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市議の孫の私と北九州市とその市議に北九州市民が市長選挙を通して見た現実Part2

これは連載物になっております。
下記、Part1をお読みになって、続きをご覧下されば幸いです。

https://note.com/yanagihara_gym/n/n3413ae04f91c

私が19歳の頃だったか、父から選挙を手伝えと言われ、社会党の
福岡県議会議員と、北九州市議会議員の補欠選挙を手伝った。
この時労働組合からの選挙活動費だ、と父から私は10数万のお金
を貰った。

時効だけれど犯罪の様な気がするが、深く考えず、事実を書く。

親父にとり、北九州市議会議員補欠選挙の方が大変だったと思う。

当時は、土井たか子党首率いるマドンナブーム。私は父に言われ、
一晩、彼女の車の後ろにつき、護衛した記憶がある。

この時社会党では、うちの親父の人気と、国鉄の門司鉄道管理局の
労組の委員長という経歴に目をつけ、親父を北九州門司区の選出の
市議として出す事になった。

当時市会議員とは悪い事のできる人、と勘違いしていた私は親父に
「市議に出て受かったら一緒に悪い事して大儲けしようよ。ネタは
 オレが持ってくるから」。

そう言うと親父は確かに私の目を見て、「そうやな」と笑った。

しかしここで、母親の猛反対が起きたそうだ。

母は前回書いた様に、祖父が参議院議員選挙で落ちたトラウマが
あった。

理屈ではなく、女性だから本能で反対する上、母親が一度怒ると、
もう誰にも止める事は出来なかった。

玄関で、何処かで見た事のある顔が、何人も来ては帰る。

後で聞くと、当時の社会党本部のNo.2や3の国会議員が来ており、
なる程、そう言われると、国会中継なんかによく映ってた人だ。

結局どうなったかとのちに聞くと、母が物凄い事をこの人達に言っ
ていたそうだ。

「うちの父で議員は懲り懲りだ」。
「貴方に落ちた議員の気持ちがわかるのか!」。

そしてトドメの言葉はこれだった、とのちに親父から聞かされる。

「廣一が鑑別所とか留置書に入って、市会議員なんか。アナタ怪文
書ばら撒かれて終わるだけよ」と。

これを聞いた時、どうか夢であるか嘘であって欲しい、と思った。

と、これが現実で、更に私が執念く聞いて、親父がそう教えてくれた。

「関係ない。黙って出ればいいよ」と、まだ未成年の分際で、私は
何も知らず親父を説得していた。

親父はこの事について、愚痴一つ言わなかったし、今も言わない。

そもそも親父は、驚くという概念がない上「忙しい」「きつい」
「辛い」と言う言葉を一度も吐かなかった。

そうこうしてると今度は、親父の妹の娘に災難が振り返る。
つまり私には従兄弟だが、高校を出てある銀行に就職が内定した。

しかし親戚か縁者に犯罪者がいる、と銀行に内定を消された。

父方の叔父は、ライオンズクラブ重鎮だったので、何とか説得し
で入ったと聞いた。

もう何もかもが、自分のせいだと思った事を思い出す。
何かが狂い、全てが自分のせいだが当時反省などした事もない。
もうメチャクチャだった。





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