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笑われてもいい

もがいてもがいてもがいて。
もがくしかないんです。

恐れを感じながら進むので。
整ってなんかいないです。

でも。
美しいです。

泥臭いの好きな人。
多いんじゃないかしら。

先週木曜日がアメブロの担当日でした。
ヤマアラシは愛したい」。

元夫を許すプロセスを言語化しましたが。
これがもうなんというか。
下書きからものすごく重い体感があって。

罪悪感同盟だったのだなあと。
ひしひしと実感しました。

重苦しいお話なので。
読んでいただける方も。
いつもよりぐっと少ないのですが。

それでもいくつか感想をいただけたり。
いいねを押していただけて。
心から感謝をしています。

また、読んでいただいた方の勇気が。
本当にすごいなあと。
心から尊敬しています。

許しってとても誤解されやすいけれど。

本質的には。
嫌ったり憎んだり恨んだりしている人からの。
愛を受け入れることに他なりません。

愛を許す、とも表現されます。
自分から相手へのアプローチであっても。

返報性の原理に基づいて。
相手から同じものが返ってくるからです。

誰かを許せば。
誰かからの愛を受け取れるわけですね。

相手と同時に自分を許せます。

相手が悪いのであって。
自分は悪くないと思う場合もあるでしょう。

でも。

誰かを悪者にするって。
気分は良くないですから。

相手が悪いと思った時点ですでに。
相手に罪悪感を覚えているのです。

悪いのは自分かも知れないと。
感じている証拠です。

問題というのは。
自覚できない隠れた罪悪感のゆえに。
自分を許せなくて起きているものです。

どんなに相手が悪いように見えても。

自覚できずにいる罪悪感を自分から切り離して。
相手に投影しているに過ぎないんですね。

絶対に許してやるもんかと思うほど。
あの人をうまく愛せなかった自分を。
許せずにいます。

あんなひどいことをしたやつに。
愛なんかあるわけがないと信じています。

でも同時に。
自分は愛なんかじゃないと信じてもいます。

相手に怒り、憎み、恨むことで。

悪いことをしている、罪を犯している感覚から。
自分を解放できずにいるために。
苦しくて、幸せになるあゆみを止めてしまうのです。

だから。
チャンスがやってきたら。

さっさと許してしまったほうがいいのです。
自分を苦しみから解放してあげるために。

日々のカウンセリングで思いますが。

ひどいことをしている人には。
ひどい態度を取らざるを得ない理由があるだけで。

サイコパスに見えたとしても。
何らかの障害があったとしても。

愛がないことはあり得ないと実感します。
「お母さん」から生まれていない人間が存在しないのと同じです。

DVが原因で別れた私の元夫も。
愛ゆえに。
私を手放してくれていました。

どんな人でも愛したいと思っているのが心の本質ですから。
うまく愛せなかった理由があるだけで。

愛がないことはあり得ないと実感します。

人は、間違います。
関係において、お互いに。

愛せなかったと思うゆえに。
ダメなやつだと誤解します。
相手も、自分も。

人は、間違います。
でも、罪はありません。

誰にも。

間違いは修正すればいいだけなので。
罰する必要はありません。

誰かや何かを攻撃したり。
罰したりしても。

お互いの罪悪感を強化するだけで。
心が負い詰まるばかりです。

相手を許すことで。
自分を許せます。

たまに。
自分を許すことが最優先と。
思ってらっしゃる方おられますが。

不出来な自分を許せない気持ちは。
どんな状況でも関係の中に表れるので。

自分を許します、と。
アファーメーションを唱えるよりは。
相手を許すことで、自分を許した方が。

問題解決のプロセスが早いです。

一時的な葛藤は覚えますけど。
エゴに餌を与えることもありません。

許し。

心理学を学んできて。
いちばん知れてよかったと思うことです。
生き方の根幹に関わります。

間違えただけで。
愛がなかったわけじゃない。

間違いという幻の向こうにある愛に気づき。
受け入れていくことが許しです。

完璧な人はいないように。
