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バーンサムリ村#7

 僕は夢を見ていた。
 夢と言うものは、いつだってそんなものだ。遠い記憶と新しい記憶、それらが複雑に絡み合い、現実には到底あり得ない物語を作り出す。
 十四年の結婚生活の中、料理なんてしたことのない佐知子が台所に立っている。台所の窓から穏やかな海が見える。そうだ、糸島の海だ。僕と佐知子が暮らした福岡県糸島市、あの岐志湾を見下ろす高台の別荘である。それなのに、台所は東京のあきる野市のあの古い木造アパートの台所である。佐知子が作っているのはカレーだ。所々錆び付いた古いLPガスのコンロの上に雪平鍋が置かれており、佐知子がボンカレーを温めている。たった一度、佐知子が僕に作ってくれた料理だ。いや、ボンカレーは料理とは言えない。板の間に卓袱台が置かれ、理子と裕子、麻美の三姉妹が座っている。いや、理子と裕子は僕と和美の間に産まれた娘で、麻美は佐知子の連れ子だ。姉妹どころか、麻美は理子と裕子の二人とは顔を合わせたこともない。その三人が仲良く卓袱台に座っている。
 調理を終えた佐知子が、キッチンからリビングに入って来た。いつの間にか、あきる野市の台所が糸島の別荘のキッチンに変わっている。佐知子の手にあるのはボンカレーではない。《鱈のポワレ》だ。オランデーズソースが掛けられ、付け合わせにアスパラガスが添えられている。
「こんなのをいつも食べてるの?」
 裕子がそう言って口を尖らせる。
「パパって、ブルジョワなんだね」
 理子がそう言って僕を睨んだ。
「私、魚料理好きじゃない。だって、骨があるんですもの」
 麻美がそう言ってケラケラと笑った。
 居心地が悪くなった僕は窓のカーテンを開けた。先程まであれほど穏やかだった岐志湾に白波が立っている。庭のアメリカハナミズキの若葉が揺れ、どこからか小鳥の囀りが聞こえて来る。

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