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#Barbenheimer について/日本人フェミニストとして#NoBarbenheimer デモでは共有できない怒りの話。

#Barbenheimer タグに関する顛末がある程度まとまってきたらしいので、一応ここで何回でも強調しておかないとならない話をしておこうと思う。
表題通りだが。

(カバー画像は私の描いた戸定梨香さんの絵。以前彼女に関する記事を書いた時の話も無関係ではないため使わせてもらった)

#Barbenheimer と #NoBarbenheimer 自体にはさほど言及しないので、これらのハッシュタグについての考えとしては、都度都度言及していたツイートをまとめた下記リンク参照。


#Barbenheimerミームの発生とその問題点

#Barbenheimerミームについては以下の簡易まとめのとおり。

そして、これがただの不謹慎ジョークではなく、アメリカの社会的正義と紐づいたムーブメントであるという指摘は以下のCDB氏の記事が正鵠をいているだろう。

そして、つとに私が憤りを覚えている事実としては、以下のCDB氏と三崎律日氏のツイートを参照しておいてもらいたい。

社会的正しさに目覚めた北米リベラルが、原爆というセンシティブ表現については一切の想像力を失って、「これが我らの政治的正しさ」と帝国主義丸出しだったわけである。

これは露悪趣味の4ch民やreddit民が同じことをするのとは全くわけが違う。

わざわざこのnoteを書くに至った直接的な理由

それはこの記事である。

まあおおむね重要な内容としてはCDB氏の記事と同じである。
北米の「政治的な正しさ」とは、決して日本人を包摂するものではない、それに尽きる。

ただし一箇所非常に問題のある記述があったので、わざわざnoteを記すに至っている。

⑥日本の反ポリコレ者たちが焦点をおかしくした

 あと、最近のこのテの話題に共通の現象なんですけど、洋楽とか洋画に対し、こういう「ポリコレ、コンプライアンスの問題」が生じた際に、「アメリカ憎し」の感情だけをぶつけて過剰に騒ぐだけの連中がいて、それが騒ぎを本来の趣旨からそれたおかしな者にしてるんですよね。

特に投稿などを見てても、漫画のエロ表現を保持したい人などにその傾向が強いようですね。

 だから、ネタなんて本当はどうでもよくて、アメリカのポリコレの矛盾を指摘するためには何でもよくてとにかく騒いでやれ、という感じ。それだと話が本筋からずれていくのは目に見えてますよね。

バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか
THE MAINSTREAM(沢田太陽)
https://note.com/themainstream/n/n1836092a471b

「またこれか」という思いである。
日本人女性として何度でもこの脱力感に苛まれないとならないことに、心底から憤りを覚えている。

まず「エロ」の定義の不明瞭さ不正確さ

ここからしていきなり不明瞭かつ不正確なため注釈をつけるが、
日本において一般的に「エロ漫画」と呼ぶ場合は「成年向け」区分か、かつて存在した分類である「類似図書」を指すのが一般的だろう。
(あるいは価格帯によってゆるやかにゾーニングが行われている、全年齢向けボーイズラブやティーンズラブも含まれるかもしれない)

そんな狭い範囲の表現者やその愛好者だけの反発ではないのは、ここ数年の表象批判のターゲットにされた被害作品からも示唆されているはずである。

いや、むしろ成年向け表現はこの手のポリコレとの衝突を起こすことはほとんどないと言い切って良いかもしれない。
現在、明確な成年向け表現は、過度な(閲覧したいと望んだ者が自発的に手に取ることさえ困難になりうる)ゾーニングの向こう側においやられている事も大きな要因の一つだし、
なにより成年向け表現での争点はもっぱら刑法や青少年健全育成条例だ。
ポリコレのようなゆるい(しかし、影響力は広範な)概念とはかち合わない。

つまり

「アメリカ憎し」の感情だけをぶつけて過剰に騒ぐだけの連中がいて、それが騒ぎを本来の趣旨からそれたおかしな者にしてるんですよね。
特に投稿などを見てても、漫画のエロ表現を保持したい人などにその傾向が強いようですね。

という主張は、ここからして現実と乖離しており。
自身に都合のいい思い込みを語っているに過ぎないのである。

ここ数年ほどで「国際社会からしたら異常だ(要はポリティカリーコレクトではない)」と炎上を仕掛けられた表現の主だったものは上にあげた通りだ。

いずれも少女からその母親世代まで、広く女性からの支持も受けている全年齢向け表現である。

「エロ」漫画がどこにあっただろうか?
少女向け少年向け作品における美少女表現までも「エロ」と看做す特殊な見解をお持ちでないならば訂正していただきたい。

また最近では、明らかに女性からの強い支持を理由に起用された女性イラストレーター「表現する場を選べ」つまりは「おまえの絵は"猥褻”あるいは"成人向け"である」と攻撃された事件もあり、いよいよもってこの「エロ」という言葉を曖昧かつ広範に用いることの加害性を問題視している。

