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No.7:京都のことを知りたい人。観光地以外のあれこれ。ガイドに載らない地元民の生活文化。おもばな満載!

まず、No.1と目次を見てください。

・京都人のお花見

京都には、あっちにもこっちにも桜はあって、どこででも花見ができるように思うけど、意外に、特定されたところに行って団体で花見をした。

俺らは、町内会でバス借りて、20人ぐらいで花見をした。あれやこれや、弁当とかおつまみ、お酒なんかをもって、レクリエーションになってて、これも庶民の楽しみの一つやった。 
        

(仁和寺=御室さん=おむろの桜。これが一番やな。知恩院の枝垂れ桜。これもええな~)

どこにへ行くかというと、我々は毎年、仁和寺(にんなじ)の「御室」(おむろ)や。大手医療電器メーカーの「オムロン」はここが発祥地や。

ここは京都人が一番好きな花見の場所で、当時は、境内がいっぱいになるほど、何組もの団体が入ってた。

ここの桜は、背が低くうて、せいぜい1.5~2mぐらいしかないんで、その真下にござ敷いて座ると、すぐ手えが届くとこに桜があって、花にも、当然触ることができた。

けど、桜をいつまでもきれいに保つため「絶対に触れてはいけない」という暗黙のルールがあって、悪ガキもそんなにいんと、これはみんな守ってたように思う。ピンク色が濃いきれいな桜やった。

もちろん、御室以外にも随所ある。

・東寺の今昔と弘法さん

外人が今みたいに増えるまでは、金閣寺とか清水さんのような、超観光地はともかく、たいがいのとこは拝観料もないし、柵とか竹垣なんかもなかったし、自由にお堂とかも入れた。

(東寺=弘法さん。こんなとこが俺の遊び場やった。ええやろ~でっかい寺や)

実家の近くには、今でこそ有名になった、弘法大師=空海が建てはった「東寺」があって、さすがに五重塔に登ることはできへんかったけど、そばまで自由に入れて、写真の庭でもよう遊んだ。


奥の方に、写真より大きい池があって、カメとかザリガニ、コイ、フナとかたくさんの生き物がいて、よう捕まえて遊んだもんや。セミもほとんどの種類がいたし、山より安全で、快適な遊び場やった。
ハトやカモのような水鳥もおったな~、田舎がのうても、十分満たされてた。

また、住人にとっては憩いの場所で、日影がたくさんあってお寺のお堂は昼寝に最適なとこで年中快適やった。

特に夏はクーラーがなくても涼しいし、つい寝過ごして、おこしに来られたことが何度かあった。暑い京都では貴重な場所や。

子供だけと違ごて、大人もよう寝たはった。

昔の人には驚かされるね~宮大工さんが作らはった和風建築は素晴らしい~  

(ライトアップされた紅葉どうです? 下も桜の時期でカッコエエ)

観光化がどんどん進んで、いつの間にか、中まで入れんようになったり、拝観料もかかるし、自由に利用でけへんようになった。今の子供らはかわいそやな~。

東寺さんでは、毎月21日には「弘法さん=こうぼうさん=現「ガラクタ市」」ちゅう、骨董やら、いろんなもんが売られる縁日がある。友だちの家でも、よう出店してた。当時は、お宝鑑定団用のもんなんかは、ごろごろあったで。今思たらもったいないことしたな~といつも思う(笑い)

(弘法市、東門から南門までの間に1500の店が出る。1239年以降続いてる)


国宝の仏像なんかも、しょっちゅう見てたし、なんてことなかったけど、見てみ!今では一流の有名寺になって、びっくりしてる。

なんせ、九条にあるさかい、弘法さんの日以外は近所のひとだけで、静かなもんやった。(そやし、普段は自由に遊べたんやけど・・・)

・子供のおやつと小遣い      


(この賽銭箱を上げたら、小銭が落ちてる。お堂の中にはお供えがいっぱいある)

不謹慎な話やけど、神社仏閣どこでも自由やったし、賽銭箱持ち上げたら、小銭が結構落ちてて、十分な小遣いになった(笑)

