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コロナ渦不染日記 #57

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九月二十八日(月)

 ○朝。すっきりした秋晴れで、ここちよい目覚めになった。巣穴の外に出ると、どこからともなくキンモクセイが香る。
 今朝の体温、三六・〇度。

 ○退勤後の移動中に、ドラマ『妖怪人間ベラ』を最後まで見る。

 ある女子校で、生徒が飛び降り自殺をした。数ヶ月後、そこに「ベラ」と名乗る転校生がやってくる。自殺した少女「梢」の親友であった「詩織」は、ベラのカバンに、梢のものとおなじ万華鏡のついたキーホルダーをみつけたことから、「ベラは梢の亡霊で、梢を自殺においやったものたちに復讐しに来たのだ」と考えるようになる。なんとなれば、詩織と梢が所属していた、修学旅行の行動班——「かおる」、「凛」、「彩音」、「七海」——と、ある目的をもって彼女たちに接近してきた「麻里亜」、そして彼女たちのふるまいを見ているだけで止めようとしなかった詩織こそ、梢の自殺に深く関与していたからである。果たして、彩音が車にひかれ、凛が焼死し、七海が狂って自分の顔をめちゃくちゃにし……と、少女達は次々と破滅していく。そして、破滅する彼女たちのそばには、もの言わぬ少女・ベラがたたずんでいるのだった。
 ……というあらすじでおわかりのように、『妖怪人間ベラ』は、「かつて罪を犯した少女たちが、欲望を暴走させて自滅していく」物語である。これは非常にノワール的な物語である。かつて四月二十六日の日記でも書いたが、ノワールとは、「あらゆる倨傲を脱ぎ捨て、『自分は自分でしかない』ということを理解してしまうに至る過程」をいう。『妖怪人間ベラ』では、ひとりの少女をいじめ殺したという「自分」を隠して、普通の少女のつもりでいる少女たちの「倨傲」が、ベラの存在によって暴かれていくのが、これにあたる。しかも、ノワールとしてすばらしいことには、ベラは基本的に会話をせず、したとしても相手のことばをオウムがえしにくり返すだけで、主体的に行動しないのである。つまり、ベラは「鏡」なのだ。となれば、少女たちの倨傲を暴くのは、なによりも「鏡」であるベラとむき合う少女たちじしんなのだ。だから、この過程をしっかり描く『妖怪人間ベラ』は、すぐれたノワール作品である。
 しかも、このドラマが、アニメ『妖怪人間ベム』を原作としている時点で、ベラは(実際にドラマ中でどのような設定がされているかは別として)「人間であってはならない」前提を持つ。ということは、これは、すぐれたノワール作品であると同時に、怪奇幻想物語でもある。怪奇幻想物語とは、この世ならざるものを描くことで、逆説的にこの世のもの、この世に生きるしかない人間存在を、その限界を軸に描くものである。なかには、この世のものがいっさい描かれない作品もあるが、そういった場合でも、その作品を読んでこころ動かされる、われわれ「この世の存在」が、ちゃんと意識されている。ノワールで、人間存在の限界をあぶり出すのが、犯罪や愛欲といった「非日常」であるのと同様である。
 だから、犯罪とこの世ならざるものが、少女たちのキラキラした青春の裏側に潜む、薄汚い真実をさらけ出すとき、「人を傷つけたものは全員、その罪により破滅する」という結末に至る。そこには、善も悪も存在しない。善きものも、知らず人を傷つければ、破滅の運命を免れない。そして、死に絶えた少女たちのむくろを見下ろすのは、「誰もがいつか死ぬ」という、この世のさだめから放り出された「妖怪人間」だけ……という、乾いた厳しさこそ、このドラマのほんとうにすばらしいポイントである。

 ○どうぶつマッサージに行くと、「相当、腰にきてますね」と言われる。寒さのせいか、という話をした。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、三〇三人(前日比-一八二人)。
 そのうち、東京は、七八人(前日比-六六人)。

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九月二十九日(火)

 ○今朝の体温は三六・二度。

 ○在宅勤務の日。やらなければならないことがあり、それをやらなければならないこともわかっているのだが、ついつい洗濯物を干したり、食器を洗ったり、クリーニング屋さんに行ったりしてしまう。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、五二八人(前日比+二二五人)。
 そのうち、東京は、二一二人(前日比+一三四人)。


九月三十日(水)

 ○朝、布団に横になったまま、カーテンを開けると、逆さまの空がうす暗い。スマートフォンの画面を見ると、巣穴のそとの気温は十五度。思わずかけ布団にくるまってしまう。

 ○昨日、スーツをクリーニングに出したときには、こんなに寒くなるとは思わなかった。だから、今朝はジャケットがない。しょうがないのでベストだけ着て出かけることにした。
 今朝の体温は三六・〇度。

 ○退勤後、野田サトル『ゴールデンカムイ』第二十三巻を読む。

 前巻までで、主人公「アシリパ」の父について、登場人物たちが求め、相戦うマクガフィンであるところの「アイヌの金塊」についてがあらかた語られたので、この巻からは、ふたたび金塊争奪戦に話が戻る。が、いきなり争奪戦を繰りひろげるのではなく、前巻までで語りきっていなかった「これまで起こったことの帰結」を整理して、次巻以降の展開につなげるエピソードが収められている。
 そうしたなかで、霧にまかれてアシリパたちとはぐれた、もうひとりの主人公「〈不死身の〉杉元」が、たまたま同道することになったシマエナガとサバイバルすることになるエピソード「シマエナガ」は、そのシチュエーションといい、結末のブラックさといい、あきらかに映画『ミスト』を下敷きにしている。また、この巻のカバーを務める「宇佐美」がカナヅチを振るっているのは、映画『オールド・ボーイ』のオマージュではないか。野田サトル氏の映画好きは、これまでもシリーズ中にいかんなく発揮されてきたが、こういう「元ネタ探し」もまた、この作品を含め、物語を読む楽しみである。

 ○本日の、全国の新規陽性者数は、五七七人(前日比+四九人)。
 そのうち、東京は、一九四人(前日比+一八人)。

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→「#58 意外な感染者」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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