冷えとかでなく、部屋中が冷蔵庫のようなのだ。
オイルヒーターを帰宅する時間から逆算してタイマーで3時間前から最強でつけておいても寒い。それで熱燗を飲んでから帰るようになり、だんだんおでん屋を探すようになった。

初めて店に入った夜、カウンターと小さなテーブルしかないその店の客とママ全員から注目されながら、端っこに座った。
「あんた、誰かから聞いてきたんかね」
「いえ、おでんが食べたくて」
「てっ!驚いたよぅ」
強い甲州弁。でも歓迎されていることは分かる。
この町の人たちは、ふところが深いのだ。

ある夜、まだ秋の途中だったけれど、今シーズンも顔を出しておこうと思っておでん屋を訪れてみると、Oさんがいた。
同じ職場で、少し年下で、同じ駅に住んでいる彼女。
どうやら彼女も一人で飲み歩いているらしいと知っていたし、誘われることもあったが、その誘いに乗ることはなかった。
なんだか変わった雰囲気の持ち主なのだ。良く言えばミステリアス。なんとなく目が合わなくて、いつも笑っているけど本心が見えない。職場で同じ業務担当になって話していても、どこか手応えのない人だと思っていた。
彼女も、誘ってはくるが、結局は一人で飲むのが好きな人なのか(そこは共通していると確信が持てる)しつこく誘ってくるようなことはなかった。
「やそさんといつ一緒に来ようかと思ってたんですよ」
ママと親し気に話している様子から、しょっちゅう来ていることが分かる。
ママは頬を紅潮させて嬉しそうだ。若い女性がカウンターにふたりも座ることなんてないから。現に、座れない私に椅子をゆずって、常連のおじちゃんがテーブルに追いやられている。

熱燗をたのんで、ちくわぶとしらたきを注文して、セルフサービスの辛子をたっぷり小皿にとる。
彼女の皿にはつくねと卵が入っていた。どこかかみ合わない会話。
「Oさんとはやっぱりどこか相容れない」と私の中で結論付けた夜だった。


ライティングマラソン(23年9月)で、『のおとハナ』(30分)のテーマで書いた文章をベースにしています。
※ライティングマラソンについては、大前みどりさんのページで詳しく紹介されています。

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