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ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える(3巻前編-馬橇)

こんにちは。馬のことを調べたり取材したりしている一介のライター、やりゆきこです。本日は『ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える』の3巻前編をお届けしたいと思います。

前回は下記のとおり1~2巻をまとめて書きましたが、3巻は馬の登場ページがとても多いので今回はこの巻のみで前後編にして書いていきます。

また毎度のことですが、こちらの記事は私の趣味で書いているもので専門家の考察ではありませんので、その点ご了承の上で読んでいただけると幸いです。

※なお、漫画のコマ画像の使用については集英社公式サイトを確認の上、著作権法の範囲内で引用しておりますが、指摘等あれば削除いたします。

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馬を使った杉元救出作戦は実際に成功するか?

さて。3巻は鶴見中尉たちに捕らえられた杉元を脱獄王の白石が救出する回から始まります。白石の作戦は以下!

作戦はこうだ
鉄格子の枠の四隅に長い縄をつけておく
~中略~
兵舎のそとにある馬小屋に馬がいるから前もって縄をつないでおき
合図で走らせて引かせろ
鉄格子を枠ごと外して一気にすばやく脱出する

ゴールデンカムイ 第3巻 18話(野田サトル) より引用

アシリパ「馬じゃなくてレタラじゃだめか?」
白石「馬のほうが重いから確実だ」

ゴールデンカムイ 第3巻 18話(野田サトル) より引用

これ、馬力の話とからめて語れたらとしてエンタメとしては面白いし、企画屋さん(本業)としてはやりたいところですけれども、1馬力というのは『75kgの物体を1秒に1m動かす力』でありまして。つまりは、瞬間的なパワーではなくて継続的に出し続けられる力のことなので、ちょっとここでは使えなそうです。いや、もしかしたら使えるのかもしれないですが、物理を苦手過ぎて私では語れないです。すみません。

ただレタラよりも馬の方が重いから確実という点については、陸軍報告書に書かれている通り当時の軍馬が142-152cm程度の体高だったとしても、サラブレッドのようにスリムな体形ではないので、体重400kg前後あったのではと考えられそうです。(参考:北海道和種、通称ドサンコの体高が130cm前後で体重が400kgに迫るくらいといわれている)

杉元が捕えられていた場所も牢獄とかではないので、鉄格子自体もそこまで頑丈そうに見えないですし(超主観)、もしこの軍馬がドサンコなど北海道の在来馬の血か入ってるよう馬なら、確かにパワーでなんとかなりそう?!な気がします。

しかし、この作戦のいちばんの問題は、見ず知らずの人が馬を前に向かって全力疾走させなければならないというところです。もはや「明治時代の馬を考える」というテーマとは関係ないですが、これは正直かなりの運次第…かなと(笑)。

作中では、何らかのかたちで馬を驚かせて走しらせたようです。しかし、後ろ足で立ち上がる、固まる、腰を抜かす、ひっくり返る、後退する、尻っぱねするなど驚いた時の馬のリアクションは意外とバリエーション豊富。果たして馬が驚いて真っすぐ前に走って行ってくれる可能性はいかほどでしょうか?

…と!ちょっと現実的なことを書いてみましたが、個人的には漫画が現実に忠実なものばっかりだったら本当につまらないと思いますし、このシーンのような運で切り開かれてく展開も好きなのでそのあたりは誤解なきよう…!

杉元が乗った馬橇はロシアの影響を受けた『札幌型』

次に、目にとまったのは19話に登場する「馬橇(ばそり)」です。このシーンは明治時代の事情がいろいろ反映されていてとても面白い!と思います。

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ゴールデンカムイ 第3巻 19話(野田サトル) より引用

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まず、明治初期に開拓長官だった黒田清隆がロシアを視察した際に「これ便利じゃん!(意訳)」と感銘を受けて、日本にも導入したのが馬橇です。

黒田清隆はこの導入にあたり、ロシアの職人を札幌に呼び寄せ、国内でロシア型の馬橇造りを始めました。当時は産業技術をアメリカから導入するのが基本であり、これは異例だったそうです。(いわゆるお雇い外国人というやつなんですが、ロシアの人はWikipediaでも触れられてないくらい少なかった模様)

ロシア型馬橇の特徴は太い角材や若木などを蒸籠で蒸して曲げているところ。こういった形状にすることで、雪に埋もれることなく馬が橇を曳くことができました。そしてロシアの技術を受け継いだ日本の職人たちは、のちに柴巻馬橇と呼ばれる札幌型をはじめ、函館型、青森型といった3タイプの橇を造るようになっていきます。

