少し狂った女がイヤホンを持って街に出たら、そこは非日常なフェス会場になった。
ああ、かわいそうに……
こいつ、日常からライブを奪われてついに頭がイカレちまったか。
2020年6月現在、日本だけでなく世界でも音楽フェスやライブの開催が立て続けに中止になっている。昨年1年間で60本~70本ぐらいライブに通っていたわたしがライブやフェスを渇望しすぎて幻覚でもみているのか?と、周囲がそう思わざるを得ないほど、この数か月でわたしの生活が一変した。
深夜24時を過ぎ、わたしはようやく更新が終わった仕事のスプレットシートを閉じて、イヤホンとスマホを片手に夜の街へと繰り出した。
その歩幅は、人生かの如く。
ずっと前から散歩が趣味である。散歩というよりはやっていることは内省に近く、音楽を聴きながら歩いている最中にひたすら自分の頭の中や感情を整理するのが好きだった。
大学生の頃、何者でもないモラトリアムを惜しむように訳もなく泣きながら歩いた午前一時の甲州街道。社会人になり、仕事でものすごく悔しい気持ちを抱えたまま終電逃して歩いた国道4号沿いの道。そしていまは、このまとまらない思考を朝から晩まで青梅街道に押しつけることに夢中である。
スピードを上げて走り出すわけでもなく、その場に立ち止まるわけでもない、いつも何かに悩みながら歩き続ける、その様はまるで人生の歩幅のような散歩である。これは、自分の思考を咀嚼し、昇華し、そんな自分に陶酔をしているようなそんな感覚を覚える。
散歩は進化した。
そして、いまわたしが直面している問題はこの散歩にすら行く余裕がないことだった。
わたしにとって散歩はじんわりとした内省、ライブは感情を解き放つための起爆剤というそれぞれが役割を持ちながらバランスの取れたものだった。もともと散歩の距離は昔から悩みと比例して長くなる傾向にあったが、コロナという突然の脅威により片方の起爆剤を奪われたいま、音楽を聴きながら街を闊歩することが、自分の内側をみる内省と、自分の感情を外側に出す両方の役割を兼ねる必要があった。
そうやって最初は5㎞、次第に8㎞、いまでは11㎞が当たり前となった。なぜならそのぐらいの距離を歩かないと、内省としての散歩と起爆剤としての散歩の両面で満足ができないからだ。
こうしてわたしにとって長年行ってきた「散歩」は、内省と感情を解き放つ行為のどちらも兼ねるものに進化したのだと、散歩に行けない日々が続いた最近ようやく気が付くことができた。
30分一本勝負、姐さんのステージがはじまる。
コロナ当初はここ数年で経験したことがないぐらい暇だったが、5月後半に入ってからは少しずつ忙しい日常が戻り、朝も夜も平日も週末も気分の切り替えができずに、起きてそのまま仕事をして、夜は同じ場所に座りながらオンラインのイベントやゼミに参加し、またそのまま仕事に戻って、気が付いたら床で寝て朝を迎え、またそこから仕事を始める。
散歩に行く時間もないし、なんだか何をするにも気分も乗らず、そんな心持のまま仕事は思うように進まず、字の通り負のループの渦中にいた。なんとなく気分がおかしい。今にも発狂しそうなことは、自分でもわかっていた。
この日も、そんな6月の夜だった。
深夜23時30分、平日ど真ん中の水曜日。仕事も終わっているわけではないが、今ここで仕事が終わらなくて私が散歩したとしても、別に誰も死なないだろうと思った。
そして深夜24時を過ぎ、わたしはようやく更新が終わった仕事のスプレットシートを閉じて、イヤホンとスマホを片手に夜の街へと繰り出した。
今日のライブの持ち時間は30分だ。散歩という名のライブ会場に出演するアーティストは、その日の気分、シチュエーション、時間帯、季節ごとにいくつものプレイリストがある中から出順が決まる。
いつも玄関を出るとき、この時間なら「夜のお散歩」のプレイリストをチョイスする。しかし今日わたしには特別な30分しかない。「そうだ、過去に行ったことのあるフェスで、たまたま観たときに強烈なインパクトだったアーティスト1組の特集にしよう」。
そこでわたしの指が無意識に選んだ今宵のアーティストは「大黒摩季」だった。
おい、いま令和やぞ。大黒摩季って。
そう思った人たちは、まだ摩季姐さんの底力を知らない。
こういう少し頭が狂っていて時間がないときは、経験上あまり感情移入をせずにスッキリできる曲を聴くに限る。この30分のステージが終わった後に感情を引きずらないためだ。
もちろん大黒摩季にも時によって感情移入できる歌詞はたくさんあるものの、それ以上に大黒摩季は女の気持ちを清々しいほどのパワフルボイスでスカッと歌い上げてくれる。
わたしは大黒摩季を初めてフェスで観た時のことが忘れられない。
大黒摩季は幕張メッセに溢れかえる観客たちが、曲の間奏のところで姐さんの指示に従って手を挙げてゆらゆら盛り上がっている姿をみて「うわぁ〜〜!ムーミン谷みたい〜〜!」と言って爆笑を起こした。(たぶんニョロニョロみたいだと言いたかったんだとおもう)
MCでは「はーい!独身のひと手を挙げてー!」と独身を炙り出し、「大丈夫、きっとみんなもしあわせになれるよ♡」というまさかの曲振りから「夏が来る」がはじまった。この曲はわたしが小学生の頃の曲で、曲自体はよく知っていたが、この曲の歌詞が結婚適齢期に悩んでいる女性の歌だったことをこの時はじめて知った。
当時アラサーになったばかりのわたしにはリアリティがありすぎて不覚にも泣けた。
そのあとのステージで同じフェスに出演していたBRAHMANのボーカルTOSHI-LOWは「大黒摩季が実在していた…!」と驚く始末。バンド界の鬼も戸惑う、本物の大黒摩季のインパクトよ。
サブスクにあるので、平成生まれのひとたちも騙されたと思って聞いて欲しい。
個人的な最近のお気に入りは「ゲンキダシテ」という曲。とても清々しくてタイトル通り元気が出るので好きです。
そんなこんなで、大黒摩季と一緒に出掛けた30分間の真夜中の散歩は、大黒摩季のパワフルさとシュールな面白さを思い出しているうちにあっという間に30分が経過した。
しかし、30分という限られた時間でも、日常と自分の思考を切り離して別の空間に想いを巡らせることのできるということがわかったのは、今のわたしにとって間違いなく重要な気付きだったことは明らかだった。
もしこの大黒摩季のエピソードを読んでいるときに、一瞬でも日常の喧騒を忘れていただけたのであれば大変嬉しい限りである。
🐨 🐨 🐨
大黒摩季さん、このnoteのオチをこの散歩中にコンビニで見つけた「発酵バター味のコアラのマーチがおいしい」という話にしようと思っていたことすらすっかり忘れてしまうぐらいの、最高のステージをありがとうございました。
また息が詰まって頭が少し狂ってきたときは、30分散歩をやってみよう。
そう心に誓った6月の夕べ(昨夜)でした。
PS. 発酵バターのコアラのマーチもおすすめ。