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息子くんの長い長い定期受診

今日は年に1度の子ども病院の外来の受診日でした。診察前に計測があります。小さい子どもやバギーの子どもたちにまざって、身長体重を計測します。
診察室で胸部の聴診、腹部の触診お話しして「また来年ねー」と終了。そして今日は次の外来に走ります。ことらは、最近は3,4ヶ月に1回のペースの受診です。

最初の主治医の先生は定年退職されて、いまは2代目の先生が主治医です。
息子の初診日は生後11日目でした。あれから20年以上、この病院に通っています。

息子の手術が終わり状態が落ち着いてきた頃、やっと周囲が見えてきました。外来で気管切開をした子どもさん。酸素カニューレをつけているお子さん。バギーや車椅子で連れてきている親御さんなどに気がつきました。外来の片隅で泣いているお母さんも見かけました。それは少し前の自分のように思えました。

病気の子どもを持つ親が、自分だけではないことを知りました。

「10年前やったら確実に死んでた。」と手術が終わった時に主治医が言いました。それだけ医療技術が向上しているから、息子が生き延びたのだと思い知りました。
それまで生かすことに必死すぎたので、なにも考えられませんでした。
でも退院してから、成長が遅れに遅れ、ついに重度の知的障害だと診断されました。またよろよろと倒れそうになりました。

数年前に、仕事でNICU(新生児集中治療室)の看護学生の見学実習の引率にあたっていました。
保育器の中で頑張っているベビーたちや、面会に来るお母さんたちに出会いました。医療技術の向上で生き延びた子どもとお母さんが、病院を退院したその日から、厳しい現実が始まることを私は知っていました。

学生とともにいろいろと考えることができた仕事でした。ある指導者から、「子どもを見せ物のように指導している。」というようなことを言われました。

そのような目で見られていたことは心外でした。ベビーにシンパシーを感じていたので、特別な目つきをしていたのかもしれません。そもそも私が病気の子どもを持つ当事者であることは、特に誰にも話してはいませんでした。
でもこれから看護師になっていく学生さんに伝えておきたいことは、たくさんありましたので、誤解を生じたのかもしれません。

私はグループごとの実習最終日に学生に語りました。
「元気になってよかったねと送り出すこのベビーたちが、退院後に暮らす家庭や帰地域、生きる社会はまだまだ厳しい状況です。

みなさんは国家試験に合格して、どこかに就職すると思います。それが保育所か、病院か、学校か、施設か、分からないけど、どこかの場所で、この子どもたちと再会するかもしれません。どこかで出会っても、子どもたちとお母さんを助けてあげてくださいね。」

今日も病院に来ている子どもたちと親御さんが、誰かと出会えて、その出会いが、彼らの救いになればいいなと願っていました。


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