柴巻馬橇の模型…ピンボケ、映り込みすみません…。
(帯広競馬場 馬の資料館・2015年筆者撮影)

馬橇導入の翌年には、3巻の舞台である小樽と札幌の間で本格的な輸送事業が始まっていたことと、木材の曲がり具合(かなりカーブしている)からこのシーンで描かれている馬橇はおそらく札幌型の柴巻馬橇だと思います。橇一つ描くにしてもしっかり調査されているんだな~と思ったシーンでした。

ちなみに、このような馬橇は現在も帯広競馬場で行われている「ばんえい競馬」のルーツでもあるそうです。

ばんえい競馬の橇。似ています…!
(帯広競馬場にて2015年筆者撮影)

19話と20話で馬橇を曳く馬のイメージが違う?!

もうひとつ。馬橇を曳くばん馬が最初に登場したのは19話(1つ前の引用コマ画像)なのですが、鶴見中尉を巻いて杉元たちが逃げ切ったところから始まる20話(下図)では、結構馬の印象が違うなと思いました。

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ゴールデンカムイ 第3巻 20話(野田サトル) より引用


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あくまでも私の主観なので絶対とは言い切れませんが

  • 全体的に体が19話より大きく見える

  • タテガミが長くなったように見える

  • 頭部や頸部の形状が変わったように見える

という印象です。ざっくりいうなら19話ではドサンコ(北海道和種)をサイズアップしたような馬になっていて、20話では洋種馬の要素が加わって、現在のばんえい競馬などで活躍しているばん馬たちに近くなっているような気がします。

2023.08.29追記)ちなみにアニメでは馬橇を曳く馬がかなりスレンダーになっていました。

▼ばん馬とドサンコの違い(参考)

話数が変わったことによって単純に少し差が出ただけかもしれないのですが、明治30年代からばん馬を含む農耕馬においてもドサンコと洋種馬を交配した大型化が始まっているので、(サイズは既に大きく描かれていたけど)見た目の印象でドサンコに見えないように少し変更を加えたのではないかと思ったりしました。私の考えすぎかもしれないのですが、いつか野田先生に真意を聞いてみたいです。

ちなみに農耕馬も大型化を進めた理由としては2つ。1つは前回書いた通り、この頃から軍馬の強化を国策として行っていたためです。戦争が始まれば、農家の馬たちも軍馬として召集されるので、国民総出(⁈)で大型化を進めなければなりませんでした。2つ目は北海道の開拓が進み、本格的に馬耕(馬に田畑を耕してもらうこと)が始まったことです。その際にもともと開墾のために働いていたドサンコよりも、もっとパワーのある大きな馬が必要となってきたといわれています。

ちなみに、ゴールデンカムイの完結後の時代の話になると思いますが、明治43年にはペルシュロン等のめちゃくちゃ大きい洋種馬がフランスから輸入されて現在のばんえい競馬で活躍するようなサイズの重種馬が生まれ始めます。しかし、日本人の平均身長の方がなかなか伸びず、大正時代には体高160cm以上の馬は軍馬になれなくなるというオチがついたそうです。

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いかがでしたか? 1記事に5巻ずつくらい書いていきたかったと言いつつ、前回は1~2巻だけで終わってしまい、今回にいたっては3巻すら終わらず前後編に…という状況ですが、また続きを書きたいと思っておりますのでよろしくお願いいたします。

<参考文献>
・文明開化うま物語-根岸競馬と居留地外国人-(早坂昇治/有隣新書)1996年
・馬たちの33章(早坂昇治/緑書房)1989年・秋季特別展「鞍上にて駆ける近代 御料馬・主馬寮・天覧競馬」図録(馬の博物館)2021年
・日本陸軍における騎兵の役割の変化と継承(樋口俊作/防衛研究所)2022年
・ばんえい競馬のなりたちと変遷(帯広競馬場/2023年8月閲覧)
・開拓時代を支えた馬たち(帯広競馬場/2023年8月閲覧)
・帝国日本の軍馬政策と 馬生産・利用・流通の近代化(大瀧真俊)
・北海道公式サイト(2023年8月閲覧)
・札幌市中央区公式サイト(2023年8月閲覧)
・函館日ロ交流史研究会(2023年8月閲覧)

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