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「井関三神社」は元・天照(アマテル)神社である【播州シリーズ】【播磨シリーズ】【たつのシリーズ】

「いせきさんじんじゃ」は崇神天皇時代に播磨国揖保郡亀山に勅命により「天照国照彦火明櫛玉饒速日命(井関大明神)」が奉斎され、天照神社と称された。創祀当時より武甕槌命も祀られ、現在の奥宮にあたる。

変更履歴

▼HP


▼アクセス

兵庫県たつの市揖西町中垣内甲799-1

▼祭神・本尊と脇時

→本宮
 
天照国照彦火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ )
 瀬織津比咩命(セオリツヒメ *1)
 建御名方命(タケミナカタ  *2)
→奥宮
 武甕鎚命(タケミカツチ。奥宮神社に斎祀)

*1:瀬織津比咩命は中垣内の庄屋八瀬氏により京都より勧請。
*2:建御名方命は、脇坂安政が龍野城主として入城の際、信州飯田の諏訪神社より勧請。

▼見どころ

▽本宮

 「いせきさんじんじゃ」は崇神天皇時代に播磨国揖保郡亀山に勅命により「天照国照彦火明櫛玉饒速日命(井関大明神)」が奉斎され、天照神社と称された。
 ニギハヤヒとタケミナカタを祀ることに違和感があるが、前述のとおり、諏訪からここに来た権力者が氏神を分霊させたようだ。セオリツヒメも同様とのことなので、元々は「粒坐天照神社」と同じくニギハヤヒなのだろう。

 1555年に中垣内村の大庄屋・八瀬氏によって、その氏神・瀬織津姫命(八瀬大明神)が山城国八瀬郷より勧請された。現在の八瀬天満宮の境内社・六所神社から分霊のよう。
 
1672年に龍野城主脇坂安政が入部の際に、前任の信濃国飯田に鎮座する氏神の諏訪神社より、建御名方命(諏訪大明神)を勧請した。
 これで、現在の祭神の3柱をもって井関三神社と称した。

 手水舎

 拝殿の階段も上れます!

 拝殿・本殿で参拝したら、左の摂社・末社へ!という気だが行けなかったですね。事前に、修復中でという情報は入手していましたが、残念!と言いたいところですが、ちゃんと行けます!後ほど!!

 ひとまず、拝殿・本殿右側に行きます。
 まずは、ウカノミタマを祀る「稲荷神社」ですね。神社では「ウケモチノカミ」と表記しています。

 そして島根の出雲大社から熊野大社などの出雲・意宇周辺の古社では必ずある「荒神社」があります。祭神はスサノオですね。

 これで終わりかなと、一応、奥まで進むと菅原道真を祀る「天満宮」がありました。天満宮には階段があり、正月などはここから降りるのかもしれません。ただ、工事中でしたね。

 ということで拝殿・本殿に戻り階段を下ります。

さて、全部は参拝できないか・・残念と思いつつ、本殿が山の斜面にあるので、見ていないなと左側で確認。千木は外削ぎで、鰹木は偶数なので男神・ニギハヤヒですね。

 と左に目をやると、行けるんじゃない??境内の一番左に行くと、細い階段あり!ここだ!!
 上るとオオモノヌシを祀る「金毘羅神社」だった。瀬戸内海を見下ろす、香川・金毘羅神社は、私見では海を見張る役割があったのではと思っており、港町とは繋がりが強かったのかもと思った。

 ラストは境内右のご神木です。工事中で入れなかったですね・・。

 見る視点を変えると、奥宮遥拝所が!?

 奥宮は事前調査できていなかったので却下。で、神社を後にするが、この道気になるな・・。

▽奥宮太神社

 井関三神社から真北約3km離れた亀山(きのやま)に、奥宮太神社が鎮座し、奥宮として武甕槌命が祀られている。THE磐座信仰の場所だが、鎌倉時代に赤松氏が勧請して合祀した歴史があり、元々はニギハヤヒで現在地に遷し、井関神社と称した歴史がある。
 なるほどニギハヤヒ=磐座という認識なので納得!次回に岡山・兵庫旅行で行こうかな。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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