言葉尻をあげつらって揚げ足を取っているのではない。
真に深刻な問題の根底にあるのがこの曖昧な「エロ」というレッテル貼りにあるからこそ、批判をしているのだ。

「エロ」のレッテル貼りの向こうで不可視化される女性たち

上にあげた「国際的には異常なことだ」として攻撃された美少女表現が、一般にいう「エロ漫画」ではないことは自明であるが、
それにもまして重要なのが、これら美少女表現は決して男性だけをターゲットにした表現ではないことだ。

(ジェンダー平等意識の浸透と、表現のボーダーレス化が進んでいる昨今の日本で、男性"だけ"をターゲットにする、などということの方が困難ではあるが)

私は10年以上学生相手にイラストを教える職についているが、
私の教え子の9割近くが女性
であり(さまざまな国籍を持つ留学生を含む)教え子らの好む作風とこれら炎上をしかけられた作品たちに大きな差などないことをここに強調しておきたい。

男性キャラだけを描く女子学生は(男子学生の割合以上に)稀である。
美少年と美少女を均等に描く女子学生がおよそ2〜3割程度。
美少女を中心に描く女子学生は毎年安定して半数はいる

であるにもかかわらず、このような「猥褻でもなく」「成人向け」でもない美少女表現は「男目線(male geze)だ」という一方的な決めつけをうけてきた。
そして「性的対象化」の誤った拡大解釈によって、弁護士・学者・議員などの権威勾配の上流にいる者たちの手によって公共から排除しようと働きかけられ続けている。

以下の伊藤剛氏のツイートまとめは、私の憤りと諦念がどこからくるものなのか、理路整然と説明してくれるものだと感じている。

「エロ」という曖昧かつ広範な言葉でもって悪印象を先にあたえることで、まるで女性や子供、社会的弱者がそこに不在であるかのような印象を抱かせるのは、左派リベラルを装った道徳保守のよく使う手である。

しかし、そもそもその「エロ(成年向け)」業界さえも、女性作家や女性編集者が活躍している非常にジェンダー平等の進んだ世界だ。

女性成年向け作家は成年向け作家全体の3割以上
また成年向け作品愛好者の3割弱も女性である。
まさか曲がりなりにも教育を受けた者であるならば「3割は四捨五入で無視して構わない」などという馬鹿な数字の扱いはすまい)

広義の「美少女表現」ともなれば、作家も愛好家も少なくとも半数は女性であることが複数のアンケート結果から示唆されており
女性が作り、女性が受容している側面があることは無視し難い。

さらには、若年層ほど(露骨な「性表現」を含めた場合であっても)美少女・萌え表現を男性とほとんど変わらず好意的に受けとめている。

外側から見えるコミケット」(「性描写」「萌え・美少女」の嗜好に関連する要因)

フェミニズムを「母権・家"婦"長の代弁者」と看做す者たちは、若年女性のこういった自発的な性表現と知る権利を抑圧することに特に問題を感じないらしいことは重々承知しているが
少なくとも私はそういった考えはフェミニストとして批判しよう)

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ポリコレや表現規制に対して批判的視点を持つフェミニズムを無視してはいないか?

そして、
大企業が主導している現代のポリティカルコレクトネスが抱えた問題。
すなわち「グローバル企業や投資家の商売の都合」という側面を指摘している中にフェミニストである柴田英里氏が含まれる点を都合よく無視されては困る。

第3派フェミニズムでの議論をふまえれば、グローバル企業や投資家などの巨大な力を持つ者が唱える「正しさ」に対してフェミニストが批判的な視点を持ってのぞむのは当然ではないか。

そして#Barbenheimerコラが描いた「力強い父性に負ぶわれ、守られた中ではしゃぐ"全ての女性の代表"バービー」像を見て、まっさきに異を唱えるのがフェミニストであることにもなんら不思議はないだろう。

さらに言えば、
"漫画のエロ表現を保持したい人などにその傾向が強いようですね"と、当該の筆者は軽々しく書いているが、
性表現を作り読む権利を害される事に対して明確に否と訴えることもまたフェミニズムの重大な役割である。

