マガジンのカバー画像

「土方巽 1960 しずかな家」アーカイヴ

27
2014年11/8〜9に横浜・黄金町界隈で行われた野外プロジェクト「土方巽 1960 しずかな家」のオンライン・アーカイヴです
運営しているクリエイター

#tatsumi

土方巽 1960 しずかな家-1/27

このマガジンは、2014年11月8日(土)〜9日(日)に横浜・黄金町界隈で行われた野外プロジェクト「土方巽 1960 しずかな家」のオンライン・アーカイヴです。

舞踏の創始者「土方巽」の名前を冠していますが、一般的な舞踏公演とは趣を異にします。ポストドラマ演劇の1ジャンルである「ツアー型パフォーマンス」のひとつといえるでしょう。

アートの町・黄金町の知られざる歴史。それは前衛舞踊である「舞踏」

もっとみる

土方巽 1960 しずかな家-2/27

2.-「土方巽 1960 しずかな家」の当日パンフ、音声再生ポイントとダンサー出現ポイントの詳細図、全体地図をpdfの形で公開します。

オンライン上で全頁閲覧可能。ダウンロードも出来るはずです。

当日パンフ https://doc.co/zTRsLG

全体地図 https://doc.co/DS2XF6

詳細図 https://doc.co/FZu17x

作品を理解して頂くためには企画意

もっとみる

土方巽 1960 しずかな家-3/27

このアーカイヴ上に上がっている動画や当日パンフ、地図を利用することで、公演を追体験することができます。

ソファーに腰掛けたままネット越しの気軽な体験も楽しいと思いますが、実際に黄金町に足を運び、公演当日とまったく条件で体験をすることをお薦めします。

その際は正午(12:00)からツアーを開始し、13:15に成田護の「音声あり」の動画を、14:00に川村信博、細田麻央、成瀬信彦の動画を再生して下

もっとみる

土方巽 1960 しずかな家-4/27

コンセプト●黄金町(あるいは横浜)ならではの土方巽観を提示する

土方巽というと60年安保など激動の時代と重ね合わせて語られることが少なくない。しかしそれは東京からみた土方巽だ。
横浜からみた場合、土方巽は「ナイトクラブが華やかだった横浜にショーで稼ぎにやって来たまだ無名のダンサー」である。

→ナイトクラブを媒介にして、横浜の黄金時代と土方巽がむすびつく

→よその土地ではあり得ない、横

もっとみる

土方巽 1960 しずかな家-14/27

ファッション誌「ヴォーグ」のカメラマン、そして映画監督として、常に第一線で活躍する巨匠ウィリアム・クラインが撮影した2枚の写真のうちの1枚。

Photo: William Klein’s “Crab Dancer”(1960)

左の黒い顔の人物は大野慶人。右は「ディヴィーヌ抄」の衣装を纏った大野一雄。中央のしゃがみ込んだ人物が土方巽。撮影地は新橋の烏森。

成田護の衣装は、この写真へのオマージ

もっとみる

土方巽 1960 しずかな家-16/27



土方巽と元藤燁子が1960年から翌61年まで暮らした赤門町の「赤門荘」(横浜市中区赤門町1-12)。2階だけがアパートで1階は大家さんの自宅である(現在1階は空き屋)。1975年に現在の建物に建て替わった。

上の写真は現在の赤門荘、下の写真は土方らが暮らした当時の赤門荘。写っている男性は、当時の大家さん(故人)である。

一般人には自宅をカメラで撮影する習慣がない。したがって建て替え前の赤門

もっとみる

土方巽 1960 しずかな家-18/27

前頁のテキストは土方巽夫人である元藤燁子の著書『土方巽とともに』(筑摩書房 1990)よりの引用である。

元藤の著作は、彼女独特の空想が入り込んでいるらしく、細部において不正確であることが研究者や第一世代の舞踏家たちの間で知られている。

この公演を制作するにあたり、私は黄金町時代の土方巽について調べた。その結果、元藤の著作では「豆腐屋」となっていたアパートの大家が、うどんの製麺業を営んでいたこ

もっとみる