人は必ず間違います。

そもそも生き方に正解なんてありません。
間違うことも許されています。

どう生きたらよろこびかを学ぶために。
間違いがあるのだろうと思っています。

疫病があり、戦争があり。
2022年の今は。
分断の中にわずかな希望があるようにしか感じられない世界ですが。

個人的には、時間的、精神的リスクが高過ぎると感じますし。
学ぼうとしているという発想も。
だいぶ呑気な感じもするのですが。

それでも。
人は間違い。
学ぼうとしているのかも知れないと思います。

この世界に愛なんてないと。
思いたくなることは正直、あります。

しかし。
うっかり短絡したくもないのです。

愛などないと断絶してしまうことが。
すでに魔の誘惑に負けることで。

やけくそになったり捨て鉢になったり。
自己破壊的な行動も。
ほらどこにも愛なんかないだろう? と。
愛を試す、挑発だよなと思うからです。

ところで。

誰かを許すプロセスにおいて。
いちばんの壁になるのが。
自分の間違いに直面することでしょう。

誰しも、気分の悪い出来事は。
誰かのせいにしたいもの。

自分が何かを間違えたと受け入れるのは。
成熟しないと取れない態度だからです。

また。
許しましょうとお伝えしたときに。

そんなの無理です。
あの人は本当にひどいことをしたんですと。

おっしゃられるのはまだ。
ご本人に意欲があります。

もうあの人のことは許しましたと。

どこか冷たい怒気をはらんだお答えを。
いただくこともあります。

しかし。

距離を置き。
切り離し。

見ないように。
関わらないように。
思い出さないようにしているだけで。

許せてはいません。

私が、元夫の籍から抜けた除籍謄本を。
長いこと直面できなかったのと同じです。

許しとは。
「許せないと思っているあの人の愛を受け入れる」ことです。

長いこと私は。
元夫の愛を受け入れられなかったのです。

許せてはいませんでした。

するとやっぱり。
相手が変わったところで。
許せない面が見えてきます。

今の夫とも3年くらい関係が安定せず。
喧嘩をふっかけてばかりだったのですが。

考えてみれば本当は。
元夫との間で直面しなければいけなかった学びから。

未熟さゆえに逃げていました。

だから。
今の夫との間で学び直させてもらったのでしょう。
とても大きな愛情ですよね。

ちなみに逃げることは悪いことではありません。

自分の課題に直面するにはそれなりの覚悟がいります。
準備が整うまで。
一時退避しか選択がないこともあるからです。

また、成長してゆく過程で。
たとえまた間違えてしまいそうになったとしても。

苦しみをお互いに理解し。
支え合える相手が表れることも。
よくあるからです。

いつしか本物の絆となり。
積み残し課題に向き合える基盤ができることも。
またよくあるからです。

さて。

私は悪くない、元夫が悪いと言いたかったです。
でも、誰も幸せにならないのは何となくわかる。

さらに。

元夫が暴力を振るいたくなるような。
罪悪感を刺激する態度を。
私が絶対に取らなかったかというと。

やっぱりそんなことはないわけです。

そうは言ってもあの人だってと思いたかったです。
実際、そう思っている期間も長かったです。

自分の間違いを受け入れることに葛藤しているわけですね。

しかし。
誰が悪かったのかという悪者探しや原因探しと。
幸せになれる在り方は、実は相関しません。

悪者探しや原因探し自体が。
実は終わりがありません。

ぐるぐる考えて動けなくなることってありますよね。

罪悪感の沼に落として身動きを取れなくすることで。
幸せにさせないエゴの策略だからです。

つまり。
魔的な罠に引っかかってしまっている。

正直なところ。

相手にせよ自分にせよ。
誰かを悪者にするものの見方を採用していると。

表面的には楽になれるのですが。
問題から距離を置いているに過ぎず。

幸せじゃない在り方が根本的に解決しない。
隠れた罪悪感がゆえに。
幸せが感じにくいのです。

もちろん。
誰かを悪者にすることで発生する、なんらかの賠償が。
生きるよすがにはなり得ます。

例えば、慰謝料をもらうこと。
生活を立て直す力になることもあるでしょう。