「北米批判」「ポリコレ批判」の意見と併せて「性表現および女性表象の自由を守ろうと訴える」人間はフェミニストだ

あえてこう言い切ろう。
当人の自認はフェミニストではないかもしれないが、少なからずフェミニズムの影響下にあってこそ「北米批判」「ポリコレ批判」と「性表現(or女性表象)擁護」は並び立つ

では、ここで改めて最初の記事の引用をしようか。

⑥日本の反ポリコレ者たちが焦点をおかしくした

 あと、最近のこのテの話題に共通の現象なんですけど、洋楽とか洋画に対し、こういう「ポリコレ、コンプライアンスの問題」が生じた際に、「アメリカ憎し」の感情だけをぶつけて過剰に騒ぐだけの連中がいて、それが騒ぎを本来の趣旨からそれたおかしな者にしてるんですよね。

特に投稿などを見てても、漫画のエロ表現を保持したい人などにその傾向が強いようですね。

 だから、ネタなんて本当はどうでもよくて、アメリカのポリコレの矛盾を指摘するためには何でもよくてとにかく騒いでやれ、という感じ。それだと話が本筋からずれていくのは目に見えてますよね。

バーベンハイマーの原爆ミームへの抗議は、アメリカ人側となぜ全く噛み合っていなかったのか
THE MAINSTREAM(沢田太陽)
https://note.com/themainstream/n/n1836092a471b

なかには揶揄をするだけでろくな議論もできない者も混ざっていたかもしれない。
しかし、その一部の悪質な者を以てこの言い草だというならば、
私も「ポリコレを唱える者など女性を攻撃して性的な快楽を得ている異常性欲者だ」とレッテルを貼りたくなるだけの経験はしている。
そんな幼稚なやりとりに終始したいのか?
それに何か社会的正義があるか?

別に今回に始まったことではない。
何回も女性やフェミニストから同様の指摘はあったはずだ。
フェミニズムからの批判の声すら十把一絡げにして
「おまえらは無関係なのだから黙っていろ」とばかりの主張をすることからいい加減卒業してはどうだ。

恥入って反省をし、現実を正しく学んでもらいたい。

すでにこの手の話題はツイッター上だけでも10年近く語られてきている。
いい加減、知的怠惰のそしりをまぬがれ得る猶予期間は終わっている。

左派リベラルの思い上がりと無知に脅かされてきた女性たち

忘れ難い事件がある。
国連という権力から派遣されてきた特別報告者、マオド・ド・ブーア=ブキッキオが、「日本の女子高生の30%が売春をしている」というデマと共に、多くの女性やマイノリティの活躍の場である漫画やゲームを児童ポルノとして規制せよと主張した2016年の出来事だ。

最初から喧嘩腰での会見。
日本のフェミニストを含んだ表現擁護者側からの指摘を受けて「13%の間違いだ(これも根拠のない数字)」と適当にはぐらかす態度。
それら全てにおいて、この国連特別報告者の言動には日本に住む女性の人権を慮る真摯な態度など無かった。

この国連特別報告者の一方的で差別的な暴挙の影には、いまフェミニストや左派リベラルを自称している人間たちの暗躍が指摘されている。

この事件に際して女子現代メディア文化研究会が多くの女性の賛同を集めて発したこの意見書を何度でも引用しておこう。

【意見趣旨

私どもは「日本における女性の権利」の保障につきましては大いに賛同いたします。一方で、そうした保障をするための手段が妥当であるか否かは慎重に検証したいと考えます。「日本における女性の権利」の保障のための「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」という手段が妥当であるか否かを問われれば、それは否であると答えなければなりません。


【意見の理由】

[ 理由1 ]
漫画やビデオゲームといった創作物上の架空の性的暴力は、実際の人権侵害ではなく、女性の権利の保障としての意味がないからです。

[ 理由2 ]
日本において、特に漫画の創作分野は女性が自ら築いてきた女性が活躍する場です。「性的暴力を描写した漫画」を販売禁止すれば、その影響により、かえって日本の女性に対する差別的状況を生み出すからです。

~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~ 議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書

「性的暴力を描写した漫画」の販売禁止を行えば、出版社が絶版を決定せざるを得なくなる作品が多数出てくることが予想されます。
漫画の創作分野は日本においては女性が活躍する場であり続けたにもかかわらず、女性たちがせっかく開拓してきた活躍の場を狭められる、または否定される結果となります。
そして、漫画の読者側に立ってみれば、漫画を読むことによって知り得たはずの、女性への性的搾取の歴史を知る機会も失われます。
我が国の女性の活躍の場である漫画の創作分野が集中的に踏み荒らされることで、女性の漫画家のみならず、女性の漫画愛好家や漫画に関わる女性クリエイターが被害を被ります。
これは、日本の女性の活躍を阻む差別的な仕打ちです。

~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~ 議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書

翻って、北米の大企業らが主導してきたポリコレとはなんだったか?

