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霧が立ち込める夜の草津温泉【信越北陸一人旅③】

車を走らせていると、ますます雨が強くなって来た。
フロントガラスに打ち付ける雨粒はけたたましい轟音を放っている。すでにバナナマンのラジオは終わりまで聴いてしまったのでその地で聴けるはずのFMラジオ(FMぐんま?)を流していたはずだが、電波があまり良くないのと雨の音でまったく聞こえなくなっていた。走っている道路は街灯が少なくずっと暗い。車通りも多くないのでたまにハイビームを使って運転した。この豪雨の中まったく知らない暗い道路を走るのはなかなかスリリングである。

そんなスリリングな運転をしている中、僕の膀胱はピンチだった。僕の下半身はすでにこの雨に匹敵するほどの噴射をしてしまいそうな状態だった。さっき定食屋に行った時に多少強引にでもトイレを借りておけばよかった。この先にトイレはあるのだろうか。道沿いには時々暗い民家がある程度で、コンビニやスーパーなどは全然目に入らない。正直この暗い道なら立ちションしてもバレなそうな気はするが、用を足している間に全身びしょ濡れになりそうだ。あと万が一民家などから見られてしまったらまずい。

まずいぞ。これは耐えられるのか?
一度コンビニがあるところまで引き返した方がいいのか?いやでもUターンできそうな場所も見当たらないしここまで走ったらなるべく引き返したくはないぞ。でも旅行初日に車内で漏らすなんてもっと嫌だぞ。

信号待ちのタイミングで、カーナビで周辺に何かないか探した。すると、数km走った先に道の駅があることに気づく。これだ。道の駅ならトイレがないはずはない。たとえ道の駅の営業時間を過ぎていても、トイレだけは入れるはずだ。目の前の真っ暗な道の先に希望を見出した。心の中で膀胱に向かって
「もうちょっとです!もうちょっとですから!」
と叫びながらアクセルを踏んだ。こういう時は膀胱に対しても敬語を使ってしまう。



しばらく走ると、カーナビに道の駅のアイコンが現れた。
やった。トイレに行ける。目の前の景色は道の駅があるかどうか疑わしいほど暗いが豪雨の中右手になんとなく広い駐車場っぽくなっている場所を見つけた。

これだ。これが道の駅だ。
ウインカーを出し、すぐに駐車場に入った。駐車場に入っても真っ暗だが一つだけ輝いている光がある。僕は直感であれがトイレだとすぐに分かった。駐車場には2,3台の車しか停まっていない。僕は車をトイレの目の前に横付けした。どうせトイレで立ち寄っただけだし、通行スペースを塞いでいるわけでもない。これで良いだろう。運転席の扉を開け、なるべく濡れたくないという思いと一秒でも早くズボンを降ろしたいという気持ちが僕の両足を速めた。

トイレはこんな真っ暗で人のいない場所にあるトイレにしては割と綺麗だった。ズボンを降ろすと、今降っている雨よりも勢いのある発射の仕方をした。そしてこの瞬間の心の落ち着きといったら言葉で表せないほどだった。

あまりに安心したので、トイレから出て車に乗り込むまで雨が強めに降っていたが歩いて行った。濡れることを気にしないほど心に余裕が生まれていた。



それからまた雨の中暗い道を走り続けた。雨は気づいた時にはかなり弱くなっていた。FMのラジオは途切れ途切れでときどき何を言っているか聞こえる程度、といった具合だ。しばらく走ると上り坂が多くなって来た。燃費悪くなるなぁと思いながらアクセルを踏んでいた。そしてさらに、だんだんと霧が見えるようになって来た。それはすなわち、目の前の道がだんだん見えなくなって行くことであり、気づけば大分深く霧が立ち込める場所に来たようで、2,3m先が真っ白で何も見えない、というような状態になった。豪雨の次は霧か。

