「土方巽 1960 しずかな家」アーカイヴ
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このマガジンは、2014年11月8日(土)〜9日(日)に横浜・黄金町界隈で行われた野外プロジェクト「土方巽 1960 しずかな家」のオンライン・アーカイヴです。
舞踏の創始者「土方巽」の名前を冠していますが、一般的な舞踏公演とは趣を異にします。ポストドラマ演劇の1ジャンルである「ツアー型パフォーマンス」のひとつといえるでしょう。
アートの町・黄金町の知られざる歴史。それは前衛舞踊である「舞踏」
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2.-「土方巽 1960 しずかな家」の当日パンフ、音声再生ポイントとダンサー出現ポイントの詳細図、全体地図をpdfの形で公開します。
オンライン上で全頁閲覧可能。ダウンロードも出来るはずです。
当日パンフ https://doc.co/zTRsLG
全体地図 https://doc.co/DS2XF6
詳細図 https://doc.co/FZu17x
作品を理解して頂くためには企画意
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このアーカイヴ上に上がっている動画や当日パンフ、地図を利用することで、公演を追体験することができます。
ソファーに腰掛けたままネット越しの気軽な体験も楽しいと思いますが、実際に黄金町に足を運び、公演当日とまったく条件で体験をすることをお薦めします。
その際は正午(12:00)からツアーを開始し、13:15に成田護の「音声あり」の動画を、14:00に川村信博、細田麻央、成瀬信彦の動画を再生して下
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コンセプト
●黄金町(あるいは横浜)ならではの土方巽観を提示する
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土方巽というと60年安保など激動の時代と重ね合わせて語られることが少なくない。しかしそれは東京からみた土方巽だ。
横浜からみた場合、土方巽は「ナイトクラブが華やかだった横浜にショーで稼ぎにやって来たまだ無名のダンサー」である。
→ナイトクラブを媒介にして、横浜の黄金時代と土方巽がむすびつく
→よその土地ではあり得ない
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演出メモ
・この作品は5人のダンサーによるひとり15分ずつのダンスと6つのポイントにおける6つの朗読聴取という、合計11の小作品から構成されている。
・一人、あるいは二人のダンサーを起用した場合、土方巽の名前をまとめて背負う結果となり、苦しい。舞踏技法を古典化させる忠実な継承よりも、精神的な継承を優先したい。アスベスト館出身者や土方巽の直弟子に頼らない代わりに、人数を五人にして祝祭感を高めた。
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この作品は、どの地点(オンライン上では動画)から体験しても問題ありません。寄り道したり、途中で休憩を取っても構いません。しかし一人で体験することが望ましいです。順路は指定していないので、参加者ごとに異なる順番で作品世界に臨んでいくこととなります。
便宜上、野毛山山頂公演を終着地点に定めているので、もし現地に行く機会があれば、展望台から町を眺めて下さい。
備考:
ツアー型パフォーマンス「土方巽
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「ナイトクラブ」(テキスト・朗読:檀原照和)
音声再生指定地点(画像の撮影場所)の住所は横浜市中区若葉町3。
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日活が横浜を舞台にした「無国籍映画」を量産していた時代、横浜の夜と言えばきらびやかなナイトクラブであった。ナイト&デイ、ブルースカイ、クリフサイドをはじめ、たくさんのナイトクラブが覇を競っていた。その様子は語り草になっている。
じつは黄金町(正確には対岸の若葉町)にも、「おしどり」という美空ひばりの弟(小野透)が経営するナイトクラブがあった。ナイトクラブで踊っていた土方巽と黄金町を上手く連動させ
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「大岡川」(テキスト・朗読:檀原照和)
この川は天然の河川ではなく、関内地区の埋め立てによって誕生した運河である。河口に近いため、潮の満ち引きに応じて流れが逆行することで知られている。
この川の流域で積み重ねられてきたドラマは、興味深いものばかりだ。
音声再生指定地点(画像の撮影場所)の住所は横浜市中区日ノ出町2丁目。
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「極細」(テキスト・朗読:檀原照和)
音声再生指定地点(画像の撮影場所)の住所は横浜市中区初音町2-42付近。
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