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「かわいそう」かどうかは、他人が決めることじゃない。

こんばんわ。
今回は、好きなことではないです。先週、会社の上司と面談したときに、「あなたは、かわいそうだと思うよ。」と言われました。
この言葉がずっとひっかかってるので、これについて書きたいと思います。

正直、それ以前から、「かわいそう」と言われる度に、もやもや?というかなんか嫌な気持ちを感じていました。それを感じ始めたときのことは、鮮明に覚えています。

2年前、会社の教育係の先輩が頼まれたメイン担当の仕事を放棄したことで、サブ担当のわたしが対応しなければならなくなりました。そもそも、放棄したことも理解できなかったですが、黙々と対応してました。それでも、わからないことがあって、先輩に聞くと、「なんでわからないの?思ったとおりにすればいいじゃん」と一蹴されました。それを見ていた同期から、「かわいそうだね。」とわたしに言ってきました。
同期は同じ部署ですが、教育係は異なります。そのこともあって、同期が言う「かわいそう」という言葉は、「自分じゃなくてよかった。」と言われている気分になりました。ただの考えすきだと思いますが、わたしは嫌な気持ちになりました。

今回の「かわいそう」はまた違います。上司から異動してきた年の近い先輩と比べられ、「入社したときから、ずっといまの部署ってかわいそうだよ」と言われました。
たしかに、理不尽なことも汎用性のないことも多いです。しかし、わたしは、どんな環境や経験でも、無駄なことはないと考えていますので、その「かわいそう」という言葉で自分の頑張りを否定されている気持ちになりました。
たとえ上司でもこの発言はわたしの心をえぐりました。

今回、「かわいそう」という発言に対するふたつの出来事を書きました。どっちにも共通して言えることがあります。それはこのタイトルのとおり、「『かわいそう』かどうかは、他人が決めることじゃない。」ということです。
考えすぎなところもあるけど、こう感じることもあるよと思って欲しい気持ちを伝えたいという思いと自分が「かわいそう」に嫌な気持ちを持った理由の整理を兼ねて、記事を書きました。

「かわいそう」の意味は、同情の気持ちが起こるさまということです。決して否定的ばかりではないと思います。ただ、状況と伝え方ではなんとも言えない風にも取られる言葉です。
自分がこう感じたからこそ、わたしは「かわいそう」の使い方に気を付けると同時に、相手がポジティブになれるような言葉をかけられるように努力してます。

持論をずらずらと記載してしまい、失礼しました。今、旅行・グルメ・ファッションと来たので、次はスポーツ観戦について書きますね。
よろしくお願いします!

#ひとりごと #旅行 #グルメ #ファッション #スポーツ観戦 #ハワイ #語学 #暮らしを整える

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