でも「憎いから奪えるだけ奪ってやる」と思うのと。
「あの人のせめてもの誠意だ」と思うのでは。

未来の方向性も変わることが。
なんとなくお分かりかと思います。

憎み続け、恨み続け、絶対に許さないという生き方は。
何より心を追い詰めて行きます。

許さないという気持ちは。
自分に幸せを許せないのです。

誰かに怒り、憎み、恨んでいると。
愛が入ってこれません。

怒り、憎しみ、恨みの正体は。
許すことで愛を受け入れることへの。
拒絶や防御だからです。

ところが。
もうあの人を許すしかないなと思う時期が来てしまいます。

辛くて苦しいのはもううんざりだ。
幸せになりたいと思ったときでしょうね。
準備もできています。

実際に。

無意識的にであれ。
次のステージに進もうと意欲を持ったときに。

わだかまりを思い出したり。
指摘されたり。

現実的な出来事が壁となって。
立ち塞がっているように感じたりします。

関係に横たわる問題を全て学び終え。
未完了の課題を完了させるという。
やり残しへの直面タイムに入っていくわけです。

チャレンジしているものが大きければ大きいほど。
いやこれどうすんの、絶対に無理だわと感じます。

次のステージに進むには。
魂レベルでの変化が求められているからです。

夢を叶えていくときも同じです。

学び残しがあると。
これ、未提出のやつだから、やっちゃってね〜と。
追試が現れます。

幸せになろう、夢を叶えようという志が。

本気かどうか。
腹が括れているかどうかを。

試されていると言ってもいいでしょう。

念の為申し上げますが。
試験に不合格でも。
必ず次のチャンスはやってきます。

ただし、誰かの援助を受けながら。
向き合ってしまうことをおすすめします。

今回の人生で、何年生きているかを考えたとき。
この肉体が消滅するまでの残り時間の見当がつくでしょう。

辛い時間を、無駄に引き伸ばす必要はありません。
メンタルマッチョに思えるかも知れませんが。

お嫌いではないでしょう?

チャレンジしているものにもよりますが。
一説には。

不合格だった場合。
次の試験は3年から5年後と言われています。

どこかで自分から諦めてしまったがゆえに。
大きなハートブレイクが起き。

自分はダメなやつだと感じる自罰感情で。
もう一度試験に向き合おうと思えるようになるまでに。
リカバリーと補習期間が続くからです。

一度失った信頼を回復するには。
それなりの時間が必要なのと似ているかも知れません。

しかし、今。
試験に直面しているなと思えるのなら。

昔、幸せになることや、夢を諦めたときの。
挫折から何とかもう一度立ち上がって。
できる限り地道に生きてきたことで。

試験のチャンスがやってきたのでしょう。

自覚を持てないこともあるでしょう。
だけど、あの時以来、出来ることを。

コツコツと誠実にやってきたのは。
事実ではありませんか。

だからこそ。
幸せになるための、夢を叶えるための。
再試験が行われているのです。

これまでの努力が。
報われようとしているのかもしれません。

これはもう無理かもわからんねと。
感じるような課題や。

あいつ絶対に許せないと思う人が。
心にちらついているなら。
それこそが。

次のステージに進むための試験です。

幸せになりたい、夢を叶えたいと思えば思うほど。

自分は幸せになってはいけないとか。
自分なんかが夢を叶えてはいけないと。

勘違いしてしまっている罪悪感を。
溶かしてしまいます。

許しによって。

本気で前に進もうとコミットメントしているときにしか。
試験は起きません。

罪悪感というのは。
疫病や戦争のレベルで感じているひどい自罰感情で。
曝露されれば心は潰れてしまうと言われるくらいだからです。

放置していた期間が長ければ長いほど。
問題を家系から引き継いでいればいるほど。
重く、辛く、苦しく感じます。

「ヤマアラシは愛したい」を執筆しているときの。
元夫に対して感じていた罪悪感たるや。

言葉には言い表せないほどでした。

夢も希望もこの先の人生も何もかもないような。
無意味感が強く立ち現れてきました。

この仕事をしていると。
感情で潰れてしまうことはありません。
(もちろん習熟度やキャリアにもよります)

