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伝快慶作の阿弥陀三尊「洞泉寺/源九郎稲荷神社」歌舞伎役者が来る稲荷!源九郎=源義経【大和郡山シリーズ】アフロ仏あり

近鉄郡山駅とJR大和郡山駅の間に、歌舞伎役者が来る神社と快慶作の三尺阿弥陀を持つ寺へ!洞泉寺は源九郎稲荷神社隣り合っている。

変更履歴
2023/01/16 初版

▼HP なし

▼アクセス

洞泉寺・・・・・・奈良県大和郡山市洞泉寺町15
源九郎稲荷神社・・奈良県大和郡山市洞泉寺町15-1

▼祭神・本尊と脇時

洞泉寺・・・・・・阿弥陀如来@重文
源九郎稲荷神社・・ウカノミタマ

▼見どころ

 洞泉寺と源九郎稲荷神社は隣り合っている。

▽◆事前予約◆洞泉寺(奈良県大和郡山市洞泉寺町15)

 快慶作と伝わる「阿弥陀如来立像@重文」とアフロ阿弥陀こと「五劫阿弥陀如来」を安置している。アフロ阿弥陀は置いておいて、阿弥陀如来は脇侍も含めなかなかの味で、確かに快慶かもと思わせる代物だった。

1585年に豊臣秀吉の弟・秀長が郡山城主の時に移したお寺である。近年、現代の風呂文化発祥ともいわれている寺でもある。理由は光明皇后の垢スリのお風呂が残っている。法華寺と同じですね。

 ただ、この時の風呂は今のサウナ様式だった。境内には石風呂があり、石風呂の内部には五智如来の示す梵字が刻まれている。ということで、光明皇后は奈良時代で、梵字は平安時代なので、この石風呂は光明皇后とは別物説と、時代の途中で梵字を彫った説がある。真相はいかに。。

 本堂には阿弥陀三尊が安置されている。面白いのは中尊は三尺阿弥陀如来立像で、脇侍の聖観音・勢至菩薩を見ると、確かに快慶っぽい・・。少なくとも慶派には間違いがないだろう。

▽源九郎稲荷神社(奈良県大和郡山市洞泉寺町15)

 源九郎稲荷神社(https://gennkurouinari.jimdofree.com/)。祭神は「宇迦之御魂神(保食神)」「源九郎稲荷大明神」となっている。

 源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね=源義経)にゆかりの神社。毎年、お城まつりに「白狐渡御(びゃっことぎょ)」の大祭があり、白狐の面をつけた子ども行列が、神社からお城まで練り歩く。

 童謡に『大和の大和の源九郎さん遊びましょう』というのは当社のことで、その名は広く世に伝わり神徳広大であります。いまその御徳を古書から抜粋いたしますと、
 一、当社の祭神は宇迦之御魂神(保食社ともいう)で、伊勢外宮・伏見稲荷大社の御主神と御同体であり、万民の生活上一日も欠く事のできない五穀豊饒・商売繁昌・家内安全・厄除開運・交通安全の守護神で、あまねく世人の崇敬する所であります。
 一、天智天皇の白鳳年間、平群の真鳥が叛逆を企て、帝位を奪おうとした時、大伴金道麿が逆賊誅伐の勅命を承わり天地神明を念じ、特に寛平稲荷(当社祭神のはじめの御名)を祈って出陣した。明神はたちまち武人と化し、数多の白狐を遣い、この大敵真鳥をち平らげたので天下は平静となった。(大伴真鳥実記14冊の中巻八)

https://gennkurouinari.jimdofree.com/%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E7%94%B1%E7%B7%92/

 日本三大稲荷の1つに数えられ、大和郡山城主だった豊臣秀長が郡山の鎮守として祀った神社。元々は吉野にあった稲荷神社で、秀長が神社ごと持ってきた神社である。京都でも神社仏閣の移転があったが、ここでもあったようですね。

 神社の名前である源九郎は、源義経を守った狐の化身で、歌舞伎の「義経千本桜」にも出てくる源九郎狐のこと。歌舞伎役者が来られた写真や奉納されたものがありました。

 幟を見ると、歌舞伎役者が奉納しているのがよくわかる。

▼旅行記

▼セットで行くところ


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