産道(=参道)を通って

まだ不破哲三さんがトップだった頃、神道左派が「日本共産党に天皇制を認めさせたい」と言うので、私もお手伝いした。私は18歳になっていなかったが、党員であった養父が間になっていた。先ずは党内での信教の自由を認めさせて、発言可能な状況にした。それから段階を踏んで行くことにした。

その貢献が奏して、高校生の私は一分の神職たちの間で有名人となっていた。川崎大師では正月アルバイトで巫女を募集していたし、高校からのコネがあったのだが、「貴女はそんな底辺で働く立場の人ではない」と止められていた。「髪は後ろで縛れるくらいには伸ばしておいてほしい」とも言われていた。

高校を卒業する頃にもなると、伊勢神宮の巫女になることができそうな勢いだった。「コネはあるし、実績があるから、そうなることも可能だぞ。どうする?」と養父に言われたが、結局は養父が断った。(学校から歯学部の指名推薦の話も出たが、それも養父が断った。)

養父は「李家の血か? 森下の血か?」とブツブツ言っていた。森下と言うのは実母の系統で、巫女の能力が母系で遺伝し、女が男を養うような家系だった。江戸時代には高名な巫女を輩出したそうな。たぶん、両方が合わさっての私だったのだろう。「洋子は、ハーフじゃなくて完全にダブルだ」と養父は言っていた。

(うちの家系がどうとかは関係無く)基本的に、神道では母系が重んじられる。産道を参道ととらえ、子宮を宮(みや)ととらえるからだ。日本人の産道(=参道)を通って生まれることにより、日本人たらしめられるのである。

それとは逆で、朝鮮朱子学(儒教)では父系が重んじられる。「Y染色体が関係している。その能力は父系で遺伝する。父親が朝鮮人であれば娘にも遺伝するが、その娘から生まれた子供となると遺伝しない」と李玖は言っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?