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その時「鬱の入り口に立っていました」

 論文の審査は何段階もあって、その度に緊張が強いられました。回を重ねるごとに、誤字脱字、ケアレスミスが増えていき、その都度、嫌味やお叱りを受けました。怒られることにも、だんだん鈍感になっていくようでした。電話越しの教授の怒りごえが、遠くで聞こえるようにも思えました。ある意味、その方が楽でした。

 その日は、締切日に教授に最終確認をもらい、友人を会っていましたが、教授から「ミスがあった。」と電話が入りました。出先なので対応できないと返答すると話すと、

「じゃあ何時なら対応できるの?こちらもあなた一人のために残業なんてできないのよ。そもそもあなたはお願いする立場なのよ。」

 キーキー電話口で叫んでいました。いつもは動物が吠えるように聞こえますが、この時は、ガラスを擦り合わせるような不快な音に聞こえました。既に文字が追えなくて、論文の読み返しができない状態のまま提出しているので、ミスもあるだろうなと開き直ってもいました。

 帰宅し、急いで訂正原稿を送信しました。しかし翌日になっても教授から、受け取りを含めて、何の返答もありません。こちらから連絡したら

「あなたの原稿のデータ自体がおかしいから、私がやり直して提出しました」と言われました。大きな疲労感がどっと押し寄せてきました。もう立っていられなくなり。それから2日間、私は起き上がれない状態になりました。

 この時に、私はいよいよ鬱の入り口に立っていると自覚しました。結果が出るまで、宙ぶらりんの状態です。

 本来ならもっと早い段階で、論文を投げ出すべきでした。しかし全てが遅すぎたようです。今回の論文は教授と私の共同執筆という形態をとっています。論文執筆は教授の研究業績にカウントされるので、教授も必死なのでしょう。数年、まともな論文を書いていませんから。

 もともとゼミでも教授の一方的な指導のみで、議論はありません。学生は緊張し、無駄口は話せる雰囲気もありません。内容を指導されることはほぼなく、フォントの大きさ、図案のデザイン、そんなことばかりでした。

 文献としての書籍も「本は売ろうとしてるから、面白おかしく書いているので、資料の価値はないのです」という発言も度々耳にしました。書籍を否定するというのは、本好きの私にとってもショックで悲しいことでした。

 どこから見ても、どこを取っても私が知っている、かつての恩師の指導とは、まったく違っていました。高等教育とは思えないお粗末な内容でした。

卒業した先輩は「こんなつまらない研究のために、右往左往してたんだ・・・」と卒業していきました。

私は今、先輩の言葉がよく理解できます。私も同じことを思っています。「こんなくだらない論文に、振り回されていた時間は、疲労感しか残らない。」

 これにて私の社会人学生生活は終了です。私は20歳以降、社会人としていろんな形態で学んできました。社会人として学ことは人に勧めていくと思います。今回のようなハズレの体験事例もネタになるでしょう。転んでもタダでは起きません。

 落選という結果で、私は執着していた自分の研究論文を手放すことが出来たようです。おかげさまで、私は鬱の入り口からリターンし、いまは新しいことに取り組んでいます。

 人生において、こんな無駄でアホな学びの時間も、いつか何か得たと思う日が来るでしょう。しかし今は大学院生活を「学費と時間」の側面からみると、大きな損失を被ったと思っています。

やれやれです。



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