高校入学したら家がなくなった話③

夏休みに引っ越しをした。
私は徒歩二分から片道1時間の自転車通学になり、冬場はバスと電車だ。
それも定期代は母から最低限しかもらえず、吹雪の日や寒すぎるときは身銭を切ってバスに乗っていた。

時系列をイマイチ思い出せないんだけど引っ越した夏の頃父は働いていなかった。
生活保護を受け始めた。
小さいころから乗っていた思い入れのある車も売った。

前回の授業料の件があって、来月からは大丈夫だからとかなんとか母に言われたのが生活保護の話だったんだと思う。

生活保護者は市役所に電話してから病院に行くことになっていた。今は知らない。
これが一番不便だったし尊厳を傷つけられているような気持になった。

正直言ってこの頃のことを正確には覚えていない。
毎日現実逃避して暮らしていた。
タバコ吸ったのもこの頃だし、学校帰りに酒を飲んだり、遅くまでだべったり。


父親は入退院を繰り返していたような。アル中だと家族は薄々把握していたがまだこの頃は入院すればなんとかなるくらいには思っていた気がする。
でも何ともならないまま家にいる時間も長かった。

家には電話がかかってくる。借金取りだ。
相変わらず父がいると電話線を抜かれる。

母は働いていた。
最初は焼き鳥屋かなんかで夜遅くまで働いていた。
弁当は自力で何とかした、弁当箱も百均で買ったタッパーみたいなでかいやつ。

母は帰宅すると泥酔した。

真ん中の弟と私で下の弟を幼稚園まで迎えに行ったりしていた。

その頃の父親がどうしていたのかさっぱり思い出せない。
確か鬱と診断されて入院したり、退院したりしていたんだと思う。

退院して数日は調子が良くて元のお父さんだ!って思うがすぐ酔っぱらう。

当然家族からは厳しく管理されていたから二度と飲ませるな!という空気はあったが相手は中毒だ、そして大人だ。

お金は母の財布からちょろまかしてたのもあるが後から母親に聞いたらばあちゃんがかなり父へ送金していたらしかった。
一緒に住んでる家族がどんなに頑張って心を鬼にしても無駄な訳だった。
私たちにばれないように湯飲みでこっそり酒を飲んでいた。
何気なく私がその湯飲みのにおいを嗅いだら、父がブチ切れて殴られた。

結果朝から晩まで酒飲んでるクソジジイが爆誕して、ブラックニッカの空き缶がマンションの共用部に捨てられている。
これは父だ、分かってはいた。しかし拾えなかった。
父親が家族を裏切ってると認めるのが怖かった。

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