夏祭りは地獄風景だし、鬱は漢字で書けない
絶賛、鬱状態。なんとか周りの人には伝わらないように抑えられるくらいの鬱っぽさ。さっき食べたご飯を吐いたのも隠しています。彼女と別れて1ヶ月、他にも色々が重なって、気分の落ち込みと拒食症状がすこし激しくなってきて辛い。気が狂う体力も残ってない😫
彼女と別れたあと、「新しい人が見つかるよ!」って優しく声をかけてくれる人もいるけど、「彼女は代替可能なものじゃないし、仮に新しい彼女ができたとして比較や並列できるものじゃなく、Aさんとのこれまでを消すこともできないし、何かで上書きできるものじゃないんだけど!」
って言っても困らせてしまうので、優しさだけ受け取って頷くんだけど。今は優しさだけでも、あれば嬉しい。ありがたい。あいかわらず鬱々しい。
連休に、姉が甥っ子を連れて実家に帰って来たから、甥っ子と地元のショッピングモールに行った。そしたら、ちょうど地域の夏祭りの前夜イベントみたいな感じで、ハッピや踊りの衣装を着てる男子女子がたくさん笑顔で居てた。地域の一大イベントの本当に和ましい楽しい風景なんだろうな。
でも、なんだか地獄風景を見てる感じがした。
<感想>
「「「ものすごい大きな暴力を眼前にしている感じ。視界は歪むし、意識も遠ざかる。風景すべてが暴力と紐づいた物質の集合体として、ショッピングモールを形成する建造物と多数の客、商品とお金、内臓と洋服、BGMと喧騒、すべてが波として粒子として物質として、それらしい形態を保っている。赤い遊園地のような殺人カーニバルの!!!ような、おどろおどろしい雰囲気と、一方でディズニーランドのような理想郷的で別世界的な非現実の雰囲気が同居してる感覚。ただ、それらの暴力の構成に自分の存在は含まれていないため、自分が異物として存在して、暴力と紐づいた物質と決して混じり合わない、混じり合わないが暴力に呑み込まれた、もしくは埋もれている。その歪みとして、視界も感覚も、環世界との関係も、その大部分を断絶された状態というか、この場において自分という存在は暴力とは対極、むしろ暴力が向かう方向にいる、被暴力の存在なんだと本能的に悟る感覚。結束とはつまり排除のことであり、創造こそ破壊、救出こそ殺人といった、二律背反?表裏一体の概念を感じる。それと同じように生と死が混濁したような不安定で曖昧な状態。ちょうど第三者視点のゲームみたいに自分という存在が浮遊してどこか離れていく、自分が干渉できる物体がなくなり、虚無の世界に転移したような。意識もぼやけて身体は動けなくなるし冷や汗が出てくる。情緒も分からなくなるし、脳の中の言語も図像もすべてが喪失して。言葉で表現・思考もできなければ、映像としてもイメージできない。自我を喪失した、本当の無を感じた。世界との繋がりは遮断されて、執着しようにも執着する意識もない。視覚情報を読み取るしかできない機械人間になった気分。もしくは光を反射しているだけの電源のついていないスマホの画面や水たまりの水面ような、いやもっと解像度も画質も低い、むしろ、反射すらしない吸収するのみの絶対的な黒の無で、かろうじて網膜に到達した光を掬うように拾い集めてるだけの地獄の罰のような、完全に野生化もせず地域猫化もしていない、人間と一定の距離を保ちながら公園で主に暮らしている野良猫を追いかけている感覚。その距離こそ野良猫に抱くかわいいの根源!!!」」」
といった具合だった。すっごい嫌な感じ。なんか、ふわふわした””無””に圧死する感覚で、本当に死ぬんだと思った。真綿で首を絞められるを、そのまま物理的に体験した気分。夏祭り本番の、ヘビを模した大きな台車が火花を放ちながら街中を駆け巡る様子を見たら、どうなるんだろう。本当に死ぬと思う。
でも生きててよかった。週末に大学の友達と出掛けるから。3ヶ月後は、好きなアーティストのライブに行かないといけない。弾き語りライブ
もしかしたら、あのとき「無の境地」に達していたのかも!?と考えると、なんだか誇らしげに思えてきて嬉しい。ブッダとか鑑真みたいな?「空(くう)」みたいな!?「苦」からの脱出!?
仏教に明るくないから知らないけど、修行積まないと達観できない境地らしいから、なら、異世界転生物語で無意識に無双してしまう主人公すぎる。
そういった話って民衆を洗脳してコントロールするための作り話と思っていたけど、実際にいたのかも。そしたら嬉しい。他の人にも優しく教えてあげたい。鬱になって夏祭りを見たら無我になれるよ~、達観しようね
自分の精神状態すらよく分からない。鬱だと言っても、まだ精神科のクリニックに受診してないから。通りすがりの誰かから殺される!って強迫観念というか誇大妄想みたいなのもあるし、情緒不安定。(”じょうちょふあんてい”という語感が非常に良い言葉)薬を飲んだら治るんかな?
自分の心身の異常を見つめても、それを書きあらわすことは難しいです。語彙力とか言語化能力とか以前の、どうしても言い表せない、どうしても分からない部分があって面倒くさい。読み返すと怪文だけが残ってるから
なんにしても、まだまだ、夏野菜の揚げ浸しは美味しい。
(”うまい!”じゃなくて”美味しい!”)
ナスとピーマンとカボチャ。クソ暑い夏の娯楽は、クーラーの効いた部屋で食べる夏野菜しかない。それに猫を飼いたい。そして素っ気なく無視されたい。
「うまい!」よりも「美味しい!」って言う人が好き
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