栗だけではない小布施町の魅力【信越北陸一人旅⑪】
小布施のモンブランを食べる。という今回の旅の第一目標を達成した。
その後向かったのは同じく小布施の中心街にある、「日本のあかり博物館」。この博物館では、あかりに関わる展示を行っている。あかりとは、漢字で書くと「明かり」。この博物館では現在当たり前のように使われている蛍光灯から、太古の昔に使われていた焚き火まで、人々の生活を照らして来たあかりの歴史について語られていた。
縄文時代ごろの大昔の人は、焚き火を中心としていた暮らしをしていた。これはなんとなく想像できる。しかし、この焚き火というのは動かすことができないため、照らすことができる範囲が限られていた。そこで、大昔の人は焚き火の中で燃えている木を取り出し、それを束ねることで松明として動かすことができるあかりを作った。この松明の発明は、当時画期的なものだったらしい。
「いや〜、焚き火って便利だけど、もっとあっちの暗い所とか照らせたらな〜」
「そうだよな〜………あっそうだ、思いついた。この燃えてる木を取り出して、束ねれば火を移動させることができるんじゃね?」
「えっ………火を移動させてどうすんの?」
「あかりを移動できるんだよ!つまりあっちの暗い所も照らせるようになるってこと!」
「うわ!お前マジで天才なんじゃないか!?」
大昔の人たちが、ひょっとしたらこんな感じの会話を繰り広げていたかもしれない。
現在の世界では、焚き火から木を取り出して松明にするなんて、凡人でも思いつくような発想だ。それに誰かにそのアイデアを提案したところで、鼻で笑われるかもしれない。なんなら、明かりを移動させたいなら懐中電灯使えばいいじゃん、てかスマホのライトでよくね?なんてセリフを吐かれてしまうかもしれない。あかりの博物館にやって来て、僕たちはいつからこんな人間になってしまったのだろう、と考え始めた。
今では当たり前のように電気はあるし、電話があるから遠く離れた人とも当たり前のように連絡がとれる。なんなら、1人1台スマホを持っていていつでもインターネットにアクセスして疑問や悩み、暇といったものを簡単に解消することができるのが当たり前になっている。松明を作って褒め称えられる時代の人からしたら想像もつかないだろう。
僕たち人間は、生来他の誰かに褒められることで幸せを感じるように設計されているらしい。しかし現代の世界は、その褒められるためのハードルが高くなっているような気がする。なぜなら先ほど説明したように今は文明が発達している。悩みを誰でも簡単に解決できる仕組みができているのだ。そしてそのハードルはスマホの登場によって急速に高さを増した。さらに今度はAIが人々の生活に片足を突っ込み始めている。褒められたいのであれば接客業やサービス業で愛想良く振る舞ってお客さんから褒められれば良いんじゃないか、と思う人もいるかもしれないけど、ただ愛想良く振る舞うだけの人の仕事はこの先AIに奪われてしまうだろう。褒められるためのハードルはもの凄いスピードで上に伸びていっているように思う。
それでも、僕たちが誰かに褒められたい、というのは生来変わらない性質だ。今の僕たちは、誰かに褒められるために日々奮闘している。SNSを見ていると、圧倒的な情報量か唯一無二の発想がないと、人は評価してくれないということがよく分かる。仮に承認欲求を抜きにしたって、僕たちは誰かの悩みを解決して褒められないと、食い扶持が手に入らない世の中を生きている。そしてそのハードルはどんどん上がっている。大昔は松明を思いつくだけで褒められただろうし、毎日その日の食料を確保するために狩りに必死になっていたので、褒められるために、いわば幸せを感じるためにわざわざ奮闘するなんてことはなかったはずだ。
幸せって、わざわざ奮闘しないと手に入らないものなのだろうか?と考えた。現代の世界は便利だけど、ちょっと当たり前が多すぎるのかもしれない、とも思った。