まず起きていることをメタ認識する、というんですかね。
メタ認識した上で。
自分を含め誰かを悪者にする選択をしない、が近いかな。

それでも、これはすごいきついなあ…と感じていました。

コントロールしきらず。
久しぶりに夫に八つ当たりをしてしまったことは。
どうぞ内緒にしておいてください。

しかしそれでも。

メタ認識しつつ。
誰も責めずに感情をホールドしたまま数日過ごすと。

やっぱり光が差してくるんですね。
明けない夜はないって本当だなと思います。

ものすごく眠りました。
いや、たとえでではなく、ガチで。
20時間とか寝た日もあったような気がする。

こんこんと眠り続けるのは。
心理的な昏睡状態であったかも知れません。

目覚める前の眠りこそ。
とても深いのでしょう。

次のステージへの試験は。
心理的な負荷もかかるものです。

離婚問題が勃発しているとき。
夫婦間にひどい無意味感が横たわるなんて言いますが。

状態が好転するようには全く思えませんし。
出口の見えない無意味さに。
自己破壊的な行動こそが魅力的に思えてしまいます。

死の誘惑、という心理学的な表現があるのですが。
光が差してくる前に。
魔的な誘惑を体感していると言ってもいいでしょう。

でもそれは。
大変革を直前にしているときにしか起きません。

無意味感は。
真実とエゴの戦場などと言われます。

何にもないように見えて実は。
本気で幸せになりたいか、夢を叶えたいか。
この先に進みたいか。

激しく葛藤しているのです。

誤解を恐れず言いますが。
個人的には、死の誘惑を「体感」するレベルになってくると。

離婚を選ぶか、再構築を選ぶかを迷うことに。
あまり力点を置かない方がいいと思っています。

というのも。
離婚か再構築かという二択の発想だけだと。
根本的に解決しかないと思うからです。

目の前にあるのは「自分はどうやって生きるのか」という。
より高度で抽象的な問いだからです。

これに答えが出せるようになったとき。
離婚するか、再構築かは。
おのずと決まるでしょう。

自分はこの世界に何を与えにきたのかというような。
根本的な問いに直面していることが多いです。

だから、次のステージ以降は。
これまでとはまるっきり違う生き方になることも多い。

だとすると。

これまでの発想や。
付け焼き刃的な誰かからの借り物の思考を当てはめても。

一時的に難を逃れることはあるにせよ。
根本の変革がうまくいくことはありません。

もちろん。
誰かが答えを持っていることもありません。

自分の意思で。
全く新しいレベルで生まれ変わることが。
課題だからです。

だから。

もがいてもがいてもがいて。
もがくしかない。

あいつ何やってんだと笑われることもあるでしょう。
批判的に見られることもあるでしょう。
嫉妬の攻撃を受けることもあるでしょう。

だけど。

もがいてもがいてもがいて。
もがくしかないんです。

恐れを感じながら進むので。
整ってなんかいないです。

でも。
泥臭くて。
美しいです。

病気になってから、3年目に入りました。
まだ、身体が言うことを効かない部分は多いですし。

よたよたと歩いている姿が、ガラスに映ったりすると。
障害者なんだなあと思います。

正直にいいますが。
何不自由なく動けている人を見て落ち込むこともありますし。
活躍している仲間を、羨ましく思っていることもあります。

私はポンコツなので。
元夫と離婚をしたときに。
だいぶおサボりしてしまったことがあったようで。
今回、随分と補習させてもらいました。

元夫を許し。
自分を許すことに。
こんなにも葛藤し。

深く罪悪感を覚えていたことに。
初めて気づいたように思います。

でも。

元夫を許すことで。
うまく愛せなかった自分を許すことによって。

愛したかった自分がいたことに気づけたことが。
元夫からの贈り物だったように思います。

間違えたけど。
罪はなかった。

元夫も。
そして私も。

愛だった。

元夫を。
私を恨んで決して許さない人だと
愛のない人だと。

決めつけていたのは。
私でした。

本気でこの先の人生を生きようと腹を括ったからこその。
課題だったのだと思います。

障害があろうがなんだろうが。

魂を削り出していくしかないんだなと実感したことが。
何度もありました。

無理は出来ませんが。
できる限りのもがきを。

許せない人を許すことは。
隠れている魂の輝きを。
削り出してゆくことなのでしょう。

一本の木を彫ってゆくことで。
元々、木に宿っていた仏像が現れるのと。
同じ話かも知れません。

泥にまみれています。
綺麗だなんて全く思わない。

でもそういう自分が好きか嫌いかと問われれば。
好きなんです、やっぱり。

誠実じゃない生き方をしている自分を。
好きにはなれない。

だから。
もがいてもがいてもがいて。
生きようと思うんです。

この先も。

少しだけ。
自分を好きになれそうだから。

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