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なぜ君は夢が叶わないのか

私の小学生の頃の夢は、と言うと物凄く恥ずかしいが、職種は問わ
ず社長になり、お金を稼ぎキャバレーで遊ぶ、という事だった。

どうか笑わずに、最後までお付き合い願いたい。

子供の頃、確かロンドングループとかいうキャバレーのCMがTV
で繰り返し、流されていた。

父は平凡なサラリーマン、と言いたいが全く平凡ではなく、他に女
性がいたので貧乏ではないが、近所で私達は一番お小遣いが少なかった。

今でも鯉が好きな私だが、その理由は近所の友達の家で玄関を上る
と、廊下がガラス張りで、その下に鯉が泳いでいる家があった。

後にその家のお父さんは、泥棒だった事が分かるのだが、その時は
知らず、とにかく羨ましかった。というより鯉も社長になって飼いたい、そう思った。

他の友達も、お父さんが外車に乗ったり豪華な家に住んだり、いい
服を着ていたのが多かった。

私は恐ろしい事に、いつの間にかロンドングループのCMを見る度
「早く大人になりたい」と思う末恐ろしいパブロフの犬の様なガキ
になった、という訳である。

学生時代はお金より友達や彼女と遊ぶのが楽しく、友達が殴られた
り虐められたら仕返しに行き、差別された友達がいると、した者に
文句を言いに行ったり、と人の世話ばかり焼いていた。

10代から20歳迄、そんな事ばかりだった

21歳で仕事をしだすと、一年で十も年上の部下を持ち、誰よりも
仕事ができたと思う。

この頃はサラリーマン金融で働いていたが、ある日集金に来てくれ
というお客様がいて、10歳年上だが、まだ新入社員の安田君と言
う部下を連れて行った。

現場に着くと「お疲れ様です!」と、30歳位のパンチパーマに
18金のブレスレットをした、いかにも!というおっさんが助手席
の私に声をかけた。

当時のうちの店長が嫌な奴で、新入りが続かない事情も重なり、
「安田君、あんたは車に乗っとき」と制し、1人促されるまま怪し
気な事務所に入った。

当時手取りで15万少しの給料だった私は、この事務所に入るなり
「オタクどこですか?」と、数人で麻雀をしてる大人から言われた
ので「リッチ株式会社です」とか答えた。

「いやいや、そういう事やないと。どこの人ばか聞いとうとです
よ」と博多弁で言われるので、サラ金とホテルとゲームセンターを
営む本社名の事か、と思い「昭和興産株式会社です」と答えた。

すると「どこの系列ですか」と聞いてくる。

嗚呼、ヤクザと間違えられてるのか、と気づいた私は「いえ、サラ
リーマンです」と答えた途端「お前カタギが何言いようとか!」。
舐めとうとかキサン!」と急に態度を変えた。

安物の電球の様に、簡単に切れる私の脳は即座にキレた。

「あんたオレがサラリーマンて言ったら偉い強なるのう。あんたら
が来い、ていうから来とるんやないか!相手の立場確かめんと喧嘩
できんのか!昼からマージャンする様な乞食ヤクザが物言うな」。

もうどうでもいいや、と思い開き直ったら、奥から小さなおじさん
が出てきて「もうよか」と言って、私を連れ出しこう言った。

「兄ちゃん、サラリーマンがそげん言うても給料変わらんのやろ。
後は兄ちゃんとこの店長呼ぶから帰り」と諭され、助かった。

これを機に、安田君は私の部下として、身を粉にして働いてくれ、
頑張ってくれた。

私が辞めた後「店長。柳原がおらんでも、ワシ1人がおれば成績は
変わらん?よく言えますね!柳原さんがいたからうちは全店舗1位
だったんじゃないですか」。

安田君は、そう店長に食ってかかり、沖縄支店に飛ばされ、女の子
達は全員辞めた、と聞いた時は本当に嬉しかった。

その後も北九州に帰り、人が取れない集金に行き半分を貰ったり、
ややこしいトラブルに介入して、謝礼を貰ったり(これは弁護士法
違反になるが)と、半分は人の為に、人の喜ぶ顔が見たい。

そういう、今思えば法に触れることかも知れぬが、集金したりトラ
ブルを解決した謝礼を、一円も誤魔化すことだけはせず、気づくと
25歳で福岡県知事から許可が降りた金融業を立ち上げた。

金融業を始めて私はいつかビルを建てる、という目標を持つが若い
ボクサー達に頼まれ30歳から、ボクシングトレーナーとなる。

皆に喜ばれたくてボクシング指導をし、嫌だったボクシングジムも
請われて出した。

これも楽しいのが、気付いたら何故かもう直ぐ、9階建てのビルが
竣工する。

ロンドンではないが、キャバレーやクラブ、ラウンジには飽きる程
行き、鯉も買った。

何故こうなったのか、振り返ると私は口に出した事は必ず守り、こ
れはちょっと寝ないでやらないと難しいな、と思う事は周りの人に
「これを絶対やり遂げる」と自分にプレッシャーをかけた。

自分で後戻りできなくしていたのだが、行き詰まりそうになる前、
必ずその道の師に、頭を下げ教えを請いた。

絶対これはするな、と言われたらその人がその道のプロなら、納得
できる事は素直にしなかった。できない事は口に出さず、コッソリ
チャレンジし、成功した時もある。

さて私はビルも鯉もいい車も、全て手に入れた。
何故か?

全て友達に恵まれた。これしか理由はない。
努力という言葉は吐きそうになる程嫌いで、苦労どころか徒労に終わることが多い人生だった。

しかし私はひたすら仕事と、人の事、友達や先輩の事を考え生きて
きた。そんな私を両親は温かい目で見ていた。

つまり人間は、利他的でプラス思考であれば思った人間になれる。

素直で、勉強し必ずそれが誰かの為にもなり、自分と、チョッピり
大事な人の為に、王道を走れば、小さいながらも夢は叶う。

大昔のある世界チャンピオンは、親に無理やりボクシングをさせら
れベルトを獲ったが、私はこの人とは合わず付き合わなかった。

親を憎む人が嫌いだった。しかしこの親も嫌いだった。

夢は大人が無理やりさせるものでもなく、子ども時代に周りの人に
押されて自分らしさを見失ってしまい達成するものでもない。

ましてや自我のみでも叶わないし、ただ夢が叶えばいいという物で
もなく「間違えた自分の信念」を貫くことでもない。

人は誰でも間違え、失敗する。しかし、3度同じ失敗をすれば残念
だが、もうその夢は叶わないと思う。

人を自我や自分の夢で罪の無いひtkに蹴落として、成功することが
あれば、それはまぐれで続かない。誰にも助けてもらえない。

「気」と「信」。
こういう物を教わらず、また教わっても、それを省いて事を行うと
夢は叶わない。

夢が叶わず影でザマアミロ、と言われるうちはまだ幸せで、誰にも
何とも思われなくなると、これはもう哀れとしか表現の仕方ない。

確かに政治や教育。これは年々、悪くなっている。

だからこそ、大切な友達、親、師や先輩。誰かの為に夢を叶えよう
と思うべきだ。勿論自分が幸せになる為にのなっる。

そうすると言葉が変わる。
言葉が変わる人の行動を追うと、その人の心が見える。

「子どものうちから自分らしさを大切にする教育」。
則ち子の特性を見極め、やっていいこととダメな事を教え叱る。

徳をまず作る。その上で道の真ん中を歩ける様教育する。

これを放棄する親は、子供が大人になった時は、もう修復不可能。

多いのは口だけのほら吹きになる。


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もう一度親子で再考してみよう、と言う親子がいれば幸いである。


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