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朝風呂と偶然見れた雲海【信越北陸一人旅⑤】

朝5時ごろ、目が覚めた。旅といえば早起き、というのは旅が好きな人にとっては結構当たり前のような話かもしれないが僕は旅に行ってなくとも普段からこのくらいの時間には起きている。

車を出ると、そこで映る景色は昨日と変わらない駐車場。屋根と電気がついた駐車場なので朝も夜も大して景色は変わらない。道の駅とかだったら、車を出た途端に昨日までの真っ暗だった世界が色付いているんだけどな。

車から財布とタオルを持って、朝の草津温泉に繰り出すことにした。高台にある駐車場から坂を降りて車1台ギリギリ通れそうな細い道を歩く。昨日までの霧はもう消えていたが湿度は高く、硫黄の香りと高い湿度を身体で感じるだけでも東京から離れた場所にやって来たんだなと思うことができて心が高揚した。自然と歩くスピードが速くなる。


5分ちょっと歩くと、地蔵源泉のあたりまで来た。この辺はあまり歩いたことがなかった。後で知ったことだがこの辺りは最近「裏草津」と呼ばれる新たな観光スポットになっているらしい。いやそもそも草津温泉自体立派な観光スポットだろと思うのだが、華やかな湯畑周辺とは少し違った落ち着いた場所で、1万冊の漫画が読める建物やカフェが最近新たに作られたらしい。ここを歩いている当時はそんなことは知らず、ただただ地蔵温泉の源泉を眺めたりしていた。新名所といってもさすがに朝5時は営業していなかったようだ。

地蔵源泉のすぐそばにも公共浴場があったのだが、この時間はまだ空いていなかった。そこからまた2,3分歩いたところに煮川の湯という公共浴場があったのでそこで朝風呂に入ることにした。煮川の湯に入るのは初めてだ。昨日入った白旗の湯よりも狭く、浴槽は1つしかない。浴槽もあまり大きくはなく、大人3人が横に並んだらいっぱいになってしまいそうなサイズ感だ。この時はまだ朝早い時間だからか先客は1人しかおらず、周りを気にせずゆっくりと浸かることができた。とはいえお湯は草津のお湯。体が痺れるほど熱い。2分くらいでお湯から上がった気がする。脱衣所も含めて滞在時間は10分もなかっただろう。でも昨日と同様に温泉に入れただけで高い満足感が得られた。草津温泉は「恋の病以外効かぬ病はない」といわれているらしい。入った後にこんなに高い満足感が得られるのに、恋の病には効かないようだ。


その後は特に当てもなく朝の草津をぶらぶらと歩いた。さすがにこの時間だとまだやっているお店もない。たまたま見つけたお寺や神社にお参りしたりもした。

神社でお参りした時、隣で完璧な土下座を1分以上続けているおじさんがいた。神社の鳥居をくぐった時、遠目で何やら賽銭箱の横に塊があることには気づいていたのだが、その塊が人間であると分かったのは僕がお参りを終えた後だった。おじさんは服も着てるし靴も履いてるが地面に向かって土下座をしている間は顔も見えず本当にピクリとも動かないので、生き物かどうか判別するのも難しいほどの塊と化していた。僕はお参りをしている間、この人はこの姿勢のまま亡くなったのだろうか、などと縁起の悪いことも想像してしまった。

僕がお参りを終えて鳥居を再度くぐり、ふと社の方を振り返るとむくっと立ち上がるおじさんの姿があった。僕がさっき見ていた塊がおじさんだったと認識したのはその時だった。僕はなんとなくそのおじさんが怖いと思ったので目を合わさないうちにさっさと神社を後にした。いや別にお社に向かって土下座することは悪いことだとは思わないが土下座するほどの神頼みをしている人って何を求めているのだろうと思ってしまった。


本当は草津温泉で朝ごはんでも食べていきたかったのだが、何せやっているお店がない。前に草津に来た時はカフェみたいな場所で1500円くらいのモーニングを食べた記憶があるが、その時はたしか7時くらいだったと思う。基本的に草津で朝ごはんを食べられるのは宿泊客だけなのかもしれない。

当てもなく歩き続けた結果はやはり湯畑にたどり着いた。なんだかんだでここが草津温泉の中心なんだと思う。その場所は昨日よりもはっきりと見え、人も昨日よりは少し多い。足湯がほぼ満員になっていた。そんな光景を見つつ、僕はそろそろ草津を後にしようと思った。正直今回の旅の目的は草津温泉ではない。草津温泉は旅の出発地としてたまたま寄っただけだ。そう、今回の旅はここから出発した時が本番だ。

僕は湯畑に背を向け階段を登り、駐車場へと戻った。車の台数が少し増えた気がする。3連休初日だから先に駐車場を確保してしまおうと朝から観光客がやって来るのだろう。車の中を少し片づけ、車のエンジンをかけた。車に乗った後も少し硫黄の香りがする。温泉の硫黄が身体に染み付いているのだろう。

アクセルを踏み、駐車料金を払って駐車場を後にした。草津温泉、短い時間だったが楽しませてくれてどうもありがとう。次来る時はもう少しお金を落としていきます。


車は草津から国道292号線を通って長野方面へと向かう。草津の周辺で見てきた田舎町の風景はいつの間にか消え、人気がなく両脇には無数の木が生い茂る山道をひたすらに上っていた。燃費の悪い運転が続く。まだ早朝というのもあって車の台数も多くない。坂は多いものの非常に運転がしやすかったと思う。

