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やる気スイッチはなくていい

こんにちは!やんちゃんです🍫

やる気スイッチ!なんて言葉が出てきて(CMだったけな?)やる気があるとか、ないとか言う話が耳につくようになりました。

やる気がある人。行動的でエネルギッシュな状態。そんな感じでしょうか。でもそれはやる気とは違うと僕は思います。

やる気=行動力なんて良くわかんない。そんな不透明なことではなくて、もっと現実的で生なましいものだって事です。

言葉の力は凄いけど・・

どこかで話した「自分らしさ」「自分探し」のように、そういう言葉を創作すると、あたかもそういう事が本当に存在するような気になってくる。

言葉ってのは共通認識のための道具であって事実ではない。想いを伝えるのに必要だけど、想いが伝わるのには全然足りない。ある意味便利で不便。人間独特の能力です。

やる気ってのも同じで、やる気、なんてものはどこにもない。ただそういう「言葉」があるだけで、そんなよくわかんねーもんはない。

そういう言葉遊びみたいなもんだから、そこに囚われる必要はない。

ほなやる気ってなんやねん


そういう言葉を作った背景を考えればいい。こういう言葉を作る時って、人生を毎日必死に生きている人より、少しエネルギーが停滞している人が思いつくもんだと僕は感じています。

つまりそういう状態の人が、やる気ってのがなくなってるから停滞しているんだ。行動出来ないんだ。と言いはじめたこと。そう考えれば何となく辻褄があってくる。

やる気ってのは、行動出来ない人が生み出した行動しないための飛び道具。
かもしれません。

行動は自然なエネルギー


行動するとか表現するとかってのは、人間が本来持つ生物としての純粋な衝動(エネルギー)です。無理に作り出すものでもないし、コントロールするようなことでもない。

やる気のある赤ちゃんとかやる気MAXのハムスター!!!とか不自然でしょw

モチベーションとか自己肯定感とか自己効力感、みたいなことが言われますが、つまりそれが、やる気ってことを指しているんだとすれば、僕はちょっと物申してみたい。

そんなものない( 一一)

あるとすればそれは、自然に振るまう事への抵抗が自分の中にあるだけで、もっと言えば、出来ていたことが出来なくなったって背景があるだけでしょう。

そんな言葉を作ってしまうと、やる気ない人みたいのをを生み出すだけで、誰も得せんやない。


当たり前に表現をすればいい


繰り返しますが、人間は凄いっぽいけどただの生物です。有機体です。神経の反応や感覚を感じて生きています。そういう、人としての自然な流れを塞き止めずに生きてみればいい。

社会との折り合いは必要やけど、社会は社会であって自分ではないし、社会に自分を寄せるんじゃあなく、自分自身を社会の中で表現していけばいい。

まずは安全な空間の中で自分のエネルギーを表現し、感じてみればわかります。

感じたくなったら、椅子持って来てねww




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