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子供の生まれた環境は、子供の成長に影響があるか。


結論から言うと関係無い。

私が30歳を歳ぎた頃、自分の経験した事を従業員や、ボクシングの教え子に言っていた、今も変わらぬ信念を下記に記す。
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「在日朝鮮人、同和地区、孤児、貧乏、障がい者、大金持ちの家。どう生まれるかは天のみが知る。その時点で平等ではない。
生まれた時点での平等と言う事はあり得ない。。

 しかし人生は、それを不幸とは言わぬ。何故なら生きていると必ず、天は万人に「平等」に、チャンスを与える。
 前向きに生きている者はこれを掴み、仕事をせずただ遊び、チャンスを待つ者は、これに気付かないから絶対に掴めない。

チャンスを掴みに行くか遊んで待つだけか、で人間は決まる。
だから平等に伸びる者は伸び、平等に駄目な者は伸びぬ。

努力した者、しない者にはこうして差がつく。だからこの世は平等なんだ。体に障がいのある人を見ろ。
乙武さんは両手両脚がないのにチャンスを掴み、一所懸命勉強したから立派になってるじゃないか。お前はどうだ?

無理と言うな、思うな。不可能を認めるな。負けを簡単に受け入れるな。仕事は徹底して継続し追求しろ。」
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とまあこんな事を、時たま教えていた。

50歳を過ぎ、私は安岡正篤先生の勉強をしようと思い立ち、これは趣味ではなく、もっと自分の知らない事を追求しよう。

そう思い立ち、嫌いな漢文も我慢して読んだ。

読めば読む程、自分の教えはどうか。ここはどうだ?ここは一致してるな。そう一喜一憂しながら、今も読み勉強している。

北九州市議長、元市議長。現北九州市議会議員等と、今後の北九州を語る。

そこには私のマナーのない父と、中卒の母からは絶対に学べない、人として多くの原理と原則が書いてあり、心が踊った(笑)。

その中で氏はこう書いている。記憶のまま書くので正確ではない。

産まれてきた時を宿命という。宿命と運命は違う。
宿命は確かに変えられないが、命を動かす事が運命である。
宿命に任せたら燦々たる結果に終わるが、勉強研究する。
このような人は運命と、環境を変える事ができる。
だから寿命も、宿命に任せなければ、このように環境を変えれる。

読んでいて恥ずかしくなり、育ちの悪さをネタと売りにしていた自分を恥じた(笑)。

確かに私も、寿命なら相当変えてきた。ただ悪い事ではないが、私は手法が強引過ぎた。だから教育をする為、北九州を変える為。

ただそれだけの為に、このような勉強をする。せずにビジネスだけやらせてくれたら40歳でビル位は建てていたと思う。

しかしそのビルは、恐らく正しい経過で得たビルではなく、どこかでそれこそ寿命を縮め、今は無いと思う。

では最後にもう一つ、安岡先生の文章を引用する。

人は環境を作る/安岡正篤

環境が人を作るということに捉(とら)われてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。
人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以(ゆえん)がある、自由がある。
即ち主体性、創造性がある。
だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。
人間が出来ないと環境に支配される。

私の周りは、出自や環境の悪い所で育った者も多い。しかし、誰一人、友人に悪人はいない。彼等は確かに環境を作った。

ジムで本を読め、とうるさく私はいう。

唯一の私の取り柄は、書面を書く事や、折衝事に長けていた事だ。読書のお陰で、私は多くの知識と言葉を知った。

小さな頃から本を読め。

大人でも遅い事はない。

さてこれを読み「いずれ読もう」と思う人は、運命を変わらず宿命を恨み、その宿命のせいにする人で止まるのではないだろうか。



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