淡島だ人形だ神仏習合「粟嶋堂・宗徳寺/道祖神社・不動堂明王院 」導きの神・サルタヒコ【京都駅シリーズ】
西本願寺と京都駅間の社寺です。神様が猫になって降臨!?
アワシマと言えば人形供養!和歌山・淡島神社ですね。「粟嶋堂」は神仏習合を残しており「宗徳寺」もある。一方、京都駅の西北のビル群に取り囲まれたところに「不動堂明王院」と「道祖神社」が並んでいる。
変更履歴
▼HP、アクセス、祭神
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽粟嶋堂宗徳寺:京都市下京区三軒替地町124
そうですね。神仏習合時代に和歌山から分霊したと明記していますね。本宮(総本社)が気になる方はどうぞ。
昔より「あわしまさん」と呼ばれている
宗徳寺は1394年から1427年に行阿上人がこの地に開山
本尊は阿弥陀如来
粟嶋堂には和歌山・淡島の虚空蔵菩薩像を安置している
江戸時代には粟嶋明神の霊験は広く伝わり、孝明天皇、光格天皇は代参された
俳人・与謝蕪村や文人画家・富岡鉄斎も参拝し足跡を残している
与謝蕪村も娘の病気回復を祈願したようで石碑がある
→正門
宗徳寺本堂は正門に入り右奥になります。納骨堂でもあるので写真はやめておきました。
→粟嶋堂
本堂右には賓頭盧尊者がいますね。粟嶋堂には粟嶋大明神を祀る。粟嶋大明神は虚空蔵菩薩、スクナヒコを指す。
宗徳寺の本尊としては阿弥陀如来と水子地蔵菩薩となっている。
→庚申堂
→咲分稲荷社
→周辺
▽不動堂 明王院:京都府京都市下京区南不動堂町7
823年、弘法大師・空海が東寺の鬼門にあたる地に不動明王像を祀ったこたが始まり
弘法大師は、霊石を見つけて、自ら不動明王を彫り石棺に納めて井戸の底に安置
899年、宇多天皇が上皇となられたとき、東七条御所(亭子院)を営むため、霊石を掘り出させようとしたが、霊石不動を見たら眼を痛めて諦めた
勅を出して不動明王が安置された井戸を封じた
このときに不動明王像を「霊石不動明王」と名付けられる
室町時代の応仁の乱の兵火により焼失したが、井戸にある不動明王は無事だった
現在も霊石不動明王は井戸の底に安置されているとか
1764年、応仁の乱の戦火で焼失するが、多くの信仰者を集めていた霊石不動の堂宇は篤志家によって本堂が再建される
1864年、禁門の変の際に焼失するかと思ったが、兵火は不動堂前で鎮火し、井戸内の不動明王の霊験だとされる
新選組の三番目の屯所は、不動堂明王院説がある
(屯所が残っておらず、利用した期間も短く、資料も少ないので諸説ある)月に一度第四日曜日にお堂が開き、護摩祈祷会が行われる
本尊は弘法大師の一刀三礼と伝える「霊石不動明王」。御前立として不動尊立像を安置している。高野山・波切不動、東京・成田不動と並んで、空海作の三体不動尊と称される。
中央に不動明王で脇侍には弘法大師坐像と役行者坐像でしたね。
▽道祖神社:京都市下京区油小路通塩小路下ル
サルタヒコとアメノウズメを祀る道祖神社。創建は899年の古社で、七条西洞院にあったが、豊臣秀吉より現在地に移転した歴史がある。道祖神は、道や村の境目などに祀り、村の外からやってくる悪霊を防ぎ、交通・移動の安全を守るもの。出雲、京都の丹波王国、諏訪あたりで多い認識。
元々は東七条御所「亭子院(ていじのいん)」の鎮守社として創建されたようなので、昔からお隣さんとは一心同体ですね。
境内には末社が3社ある。本殿側から「書聖天満宮」、「幸神社」、「稲荷社」です。「書聖天満宮」は、洛陽二十五社のひとつで牛もいる。
稲荷社に神様・ウカノミタマが!?って黒猫が昼寝している・・・。
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