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ゴールデンカムイで明治時代の馬を考える(1~2巻-軍馬編)

こんにちは、馬について取材したり調べたりしています。やりゆきこです。

以前から漫画『ゴールデンカムイ』に登場する馬のゆる~い考察みたいなものを書きたいなと思っていたのですが、最終巻まで一気に書くのは無理そうだ…(ネタがありすぎる)ということで、今回はひとまず1~2巻で気になったことをまとめようと思います。

なお、このnoteは趣味の範囲でやっているものですが、気まぐれに有料設定することがあります。

※漫画のコマ画像の使用については集英社公式サイトを確認の上、著作権法の範囲内で引用しております。

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明治末期の馬はそこそこデカい!

さて。いろいろ前置きが長くなりましたが、最初に目についたのは第1巻 5話の最終ページです。顔が伏せられているので、この時点では確信が持てない(?)ですが、馬に乗った鶴見中尉らしき人物と、そのの両サイドに部下が二人立っています。このシーン、いくつか気になることがありました。

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ゴールデンカムイ 第1巻 5話 (野田サトル)より引用

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まず、馬がとても大きく感じます。もちろん下から煽る構図というのもあるんですが、それを差し引いても結構デカい…!

というのも、明治初期の日本の軍馬というのは、以前から日本にいた在来馬だったので、戦国時代の馬たちと大差ないサイズ感(体高130cm前後)でした。そのサイズ感では西洋の軍馬に太刀打ちできない!!と、日露戦争のちょっと前くらいから、国策として馬の大型化(=在来馬と洋種馬を交配する)が進められていくわけなんですが、私のなかでは日露戦争のタイミングでは(大型化が)間に合ってなかった…というイメージがあったのです。

実際にそのように書かれている書籍や資料が多いので、そう思っていたわけですが、今回もう少し調べてみたところ1893年(明治26年)の陸軍報告書には当時の陸軍の軍馬の大きさは体高142cm~152cm程度と書いてあることがわかりました。

すべての軍馬がこの範囲に収まったかは不明ですが、それまでの軍馬(在来馬サイズ)たちが体高130cmだとしたら20cm以上も大きくなってる可能性があり、明治時代の終わり(ゴールデンカムイの時代、1904年以降)にはこのシーンのように大型化した馬がいてもおかしくないのかもしれません。

ただ、ここまで大型化が進んでも西洋の軍馬の馬格には届かなかったということなんでしょう。しかも、この政策によって日本の在来馬の多くが絶滅危機に陥ってしまいました。

ちなみに日露戦争で活躍した実在の人物で、『騎兵の父』と呼ばれ、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公の一人としても有名な秋山好古が馬に乗っている当時の写真を見ると、馬の体形が上記シーンの馬とよく似ています(体は大きいけど、ずんぐりしていて足はやや短め、顔が大きく、耳小さめ!)。

鼻革なしの頭絡に大勒銜(たいろくはみ)

実は最初にこのシーンを見たときに「何かが足りない気がする…」と思ったのですが、それは鼻革がないことでした。

現在は鼻革がついている頭絡がほとんど

現在でも一部の競走馬(イクイノックスとか!)や育成馬、ウエスタン競技馬など、鼻革のない頭絡を使うことはちょこちょこあります。しかし、一般に売られている頭絡は圧倒的に鼻革がついているものが多いです。そのため、私は最初この馬装に違和感を感じたんだと思います。(試しにAmazonで「頭絡」を検索してみてください。だいたい鼻革がついた頭絡です)。

気になって日露戦争前後の軍馬の写真をいろいろ探してみると、やっぱり鼻革のない頭絡をつけている馬の割合は高め。また、前述の秋山好古の騎馬像を見るとこちらも鼻革がありません! というか、この漫画のシーンと、この像の馬装はほぼ同じでは?!という印象。ちなみに、日露戦争で陸軍司令官を務めた大山巌の騎馬像も、同じく鼻革が見当たりません。野田先生の書き忘れ...というわけではやっぱりなさそうですね(笑)。

秋山好古の騎馬像(愛媛県松山市歩行町)
馬は実際よりもいくらかシュっとしている?

