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息子が少年野球チームに入ったら人生変わった VOL:7 たかが少年野球、されど少年野球

北千住駅から徒歩1分。繁華街に入ってすぐの場所にある「千住の永見」という居酒屋で、小学校から高校まで同級生だったAと待ち合わせた。学生時代にラグビーをしていた男で、今は新聞社の運動部に所属してプロ、アマを問わずにスポーツの記事を書いていた。2人の勤務先と自宅を考慮し、ともに電車1本で帰れる北千住を選んだのだった。

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おとなしく目立たない私は、いつもクラスの中心にいるAと2人になることに緊張した。だが、かれは相手によって態度を変えるような男ではなかった。初めて一緒に帰ったときに「本を読むのが好きなんでしょ。どんな本を持っているの?」と聞いてきて、私が何冊か挙げると「今度貸してよ」と言った。以来、本を貸し借りして感想を言い合ったり、その本が映画になると、一緒に映画館に行ったこともあった。

同じ高校に進み、彼がラグビー部に入って活躍していると聞き、私は何度か試合を見に行ったことがある。ルールも分かっておらず、両チームで30人の選手が入り乱れるとAがどこにいるのかも見つけられなかった。ただ、ときおりAが相手を交わして独走するシーンがあり、このときばかりは意味も分からず興奮した覚えがある。何のスポーツのできない私にとって、彼はヒーローだった。

この日は私がAを呼び出したのだ。息子の少年野球チームで「スコアラー&記録係」に就任し、「スコアブックのつけ方」という本を買って読んだものの、どうも理解できない。プロ野球の取材もしているAに教えてもらいたかったのだ。

「へえ、お前が野球のコーチね。よく引き受けたなあ」

「受けるつもりはなかったんだよ。でも、断るタイミングを逸して…」

「まあ、別にプロ選手を教えるわけじゃないんだから気楽でいいんじゃないか。オレは張り切ってノックしていたけどな」

Aの長男はすでに中学生だが、少年野球時代はコーチどころか監督まで引き受けていた。

「Aなら適任だろう。小学生の頃は野球もやっていたじゃないか」

「でも記者は週末も休みじゃないから、結構大変だったよ。午前中の試合だけベンチに入って、そこから仕事に向かったりね。周りの人にも迷惑かけたけど、逆に『監督だけじゃなくて、みんなでやっていこう』と、協力し合う雰囲気になったからよかったよ」

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生ビールを飲んだ後、コップ酒の熱燗に切り替えた。2人で杯を重ねながら、先日のコーチ会での顛末を話した。

「いい大人が、子どもの野球のことでケンカするなんて驚いたよ」

そう言うと、Aは大声で笑った。

「ハハハハ。そんなの、まだまだ序の口なんじゃないか。オレも監督時代はたくさんの苦情を受けたよ。でも、大人の立ち居振る舞いは大事なんだぞ。小学生だから親御さんの影響は大きいから、保護者が険悪だと子ども同士も仲が悪くなる。逆に保護者同士がいいムードだと、子どもたちも協力するようになるんだ」

「そうか… まだ初心者だけど、分かるような気もするよ」

「無理をしてまで行く必要はないけどさ、お前がチームに顔を出していたら息子も励みになると思うよ」

ここでスコアの付け方を教えてほしいと頼むと、Aはカバンからスコアブックを取り出してテーブルの上に置いた。

「何かうれしいなあ。お前と野球の話をする日がくるとは思わなかったからなあ。しっかり覚えて、チームに貢献するんだぞ。いいか…」

そう言って説明してくれたところでは、スコアには「慶応式」と「早稲田式」があること。プロ野球の公式スコアは慶応式でつけているが、一般的には早稲田式が使われていること。そしてピッチャーを1、キャッチャーを2などと、数字で表し、三振を「K」、フォアボールを「B」、デッドボールを「DB」などと略字で表して記入していくことなどを順序よく説明してくれた。

「まあ、公式記録をつけるわけじゃないから、固く考えなくていいと思うよ。後で振り返って、まず自分が分かるようにしておけばいい。分からなくなったら言葉で注釈を書いておけばいいんだよ」

さらには、記録には「判断」が求められることも教えてくれた。

「例えばヒットかエラーか。投手の暴投か捕手が逸らしたのか。ある程度の基準はあるけど、その試合の記録員が判断するんだ。プロ野球や高校野球だと公式記録員が判断してスコアボードにエラー(E)と出るし、記者席には『今のはヒットです』『今のはワイルドピッチです』と、その判断が伝えられるんだ。でも、少年野球だと、よほど大きな大会じゃないと、中立の公式記録員はいないだろうから、各チームのスコアラーが判断していると思うよ」

私は、スコアとは機械的に試合状況を記録していくことだと考えていたので、そこに判断が伴うのは初めて知った。同時に興味深くも思えた。

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「休みの日にでも、テレビでプロ野球の試合を見ながらつけてみなよ。すぐに覚えるよ」

「いや、いきなりプロ野球は無理でしょ」

「ハハハ。プロが一番分かりやすいんだよ。アクシデントが少ないからな。一番難しいのは少年野球だぞ。一つのプレーでエラーがいくつも重なったり、ベース踏み忘れたり、想定外のプレーがたくさん出てくるから」

酔いも回ってきたのでスコアはしまい、仕事や家族の近況を報告し合った。小学時代から変わらず、Aと話す時間は楽しかった。

北千住駅で別れるとき、Aが言った。

「お前が野球に関わるって、ホントにうれしいよ。いつも1人で行動しているってイメージが強かったから、チームワークを学べるんじゃないか? 息子よりお前が成長するかもしれないな」

そう言って笑うと、最後に付け加えた。

「オレは監督時代、いつも『たかが少年野球、されど少年野球』って言っていたんだ。いいか、この言葉を忘れるなよ」

1人で電車に乗り込み、空席を見つけて座り込んだ。楽しくて杯を重ねたので、かなり酔っていた。酔いが冷めて忘れてしまわぬよう、Aが最後に口にした「たがか少年野球、されど少年野球」という言葉を手帳にメモしておいた。

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