あかりの博物館にやって来て、1人でこんなことを考えているのはおそらく僕だけだっただろう。一人旅では、目の前で見たものを材料にして時々まったく結びつかなそうな考えや発想が思いつく時がある。もしこれが、友達と一緒の旅行だったら絶対そうではない。博物館に展示されている焚き火と松明を見て、
「へぇ、昔の人はこうやって明かりを作っていたんだね」
と言い合って終わりだ。色々考え事をしている間に、友達は博物館の奥へどんどん進んでしまうだろう。この考え事ができる時間も、一人旅に行くことで得られる醍醐味だと僕は考えている。
あかりの博物館はそこまで広くなかったので、2〜30分でゆっくりまわることができた。松明の話以外にも、元々は明かりに動物の脂を使っていたけど臭いがキツいから植物の油を使おうってことでアブラナ栽培が盛んになった話だとか、ろうそくがいつ使われるようになっただとか、1000年以上前に実は石油の存在は人々に認知されていただとか、面白い話をたくさん知ることができた。博物館は小布施でモンブランを食べるついでにフラッと寄ってみようくらいの気持ちで寄ったが、期待以上に面白い場所だった。
あかりの博物館を出てすぐの場所にある出店で食べた栗あんソフトクリームも美味しかった。見た目はミルクのソフトクリームなのに栗の風味がしっかり感じられた。
車を停めていたコインパーキングに戻り、小布施の中心街を出発した。次に向かったのは、小布施町内にある岩松院(がんしょういん)というお寺。ここのお寺の存在は、朝寄った渋温泉の喫茶店のおじさんから教えてもらったことで知った。このお寺ではなんでも、あの葛飾北斎が描いた天井絵が有名らしい。小布施の中心街からは車で10分ほどで到着した。
駐車場に車を停め、お寺の門の方に歩いて向かう。駐車場から門まではすぐだ。門の前に辿り着くと、僕にとってはお寺の門よりも目を引く看板があった。その看板には、「福島正則公霊廟」と書かれていた。福島正則といえば、歴史好きならお馴染みの戦国武将だ。秀吉から寵愛された賤ヶ岳七本槍の1人であり、関ヶ原の戦いでは家康率いる東軍に味方して戦後は広島藩(今の広島県)を与えられたすごいお方。しかし広島藩を得てから、正則は台風による水害を受けた城の修理を無断で行った(正確には無断ではなく届出は出していたが、幕府から正式な許可が降りていなかった)ことが原因で減封、移封になってしまったちょっと不遇なお方でもある。看板には、移封後の正則は高井野藩(今の長野県高山村)で暮らすこととなり、この岩松院を菩提寺として定めたことが記されていた。
旅の途中で、知っている歴史上の人物の名前を見かけるとおってなってしまう。これは、歴史好きならあるあるとして共感してもらえそうだ。
門をくぐると、そこで待っていたのはたくさんの建設用足場に囲まれた建物だった。僕が岩松院を訪れた時は本堂は絶賛工事中だったらしい。本堂の脇に福島正則の霊廟もあるようだったが、工事の影響で近くまで行けなかった。これはちょっと残念だった。
本堂の中に入り天井を見上げると、天井一面に広がる荘厳な鳳凰の絵に圧倒された。その絵は「八方睨み大鳳凰図」という名前で、葛飾北斎が89歳の時に完成させた最晩年の大作らしい。「八方睨み」の名のとおり、部屋のどの位置から見ても鳳凰が鋭い眼差しで自分を追ってくるように見える。部屋のどこにも逃げ場がなく、大きく翼を広げて今にもこちらに降りかかってきそうで、恐れ慄いてしまいそうだ。この絵が人間によって作られたというだけで驚きだし、それも江戸時代の89歳のじいさんが描いたと聞いて俄かに信じがたいと思ってしまう迫力だ。この絵からは、そこはかとない強いエネルギーを感じられる。自分も含めて、普段インスタで見かける、飯を紹介してるだけなのにクリエイターを気取っているアカウント達の投稿がものすごく薄っぺらく感じる。作品から発せられるエネルギーの量に、差があり過ぎるのだ。
本堂内は撮影禁止とのことで、北斎のエネルギーをできるだけ脳裏に焼き付けてから本堂を後にした。
小布施の町は、栗以外にも魅力がたくさんあった。
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