おなかが減ったら、お寺行くねん。お仏壇とかお墓の前に、いろんなお供えがいっぱいあるやん。より取り見取りにいただけた。(このバチ当たり)

たまに、坊さん=(京都ではぼんさんという)、に見つかることもあったけど、そのまま供えといても腐っても困るし、ぼんさんも特別怒りもせんと、黙認状態やった。本当は窃盗罪です(笑)

それどころか「はら壊すなよ~」っていう具合で、ええ時代やった。  

また、比較的大きいお寺や神社には、お堀や池があるし、そこのコイを捕まえて、川魚料理屋に持っていったら、ええ小遣いになったし、蛇を捕まえて、漢方薬屋に持っていったら、これまた高値で買い取ってくれた。まあ、ろくなことせんな~ ほんま悪ガキやで~(ごめんなさい)

やんちゃ坊主の世界では、半ば当たり前のことで、東寺さん周辺では「ちびっこギャング」とも呼ばれていた。(笑い)

そやけど、京都のガキどもは、多かれ少なかれ、それに近いことは、上(かみ)の方の奴でも、やってたはずやで。いや、ほんま!

池にはカメがたくさんいて、ある時期になると、日本の泥ガメの子供がたくさん生まれる。その子を「銭亀」いうて、大変縁起がええカメとして、重宝されてた。

(正式にはクサガメの子が銭亀。大雨の後に脇の水路にいることが多かった)

ある日の思い出

本当は採ったらバチが当たるといわれたカメやったけど、それを見つけて採りたくて手を伸ばした瞬間に、掴んでた灯篭ごと、池にドッボ~ン、おぼれそうなとこを東寺の ぼんさん(御坊様)に杖で、助けてもうたという話。 しかも、懲りずに2回もや。

さすがに2回目は親のとこに連れていかれて、メチャクチャ怒られた。

小1の時やな。 その池は、底なしと言われるぐらい沼のような池で、ほんま、死ぬか思たで。 これがほんまの、「底なし」のあほや~!(笑)

・カブトムシとクワガタ  


(今はきれいになったけど、昔の火葬場、裏山が穴場や たまに火の玉飛んでる~?)

お寺のお供えにも、割合たかってたんでよう採ったけど、カナブン=ぶんぶん(重ね言葉)が多うて、カブトやクワガタはあんまりいいひんので、ある場所へ採りに行った。

そこは、東山五条の北側にある、火葬場の裏山(前写真)や自転車と歩きでや~。清水寺に上って下見たら見える山や。

ここは知る人ぞ知る穴場で、まだ暗いうちに、樫やブナの木に、濃いめの砂糖水か はちみつを塗っとくと、カブト、クワガタが吸いに来んね。時期を見計らってそこ行くと、群がっとうる。

でっかい、蜂もおるけど・・・一回刺されて熱出したことある。

その付近の、直径15~20㎝の木を揺さぶると、「ぼそ、ぼこ」いうて音立てて、気の上におった、カブトが落ちてくんねん。

それをダッシュで見つけに行って、捕獲する。おもろかったな~

今は、オオクワガタとかは10㎝以上やと、結構ええ値段してて、生きた黒い宝石と言われているらしいけど、当時ならリッチになれたな~

・ひやしあめ


(かき氷入り ひやしあめ。絶品!う~ん、うまそう~夏はたまらんで~)

暑い京都で生まれた、伝統的な夏の飲物で、しょうがと砂糖水が主な材料で琥珀色してる。子供がメインやけど、みんなに人気があった。

酒屋で売ってて、大きなカメに、それを凍らせた氷が一緒に入ってて、キンキンに冷やしたあって、注文すると、ひしゃくでコップになみなみと入れてくれはる。ほんで、それを一気に飲んで涼をとるんや。ヒャ~

これが、ほんまにうまい!歯が浮くほど冷えてて、汗が一気に引く。

今は、酒屋さんにはないみたいで、瓶やカンで売ってて、一回関東でも飲んでみたけど、やっぱ、全然味が違う。おいしなかった。

暑い京都で、酒屋のカメからついでもらわんと、あの味はない!