これだけの霧の中で運転しているとさすがに緊張してくる。姿勢を正し、ハンドルを握る手に少し力が入る。心拍数も少し上がっていたかもしれない。念のためフォグランプをオンにした。フォグランプを点けることなんて、もしかしたら車を買ってから初めてなのではないだろうか。

真っ白の霧の中走り続けると前を走る車に追い付いた。まず後ろから激突しなくて良かったと思う。前の車はVOXYか何かだった気がするがその車も結構慎重に運転しているようだった。その調子で用心深く頼む。あとは後ろから突っ込まれませんように。そう願いながら車はノロノロと霧の山道を登って行く。しばらく山道を登るとセブンイレブンがあった。久方ぶりのコンビニだ。前の車はそのセブンイレブンに入って行った。よく見るとそのセブンイレブンはいつもの緑色ではなく、茶色がかったデザインになっていた。これはあれだ、観光地によくある景観なんとか条例の影響だ。ということは、この車はすでに観光地のそばに近づいているということだ!


その観光地とは、草津温泉。霧の山道を走り抜けた先に日本屈指の名温泉地が待っていた。ここがこの日のゴールである。あらかじめこの日は草津に泊まると決めていたのだ。湯畑観光駐車場に車を停めた時、安堵の気持ちと興奮の気持ちが混ざって変な息が口から漏れた。

エンジンを停め、車から降りる。降りた瞬間、普段まったく感じることのない強い硫黄の香りが僕を歓迎した。駐車場は割と高台にあるはずなのに、こんな場所まで硫黄の香りがするのか、と思った。そして同時に気づいたこと、それは外がとても涼しいことだった。
この日は9月の中旬だったが日中は8月かと思うほど暑かった。部屋の冷房は出かける時以外は基本付けっぱなしで、そうでもしないととても生活できない環境だった。
だが今いるこの場所はその冷房の効いた部屋よりも涼しい。僕は今、冷房のいらない場所に来ているのだと思うだけで旅をしている実感を肌で直に感じられたような気がした。


さてと、少し夜の草津を散歩してみようではないか。3連休前夜の草津はどうなっているのだろうか。駐車場を出てすぐの場所にお寺があり、その階段を下った。雨は少し降っているものの傘がなくてもなんとかなる程度だ。

階段をくだり切り、お寺の門をくぐった時に目の前で待っていたのは霧の中でライトアップされた湯畑だった。草津温泉は何度か来たことがあり、もちろん夜の湯畑のライトアップも何度も見ているが、霧が立ち込める中で見るのは初めてであり、素直に今まで見た湯畑で一番幻想的だと思った。先ほど僕に緊張感を与えて来た霧が、今は感動を与えてくれている。思わず一人で「おぉ〜」と呟いてしまった。

硫黄の香りと湿度の高さを感じながら湯畑に近づく。もう一つ気づいた。それはいつもよりも人が少ないこと。そうか、今日は金曜日。平日だ。湯畑の周りを囲うような人混みは一切見えず、浴衣を着た観光客たちが皆思い思いに湯畑をバックに写真を撮っている。土日だとこうはいかないもんな。これだけ自由に写真を撮れるのは平日に来た人の特権だろう。僕もスマホを取り出して余裕のある構えで写真を撮った。

写真を撮った後は湯畑に沿って歩いた。人とぶつかりそうになることもほぼない。なんて歩きやすいんだ。


湯畑を時計回りに歩いていると、人だかりが目についた。近づくと、人だかりの目的は湯畑の目の前にある焼き鳥屋さんだった。この焼き鳥屋さん、よく覚えている。なぜなら草津温泉に来るたびに、ここの店の目の前に長蛇の列ができるからだ。湯畑の前でいつも並んでいる店。そんな焼き鳥屋の前にやって来た。そしてここも例外なく、平日のおかげかいつもの長蛇の列はできていない。店の前にちょっとした人だかりができている程度だ。例えるならば、小さいショッピングモールの実演販売ぐらいの人だかりだろう。