「政治的なご都合主義」を「正しさ」と呼び、まるでこれが無謬の正義のように語った者たちには、ブキッキオ特別報告者と同様の無知と偏見が常にあった。
異文化圏からきた人間ではない。日本人たちの中で、少女趣味を侮り見下している者たちが大勢いた。
アイドルや萌えなどの美少女表現を通じてのガールズエンパワメントやマイノリティの包摂の功績を認めず、ひいては美少女表現によって自己実現を行いながら活躍する者を「政治的に正しくない」「遅れている」と一方的に断じた。

そして彼らグローバルな正しさを唱える者たちは「萌え」とよばれる美少女表現一般を「エロ」と曖昧かつ広範に呼称し、まるで猥褻なものや年齢制限が必要なものかのように喧伝して表現者と愛好者へのヘイトを語った。
ついには、自身の憧れや希望を強く投影したアバターを「性犯罪を助長する」と権力者から攻撃され、公共からの排除を受けて涙する女性まで産んだ。

「この少女の体や服装は悪しきステレオタイプそのものだ」
「政治的に正しくない女の体は国際社会から批判されて当然だ」

どう取り繕おうとも、ポリコレの名の下に吹き荒れた暴力的な言説は、女性の体に対して自分勝手な規範を押し付けるものでは無かったか?

【疑義】
(1)胸が大きな女性の表象が含まれる広告が排除されると、胸の大きな実在する女性が疎外感を持つ場合があります。そうした女性にとってはエンパワーメントとは逆とならないか。
(2)国連女性機関が性的か否かの判断をしミニスカート姿を含め性的であるという基準であれば、国連女性機関の理想とする「女性像」の押し付けとならないか。

国連女性機関の「月曜日のたわわ」広告への抗議意見についての疑義


「萌え」表現の中にも「エロ」表現の中にも、上に引用したように「女性の視座」が多く語られ、時に女性自らの手で性的搾取に対する告発が行われてきたというのに、なぜこれを容易に「男目線」と断じて安易な男女二元論に落とし込んだのか。

日本人女性が多く活躍し、何十年も支えてきた表現の世界を攻撃する無知と偏見に対して、令和になってもまだ戦わねばならない。
これも後期高齢社会の宿痾と思って、家父長制・家"婦"長制の残党と戦ってやるしかないのだろうか?
一体いつまで続くのだかしらないが。

バービーは決して「全ての女性の代表」ではない

先に述べた通り、日本の美少女表現は性表現も含めて、常に女性たち…それも年若く軽んじられ抑圧されやすい少女たちの言葉や憧れ、欲望、そして子供が大人へと変化してゆく現実を受け止め、それに答えてきた。

そしてそれら少女のための等身大の表現には「色情狂」という言葉でバッシングが来ているのだ。
ここまで批判してきた「エロ」「男目線」という曖昧な言葉で、女性の存在も言葉も不可視化してきた自称「ポリコレ」「グローバル社会」の代弁者らと相似形とは思わないか?
アップデート?古色蒼然たる伝統的な道徳保守の間違いだろう。
いい加減自分の立っている場所をよく見直すことをおすすめする。

現在、少女マンガのもっともメジャーなテーマが恋愛であることはまちがいないでしょう。しかし、かつては恋愛をテーマにして自由に描くことはタブー視されていたのです。

少女マンガはどこからきたの? web展「タブーについて(獲得したもの)」

恋愛に関しては、学園ものを描いていた今村洋子の次の言葉にも驚かされます。「すごい投書が来たんですね。おまえは色情狂かって(笑)。(略)好きな男の子の気を引くために、よくある手だけどわざとハンカチ落として拾わせる、なんて昔からあるじゃないですか。(略)編集長に見せられて、怒られるのかと思ったの。そしたら『いや、こういうのが来なくちゃダメなんだよ、これからは』って」

少女マンガはどこからきたの? web展「タブーについて(獲得したもの)」

集英社の元編集者・徳永孝雄は『週刊マーガレット』(1963-)初期の、少女の恋愛感情を描くことを解禁した頃について次のように語ります。「女の子は4、5年生になればね、異性が好きだ嫌いだという感情が芽生えるのは当然だけど、そこら辺のとこへ立ち入るのははばかられたことがあった。そのレベルを少し変えてみようか、ということで、恋愛にストレートに取り組んでみたらどうなんだ、ということを考えまして」