・除夜の鐘は数えられへん  


(知恩院の大鐘:選ばれし108人の坊さんが鐘を突く)

京都は知っての通り、お寺がたくさんある。市内だけでも、1600ともいわれてて、ほとんどのお寺に煩悩を払うために、吊鐘がある。
ほんで、大みそかにそれを突く。

実家の周りにも、10個ぐらいお寺あったんで、鐘の音を一生懸命数えようとするけど「ゴ~ン」「ガ~ン」とあっちこっちで鳴るんで、途中で音が混ざってもうて数えられんようになってしまうねん。大げさと違う。

物心ついてから、数えきったんは、ほんの数回やったと思う。
嘘みたいなほんまの話や!

・家風呂があっても銭湯

京都の庶民の社交場として、近所づきあいを大事にする土地柄なんで、家風呂があっても、あえて近所の銭湯(京都は単に「ふろ」)へ行った。

当時は、500件ぐらいあったといわれてて、今はだいぶ減ったとはいえ、それでも200件ぐらいが、あの小さな町にある。

いかに、京都人は銭湯が好きかがわかるなあ。    

(俺がよく行った近所のふろ:日の出湯 なかもレトロでまさに京都の銭湯。広い!今もある)
ええ~雰囲気や

ほんで、京美人というぐらいみんな、肌がきれいや!なんでかわかる?

そや!お湯や!「ミネラルをたっぷり含んだ地下水を沸かして使こてるから」という俗説がある。美人になりたい人は京都の銭湯や!(笑い)

俺らは、ガキばっかり7~8人で行って、2時間ぐらい、もぐったり泳いだり、ほかのオッサンに怒られながら遊んで、体を洗わんと帰る。おかあちゃんの第一声が「また、体洗わんと帰ってきて~!」である。

「なんで、わかったんやろ?」タオル、石鹸のにおいがせいへん。石鹸箱はお湯でぶちゃぶちゃ!。ちゅう証拠があって、いつも怒られた。

・子供のおもろい習慣

当時は、おなじみ「吉本新喜劇」が大流行で、土曜日の12時半からの放送やった。 


昔は、めっちゃおもろかった!今は?? 花木京と岡八郎。この二人が最高や。この場面のせりふ:岡八「あんた見いひん顔やな~名前を漢字で? 花木「花木京の花は花木京の「花」、花木京の木は花木の「木」、京は花木京の「京」に決まってるがな。あほちゃう。岡八「なんやそれ~なめとんのか、われ!奥歯ガタガタいわしたろか」ていうギャグの場面)

学校が12時20分で終わるので、鐘が鳴る寸前から、そわそわし始める。これはテレビが12時半から始まるし、、鐘がなると同時に「吉本ダッシュ」をするためや!

先生もそれを知ってて「まだやど、まだや!」って言いながら、「ほなまた月曜日」っていう終わりの言葉が出た瞬間、子供らは猛ダッシュで家へ帰るんや。ほんで、吉本を見る!これが恒例や。

帰る途中に出会うオバチャンらも、子供のダッシュをみて「もうそんな時間か?」とか言うて、慌てて家に入って観る。

これが、子供と庶民の土曜日のルーティーンやった。子供も大人も、人笑いしてから、お昼ご飯を食べる。

誰よりも早く、ギャグを覚えるのに必死で、これを見逃すと、月曜日の会話に入れんようになる。先生も「土曜日見たか?」もちろん吉本のことである。「おもしろかったな~」、「ハ~イ、あのギャグできる人」から始まるので、話について行けへんと、そりゃ~一日落ち込むことになった。う~ん、懐かしい、今思い出しても笑える

京都の当時の子は「吉本育ち」というぐらい、お笑いが好きでギャグの真似をするのが大好きで、明るうてひょうきんな子がたくさんいた。

岡八郎、花木京(先の写真)が2代巨星といわれた。チョトと後に間寛平とかが加わって、メチャメチャおもろかった。(笑い)吉本の全盛期やな。今はみんな会社に所属してるだけで、舞台はいまいちやな。

年配には、お涙頂戴の「松竹新喜劇の藤山寛美」も人気があった。

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