僕はこの光景を見た時に、これはチャンスだと思った。僕は何度か草津温泉に来ているもののここの焼き鳥は食べたことがない。なぜならいつも並んでいるからだ。草津温泉まで来て、並んでまで焼き鳥を食べたいといつも思わないのだ。他にも温泉まんじゅうやあげもちなど、他に並ばなくても食べられる魅力的な食べ物が湯畑の周りにもある。この状況ならここの焼き鳥を食べてみよう、と思った。

しかしすぐに焼き鳥を買うことはできなかった。僕は、財布を車に忘れて来たのである。完全に手ぶらで温泉街にやって来てしまった。なんてこった。
僕は来た時に降りて来た階段を登り、駐車場に戻った。車に戻り、財布とタオルを持ってまた階段を降りた。タオルを持って来たのは、もしかしたら共同浴場に入るかもしれない、と思ったからだ。

焼き鳥を買う準備ができた僕は再び焼き鳥屋さんの前にやって来た。さっきよりも人が増えているような気がした。なんとなく並びの列ができているような気がしたのでそこの最後尾っぽい所に立った。その後ろにすぐ、この辺の宿で泊まるであろう若い女子2人が並び始めた。ガラスの向こうで黙々と焼き鳥を焼いている渋いお父さんを見ながら、注文できるタイミングが来るまで待ち続けることにした。

しばらく待っているとお店の中からお店のおばさんが出て来た。おばさんは僕の前に並んでいた男女に向かって
「2人?」
と聞くとすぐにまたお店の中へ戻って行った。後ろに並ぶ僕たちは、何も聞かれなかった。このまま並んでいていいのかな、と思いながら同じ場所で待っているとおばさんが再びお店から出て来た。おばさんはお店の前に「本日終了」と書かれた看板を置き、僕の目の前の男女に向かって
「あなたたちで最後ね」
と言ってお店の中へ戻って行った。
僕は、ここの焼き鳥が食べられないらしい。後ろの女の子たちはがっかりした様子でその場を後にしていた。あの時財布を持って来ていれば、そんなことを考えた。そのタイミングで焼かれた焼き鳥とビールを渡されたカップルの姿をまじまじと見ながら、僕はゆっくりとその焼き鳥屋から離れて行った。


その後はアテもなく温泉街をぶらぶら歩いた。途中少し雨が強くなって来たのでもう車に戻ろうかとも考えたが、焼き鳥屋で苦渋を味わった僕は草津温泉で何かしたい、なんでもいいから何かしてやりたい、という気持ちになっていた。このままどこにも入らず、何も食わずで車に戻ることができない感情が僕の足を動かしていた。

ここで僕は、共同浴場に入ろうと考えた。草津温泉には無料で入れる公共浴場がたくさんある。共同浴場は本来は地元の人のための場所なのだが、観光客も使っていいことになっており以前草津温泉に来た時に入ったことがある。僕は草津温泉の中でも今まで入ったことのない共同浴場に入ってみようと、昔の記憶を頼りに公共浴場を目指した。


4年前、草津温泉に一人で来た時はゲストハウスに泊まった。草津に来るのも初めてで、ゲストハウスに泊まるという経験も初めてだった。そのゲストハウスは小さなゲストハウスだったが個室を用意してもらえたことを覚えている。21時ごろ、ゲストハウスの1階の共用スペースから話し声が聞こえるので中に入ってみると、僕と同じような観光客のおじさんと30代くらいの男の人が缶ビールと枝豆を前にしゃべっていた。僕はすぐに2人と目が合い、会話に入れてもらうことになった。

30代くらいの男の人は草津温泉に住んでいる人のようで、じゃあなんでゲストハウスに泊まってるんだよと思ったがそれは聞かなかった。彼は草津温泉について色んなことを教えてくれた。オススメのご飯屋さんもたくさん教えてもらった気がするが、僕が覚えていたのは共同浴場のことだった。初めて草津に来た僕はこの時草津温泉の共同浴場の存在を知った。彼は地元民だからほぼすべての共同浴場に行ったことがあるそうで、あそこのお湯は熱いだとか、この時間に行くと観光客で混んでる、なんてことを教えてくれた記憶がある。


