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お盆も近い。

帰省中の娘がふらりと外出して、楽しんできたらしい。そして「父親」の盂蘭盆会で蝋燭供養をしてきたようです。信心深い娘に育ったようです。

よしよしいい子だね。

「夫」の供養は3回忌でやめたので毎年なにもしません。夫亡き後の事後処理で、命の細る思いで奔走したので、3回忌以後は生きてる人間に費やす宣言をして現在に至っています。
いろいろありましたが、娘の「良い父」像を維持するために沈黙を守っています。だから思い出話も悪口も、どちらも言わないのです。娘からしたら、私は供養もまともにしない冷たい母ということです。それを受け入れて、10年以上になります。

それでも供養はしない。

この歳になると、亡くなった人がたくさんいます。亡くなった祖母がよく「時々私を思い出してくれたらいい」と言っていたことを心に刻み込んでいます。

研究に行き詰まったら、恩師に助けを乞いました。
謝辞に恩師の名前を記しました。
生まれて初めて阿闍梨餅を食べさせてくれた人、その人がお仕事に携わった場所を通るたびに、阿闍梨餅を食べる時、その人を思い出します。
振り返ると、たくさんの人たちが逝ってしまいました。

私の日常の中、ふとした時に、もう今はいない人たちを思い出すのです。
おそらく私がこの世にいなくなったら、こんなふうに思い出す人が減るわけです。
だから私が生きている限り、大切な人たちのことを思い出すようにしています。でも寂しいです。もう1度会いたいです。

日々、亡き人を想う。

あの世で「夫」に再会したら、ボコボコにしてやる!と思っていた感情はすでに無くなりました。もう何も言うこともないのです。夫のしたことの一端は私にも責任があるからです。私たちはお互いの自由を尊重しすぎた結果だと思うに至ったのです。あの世で、夫との過去の出来事を蒸し返すことはしません。それより懐かしい人たちに会いにいきます。

何より生きているうちに、親しい人たちと一緒に過ごします。できる限り親身になり、大切にしたいです。わたしもいつ死ぬか分からないから、一緒に過ごす時間は尊いです。

だから愛情を注ぎます。

同時に去る人にはしがみつかない。想いを残さないようにしたいです。これはまだまだ難しいことですが・・・
負の感情を背負って生きることが、しんどいことを理解できる歳になりました。好きと言う感情をたくさん抱えて生きていきます。

今日もみんなが大好きです。




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