少女マンガはどこからきたの? web展「タブーについて(獲得したもの)」

少女雑誌においては1960年代前半まで初潮の話題はタブー視され、生理用品の広告さえも保護者から非難の対象となっていました。

少女マンガはどこからきたの? web展「タブーについて(獲得したもの)」

少女期から大人に移行する時の大事な精神的なもの、身体的なもの、そういうものは描きにくかったです」

少女マンガはどこからきたの? web展「タブーについて(獲得したもの)」


また少女向け・児童向け作品がルーツの一つであり発展した作品群で、日本の美少女表現の中でも大きな幹の一つであるジャンルに「バトルヒロイン」がある。
男性作家が産んだ作品に影響を受けた女性が新しいヒロイン像を生み、
また女性作家の産んだ作品から男性作家が大いに影響を受けて、
男女が互いに良きライバルとして表現をぶつけ合い研鑽してきたのがバトルヒロインというジャンルである。

初めは男性が描いた叙情画の美少女や少女漫画からはじまり、そして少女たち自らが描く少女漫画が生まれ、女性の描く美少女表現を少年漫画に取り入れる作家たちも現れた。こうして連綿と続いてきたキャッチボールは、
ついには男女でジャンルを区別することを必要としなくなりつつある。

20年前ならただの笑いのネタであった「美少女になりたいお父さん(おじさん)」を、日本の美少女表現はゆっくりと当たり前のものにしつつある。
バーチャルや創作の中での包摂とはいえ、だ。

こういう日本へやってきて、キノコ雲を背負いながら強い父性におぶさっているバービーをして「全ての女性の代表」と不遜にも語るラーム駐日米国大使である。

これをもって「北米憎しなやつらが話をややこしくしている」と、よく冷笑していられるものだ。

はっきり言おう。
これは日本の女性と、日本の創作が支えてきた草の根フェミニズムへの侮辱だと。

#Barbenheimer自体はネットのよくある露悪的なミームにすぎない。
無神経ではあるが、好きにすれば良い。

ただし、これを北米左派の「正義」として発信した者は強く批判するし、まして権力者である大使の発信は純然たる侮辱ととして受け止める。

また冷笑癖から脱せない日本のポリコレ信奉者にも、
その皮肉屋ぶりを少しは北米帝国主義に対して向けて見てはどうだ?と問い続けよう。

本筋からはズレるから文字数を割かなかったが、お目覚めリベラルさんたちの、とことん「国対国」の政治的なご都合でしかものが言えない体質もいい加減どうにかしてもらいたいものだ。
「日本が反省してないから〜」みたいな幼稚なことを言い出すのを見ていて恥ずかしくなる。国籍も人種も性別も問わない一般市民という弱者の視点が全くすっぽ抜けているくせに左派気取りなのはどういう認知をしてるのだ。

私はフェミニストとして、
そして、日本の女性を勇気づけ続けてきた美少女表現を次世代に受け継がせる職を天に与えられたものとして、
何度でもお目覚めリベラルに中指を立てる。

それから、
引用したnote記事の筆者には通知が行くかもしれないけれど、私は知的怠惰にあぐらをかいて、女性の声を無視してきた鼻持ちならない左派リベラルと会話する気なんてさらさらないし、
左派リベラルを誇って説教かますタイプのおっさんたちがどんだけ卑劣で凶暴かもしってるんで、まとめてブロックしている。

おまえらからは返事も反論もいらん。

私が言葉を綴っている相手は、私の教え子らをはじめとして「美少女表現を奪われたら悲しむ」極平均的で特段善良でも悪辣でもない人たちだ。
こんな連中があんたたちの自由意志を無いもの扱いして、上から道徳だか縄張り争いだかわからんもんを押し付けてるんですよ」
こんな連中が大手を振って偉そうな顔してられるのは、生活に余暇があって選挙応援やロビィイングに精を出せるからですよ」
投票率をあげないとこんな変な人たちの組織票で政治が動いちゃうんですよ」
と、毎日若い人たち相手に説法するのが私の副業だ。

くりかえすが、恥入って現実をよく学び、自己批判をしろ。

本当の「頑迷なおっさん目線」を体現してるのはいまの左派リベラルでつるんで陰キャのボーイズクラブつくってる連中だと思うぞ?

サポートくれた方、本当にありがとうございます。 絵の資料とかうまい棒を買います。