歩いている途中に彼の顔を思い出した。小雨の中歩くと共同浴場の前にたどり着いた。浴場の名前は「関の湯」。彼がオススメしていた共同浴場だった気がする。車からタオルを持って来ているので温泉に入る準備はできている。男湯の扉を探し、扉の前に立った。

扉には何やら貼り紙が貼ってある。僕はその貼り紙を見て、思いもよらぬ事実を知った。それは新型コロナウイルスの感染予防のためこの浴場は現在町民しか使うことができないらしい。つまり観光客はここに入れないということだ。

最近でもコロナの感染者が徐々に増えているというのはニュースで目にしているものの、街中ではまだまだマスクをしている人は見かけるがマスクの着用はすでに個人の判断に委ねられている。だから感染予防のために色んなものを規制するいわゆる「コロナ禍」というのはすでに過去のものになっていたのかと思っていた。だからここでコロナの感染予防のために観光客が利用を控えないといけない、というルールに驚いてしまった。まだこの国は、コロナ禍を完全に抜け出したわけではないらしい。


関の湯には入れないことが分かったのでその場を後にした。足取りがだんだんとトボトボとしていくような感じがした。この関の湯も、4年前に聞いた話では観光客でも入れるとのことだった。コロナが世の中を一変させた。そんなことはもう3年前から知っている。重要なのはそこじゃなくて、皆が今当たり前に享受できているものが、ある日突然享受できなくなることがある。この共同浴場だってそうである。4年前までは入れたはずなのだ。風邪を引いた時は近くの病院に行けばすぐになんとかなったのに、風邪症状でも病院の予約をしておかないと病院に行けない世の中になった(最近はどうだか分からないが)。


大学の卒業旅行で沖縄に行ったことを思い出した。
大学4年の3月、春休みだった僕らは仲のいい同期たちと沖縄旅行に行った。僕にとってはこれが人生初めての沖縄だった。沖縄ではコテージを借りてそこを拠点とし、県内のどこを巡るか、同期9人で話し合って決めた。僕は首里城に行ってみたかったので首里城を提案したら、僕以外全員が首里城には行ったことがあるようで、僕の意見は却下された。この中で初めての沖縄は僕だけだったらしい。

2019年は僕にとって衝撃の年だった。
首里城が火災で燃えたというニュースを見た時、身体中の細胞が薄くなっていくような感覚に襲われた。全身の力が抜けていくとはこのことだった。上空のヘリコプターからの中継。燃えた後の城は色々な場所が崩れ、痩せこけている。かつて写真で見た華々しい赤色はモノクロに置き換わっていた。すでに消火された城からは白い煙が天に向かって伸びていく。この煙は僕には城の魂が抜けていくように見えた。
どうにかして城を復興する方法はないのかと自分でも調べてみたが、当時の瓦を作った瓦職人がすでに亡くなっているらしい。実物を見たことはないがあれほど艶のある瓦は彼だから作れたもののようだ。
おそらくこの後どうにかして首里城の形は復興させるのだろうとは思うが、あの日まで沖縄のあの地に立ち、訪れる人の心を動かしていたであろうあの首里城はもう見ることができない。これから見ることができるのだとしたら、それはあの首里城ではなく生まれ変わった首里城だろう。僕は旅行に行った友人たちとは今でも仲良くしているが、あの時首里城を却下したことはたぶんこれから先一生忘れないと思う。


首里城が見れなくなったことを思い出し、今当たり前に見られる景色も、いつか見れなくなってしまうかもしれない。その要因は法改正かもしれないし、環境問題かもしれないし、パンデミックかもしれない。未来は予測できないけど、今のうちに見れるものはなるべく早く見ておかないと、いつか見れなくなる未来がやって来るかもしれない。

週に5日会社に行き、嫌なことをやってお金をもらい、やっとの思いで2日の休みを手に入れる。世界を見るには、これでは時間が足りないな。


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