しばらく走ると、急に視界が開けた。道路の周りを覆う木々がなくなることで、不思議と自分が丘の上を走っていることがハッキリと分かった。そして何より、この丘の下、いや向こうと表現した方がよいのだろうか。とにかく目の前の光景に目を疑った。目の前にあったのは、雲海だった。僕は一人だったが

「えっ、雲海?」

と言ってしまった。雲海を観ることは当然旅のスケジュールには組まれていない。雲海を観たいのであれば、僕は雲海が見られそうな場所を事前に調べてそこに向かっている。

不意に映った雲海にとにかく圧倒された。道路はカーブが多く、そのカーブを曲がるたびにフロントガラスの向こうで雲海が広がっているシーンが一瞬映る。その一瞬を目にした時、僕の口から

「えっ、雲海?」

というセリフが出たのである。まさにその一瞬の光景を僕は疑った。カーブを曲がるたびに、その疑念がだんだんと確信に変わって行く。今自分は雲海の上を走っている。誰も見ていないのに、いや誰も見てないから、僕は自然と笑顔になっていた。人の笑顔を引き出すのに、自然というのは説明不要なエネルギーを持っていると思う。僕はこの記事を書いているときにあの時自分が一人で笑ったことを思い出し、同時に最近ラジオを始めたこともあってあの説明不要なエネルギーを羨ましく思った。あの力を人間を持ったら、きっと良いようにも悪いようにも使えるのだろう。僕はなるべく、良いように使いたい。


丘を登ってる途中、何台か駐車できそうなスペースを見つけた。この景色を、雲海を、一度立ち止まってよく見てみたい。そう思った僕はその駐車スペースに車を停めた。そこには僕の車以外にも1台のバンが停まっていた。そのバンはフロントガラスにはサンシェードを付け、後部座席の窓はカーテンで閉め切っていた。まさか、ここで車中泊をしたのだろうか。ここは本当に町もトイレも何もないただの山の中の駐車スペース。何かあっても絶対誰も助けてくれないだろう。こんな場所で泊まる猛者がいたとは。僕は車中泊で旅をしているときに心から湧き上がってくるハングリー精神というかサバイバル精神のような、自分で自分に情熱を感じる瞬間が好きである。だがその一台のバンを見たときに、自分の旅以上にサバイバルを感じている旅人もたくさんいるんだろうなと思ってしまった。でもかといってその旅人に対して特別何か劣等感のようなものを感じたりはしなかった。旅は自分が楽しければいいのだ。


車から降りると、都会で感じる空気が偽物のように空気が澄んでいる。空気中の成分のこととかは全然よく分からないけど、吸うだけでミネラルみたいなそういう身体に良いものを吸っているような気がする。空気が美味しいとはまさにこのことだった。空を見上げると遮るものは何もない。朝に上がってきた太陽の光がダイレクトに僕の皮膚を刺激する。人間は本来、太陽の光をダイレクトに浴びることで生きてきたのだろう。東京にいると朝起きた後、駅に向かうまでの道のりでビルやマンションといった障害物の間を縫うようにすり抜けてきた光を何の気もなしに感じており、そこにいる時に太陽の光を浴びているという実感はほとんどない。歴史上、街にビルやマンションが溢れ出してからまだ100年も経っていない。今まで朝にダイレクトに感じていた太陽光が、こんな猛スピードで感じられなくなっていってしまって我々は果たして大丈夫なのだろうか。


丘の上から見た雲海の景色は、もう言葉で表せない。今まで散々一人旅をしてきたが、こんなに規模の大きな雲海を見るのは初めてだ。とにかく、嬉しかった。嬉しくて駐車スペースを飛び出してもう少し雲海がよく見えそうな場所まで歩いて行った。そこは道路の上、本当は危ないことなのだろうが、車通りがそもそも少ないし問題ないだろう。僕はiPhoneで何枚か雲海の写真を撮ったが、どんなに写真を撮ってもその光景は目に映ったとおりには撮れなかった。きっとどんな高性能なカメラを使ってもそうなのであろう。この景色を、しっかりと目に焼き付けて忘れないようにしたい。僕は10分くらい雲海を見ながらぼーっとしていた。

雲海を見ながらよく考えたら、昨日の草津では霧が立ち込めており、湿度がとても高かった。そして今日は朝から快晴だ。雲海ができる条件としてはピッタリの天候だった。この景色が旅行開始直後に見られるなんて、自分はなんて持っているんだろうとか思ってしまった。


駐車スペースまで歩いて戻る。雲海が見える方角の景色も先ほど書いたとおりすごかったが、雲海が見える方角とは反対の方角にそびえたつ山々の景色もまた豪快で素敵だった。普段見ないような青さの空と剥き出しの岩盤の境目を眺めていると、まるで別の国にでも来たのではないかと思うほどだった。

これ以上ないほど景色を堪能し車に乗り込んだはずだったが、ここから少し走ったところにまた別の駐車スペースがあり、そこからの景色の方がより綺麗に雲海が見られそうだったのでわがままにも僕はまた車を停めてそこからの雲海の景色を楽しんだ。

思いもよらぬ寄り道をしたが、こういう偶然の産物があるところも旅の魅力であり、人生の魅力だと思う。僕は車に乗り、たまにバックミラーに映る雲海をチラ見して笑いながら山を登って行った。


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