残念ながら、なぜこの時代の軍馬の頭絡に鼻革がないものが多いのかは調べてもわからず。私のまわり(の馬好き)の意見では「鼻革は装飾目的な部分もあるから別にいらなかったのかも?」とか「鼻革は馬術的な意味で馬を細かく制御するために使っているから、軍馬としてはそこまでの細かい動きが必要ないってことなのかな?」といった意見が出たのですが、私個人は「和式の馬装のなごりではないのかな?」と思っています。ただ、和式の馬装でも鼻革っぽいものがついている馬がいないわけではないので確証はありません。

有名な那須与一の絵。鼻革はない。
Ministry of Foreign Affairs of Japan, Public domain, via Wikimedia Commons
現代の相馬野馬追での馬装。鼻革がない馬も多かった。(筆者撮影)

その他、細かくて漫画上では詳細がわかりませんが、おそらく使っているハミが馬術上級者が使う大勒銜(たいろくはみ)であることだったり、馬が草鞋を履いておらず、蹄鉄をつけていそうなことから明治時代の馬装の特徴が反映されていると思いました。

大勒銜の仕組み
Montanabw, Public domain, via Wikimedia Commons

水勒銜(小勒銜)は奥に位置し頭を上げるようにするときに、大勒銜はテコの原理が働くハミで、制御の度合いを決め馬の頭を下げる働きをするもの。

引用元:EQUUS ONLINE もっと知りたい銜(ハミ)の極意_① 馬と人に優しい「ハミ」とは


日本に洋式の馬具が本格的に入ってきたのは、1859年の横浜開港の頃
ですが、馬に大勒銜については意外と早く日本人が使いこなすようになり、明治初期にはもう割と使われていたようです。

また蹄鉄についても明治初期から徐々に国内普及してきました。このシーンの馬については軍の中尉が乗る馬ですし、蹄鉄をつけてもらってるんじゃないかな?と思います。

▼馬の草鞋については本作の3巻以降で登場するので、下記のエントリに書きました。

馬の乗り降りは右からか?左からか?

2巻の13話でも気になるシーンがありました。和田大尉が鶴見中尉を部下と二人で馬に乗って追いかけてくるところです。

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ゴールデンカムイ 第2巻 13話(野田サトル)より引用

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ここも絵が小さくてはっきりとは見えないのですが、上官である和田大尉は手綱を2本持っていて(おそらく)上級者向けの大勒銜を使用していると思われます。そして、連れている部下はそれを使用していないように見えます。このシーンは上官の方が馬術の腕が上だということがわかる描写といえるかもしれません。

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ゴールデンカムイ 第2巻 13話(野田サトル)より引用

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また和田大尉は、鶴見中尉に追いつくと馬から降りるのですが、馬の左側に降りています。これは洋式馬術の特徴です。和式馬術の場合、馬の乗り降りは右からされていました。これも、明治時代の軍人が洋式の馬術を使っていたことがわかるシーンのひとつですね。

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いかがでしたか? 本当はせめて1記事に5巻ずつくらい書いていきたかったのですが、結局2巻分でこのボリュームになってしまいました。また、暇を見つけたら続きを描きたいなと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。

<参考文献>
・文明開化うま物語-根岸競馬と居留地外国人-(早坂昇治/有隣新書)1996年
・馬たちの33章(早坂昇治/緑書房)1989年
・秋季特別展「鞍上にて駆ける近代 御料馬・主馬寮・天覧競馬」図録(馬の博物館)2021年
・日本陸軍における騎兵の役割の変化と継承(樋口俊作/防衛研究所)2022年
・ばんえい競馬のなりたちと変遷(2023年8月閲覧)
~「坂の上の雲」のファンサイト~(2023年8月閲覧)


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